Ⅴ 世界を繋ぐ唄-2
当てもなく地上を彷徨うとリオスと傷ついたタナトス兄様を見つける。
タナトス兄様から感じる魔力が著しく低い、今にも消えてしまいそうだ。
もう会うこともない。そう思っていたのだけど、見て見ぬふりができず僕は二人の元に降り立った。
僕がリオスを連れ戻しに来たと思ったのだろう、タナトス兄様はリオスを庇うように動いた。しかし彼は瀕死状態だ、思うように動かない兄様の身体をリオスは懸命に支えた。
ボロボロな身体だというのに互いを守ろうとする姿は美しく思えた。楽園を飛び出した後悔はない。例え間違いだったとしても僕は二人の幸せを尊重したい。
「じっとしてください、僕の魔力を分けます」
タナトス兄様と僕の魔力は兄弟の中では一番近しい属性だ、すぐに馴染むはず。
ところが翼を失ったタナトス兄様の自己再生力が弱い。まるで僕らと違う生命体になってしまったみたいだ。
根気強く魔力を与え続けるとようやくタナトス兄様の呼吸が落ち着いた。一命は取り留めただろう。
「…ありがとう」
タナトス兄様から感謝の言葉をもらう日がくるなんて。
僕でも役に立つことがあるんだな…不思議な気分だ。
「セレネ」
遠慮がちに僕の名を呼ぶリオス。しおらしい彼女は調子が狂う。
対の君と違って僕は誰かを元気づけるような笑顔が上手くない、力なく笑う。
「君だけを逃がすつもりだったんだけどね…僕まで飛び出しちゃった」
「…ごめんなさい…私のせいだよね」
「違うよ。僕は自分の意思でお父様の元から去った…誰のせいでもない」
きっと遅かれ早かれお父様への不信感で僕は居た堪れなくなっていただろう。
自分への劣等感は自分だけが感じているものじゃなかった。子供を等しく愛していると信じていたお父様にすら自分は出来損ないだと言われてしまえばもう自我を保てる自信はない。
僕は役目からもお父様からも逃げ出したんだ。二人のような崇高な思いによるものではない。
「…どこへ行くの?」
用は済んだ。僕は立ち上がり翼を広げる。
勢いだけで地上へ来てしまったが目的も望みもない。
僕には楽園にも地上にも居場所がない。誰からも必要とされていない、価値のない存在だ。
「…誰も居ない静かな場所、かな」
疲れてしまった。自分の弱さに嘆くのも。誰かの変貌する姿を見るのも。家族という曖昧な繋がりも。全てから解放されて眠りにつける…そんなどこかへいきたかった。
「待って!いかないで!」
リオスは僕の手を掴んだ。必死な彼女の瞳に見られると途端に熱を失っていた心に温もりが灯る。君は特別を手にしたんだ…もう、僕のことなんか放っておいてくれればいいのに…。
「…本当、君は鈍感だなぁ…」
溢れ出た涙で視界が歪む。リオスは僕を離さないように強く抱きしめた。
そして僕らは一緒になってボロボロと涙を流した。
僕はただ皆が心穏やかに過ごしてくれればそれで良かった。
リオスもタナトス兄様も、お父様だって…ただ幸せを願っただけだ。
それなのに…どうしてこうなっちゃったのかな…
翼の羽ばたく音が耳に届くと僕らは揃って身体を強張らせた。
恐る恐る顔を上げればそこには僕らのたった一人の親が居た。
「…お父様」
表情にいつもの笑みはなく、憂いているような瞳で僕らを見る。
整った顔立ちも透き通るような美しい長い髪も偉大で大きな翼も全てが恐ろしく思えた。お父様は静かに地に降り立つと一歩、一歩とゆっくり僕らに近づいて来る。
「勝手をしてごめんなさい…ですが私達は幸せになりたかっただけです。お父様を傷つけたかった訳ではないのです。お役目は変わらず果たします!ですからどうか、私達をお許しになってはくださいませんか」
「…何故私の言うことが聞けない。私は等しくお前達を愛しているというのに、何が不満なのだ…」
お父様はうわ言のように呟き、リオスの言葉など届いていないみたいだった。
異常だ。今まで僕らはこの人が絶対に正しいと思っていたのか。
この人の危うさに気がつかなかった。僕らはもっと知るべきだったんだ。
「リオス…もう手遅れだよ」
彼女はまだ和解を試みようとしているみたいだけど、もう不可能だろう。
君が幸せを願う限り、お父様の理想は叶わない。お父様が望むのは従順な子供だけなのだから。
「…これ以上、僕らに近づかないでください」
なけなしの勇気を振り絞り、僕はお父様の前に立ちはだかる。
一方的に二人を傷つけられて堪るものか、もう二人は充分苦しんだ。
「セレネ…どういうつもりだい?」
「僕らはお父様の思い通りには生きてはいけません!それがお分かり頂けないなら話すことはありません!」
