Ⅴ 世界を繋ぐ唄-1
生まれた時から兄弟の中で誰よりも魔力が弱く最も身体が小さかった。
時間が経てば成長する、伸びしろがあるなんて言われたけれど、結局覆ることなく成長は止まってしまった。
ウラノス兄様のような物腰柔らかな余裕も、レイア姉様のような美しい手際の良さも、アレス兄様のような逞しい勇ましさも、僕は手にすることがなかった。僕には特筆するようなものが何もない。
「セレネは絵も上手いし物を作るのも上手だね。羨ましい」
一人静かに砂浜で絵を描いたり、砂で動物を模した像を作ったりしているとリオスがやって来た。声を掛けられるまで彼女の気配にまるで気がつかなかった。
何かに集中している時間は好きだ。余計なことを考えずに済むから。
「役目を務める上で