はっきりと伝えないと駄目だ。親と子ではなく一人の人として、理解してもらえないならば僕らは共に生きていくことは難しい。
僕らにはそれぞれ感情があるから。尊重すべき自我があるから。同じように生きているから。そんな当たり前の認識がこの人には欠如している。
「兄弟想いで優しいのはお前の善い所だが…随分と反抗的になった、教育を間違えてしまったようだ」
顔の輪郭をなぞるように触れられると身震いが止まらない。指の腹から伝わる歪んだ愛情が哀しくも恐ろしい。撫でる指が顔から首へ移動しピタリと動きを止める。
「残念だよ、セレネ」
僕の耳元でそっと囁かれた途端、首から鋭い痛みが走る。細い何かが刺さり、喉が焼けるように熱い。耐え難い痛みなのに声を上げることもできない。
「っ―――!!」
「セレネ!!」
僕が痛みで苦しむとお父様は再び歩みを始めリオスの傍まで辿り着いてしまう。
迸る強い魔力が黄金の輝きとなってお父様の手から出現する。
輝きはたちまち複数にまとまり棘のように細く鋭利な形になる。
「悪いことをしたならば仕置きが必要だ」
本気だ。お父様は僕らに危害を加えてでも自分の意思を通そうとしている。
本能が危険を察知し、僕はリオスを守るべく魔力を練った。
「させ、ない…!」
地に手を着け、大地を隆起させる。強引に唱えた魔法の威力は高く、突き出た岩がお父様の身体を貫かんばかりの勢いであった。
競い合うことが苦手だった僕は一度も攻撃的な意図で魔法を使ったことがない。
生まれて初めて抗う意志で魔法を放った。
この隙を見てタナトス兄様がリオスを遠ざけてくれた。
いっそこのまま二人で離れてほしいと願ったがその願いは声にならなかった。
首に刺さった物を無理矢理引き抜くが喉の痛みは治まりはしなかった。しかも魔力がかなり抜き取られたのを感じる。僕を殺さずとも行動不能にさせるつもりか。
「邪魔をするな」
短く吐き捨てるとお父様の周囲の岩が破砕し飛び散った。たしかに僕の攻撃は直撃したというのにお父様の身体は無傷で綺麗なままだった。
冷たい眼差しに睨まれると今度は身体の自由を奪われた。圧倒的な強い魔力が重力となり僕は地に這いつくばる。お父様の驚異的な魔力は想像以上だった。とてもじゃないが太刀打ちできそうもない。
「止めてください!これ以上セレネを傷つけないで!」
「…逃げ、て…」
僕の掠れた声など届かない。
リオスは真っすぐにお父様を見つめていた。彼女の嘆きを聞いたお父様は魔力を引っ込めた。重力から解放されたものの疲弊しきった僕の身体は立ち上がることもできなかった。
「さあ帰ろう。良い子だから」
お父様はリオスに向き直ると笑顔を作り上げていた。
だけどもうその顔は子を想う父親の顔ではない、執念に憑りつかれた顔だ。
「…帰りません。大切な家族を傷つけるあなたとは共には暮らせません!」
リオスの拒絶が最後の引き金を引いてしまった。お父様の表情から笑みも哀しみも失せていく。とうとうソレからお父様の面影が消えた。
感情を失くしたソレは無言で動き出した。タナトス兄様を乱暴に突き飛ばしリオスを奪うと躊躇いなく彼女の翼を掴み上げる。その姿は獰猛な獣だった。
「きゃああああああっ!」
ソレに両の翼を捕まれた途端、リオスは悲鳴を上げた。
凄まじい勢いで魔力を吸収されているのかリオスは抵抗することもできず、呼吸もままならないようだった。強い力で自由を奪われようともリオスの瞳は揺らがない。
「…たとえ、翼が手折られようとも、この生命が尽きようとも…私は、タナトス兄様と生きる明日を望みます…!」
ソレはその言葉を聞くと翼を握る力を一気に強めた。そしてリオスの美しい翼は砕け散り、白い羽が宙を舞った。翼を失った彼女は地に落ち倒れ込んだ。
痛々しいリオスの姿を見て、ようやくお父様の顔に感情が戻る。
「…どうして分かってくれない…私から離れてはならない…家族はひとつでなければ…」
酷く狼狽えたお父様はそれ以上僕らに手を下すことはなく、逃げ去るように楽園へと帰って行った。
日が経って思い返せば、お父様の最後の姿は弱々しくとても哀れなものだった。
リオスやタナトス兄様に対する行いは今だって許せない、軽蔑すらしている。
狂気的な姿はどんな生き物よりも恐ろしいが自分の考えを改めるつもりはない。
だけど、生まれてからの短い期間、お父様から受けた確かな愛はずっと残っている。あんな辛い思いをしたのにお父様を嫌いにはなれなかった。
お父様に対する思いをどうすればいいのか、僕は分からないままだった。
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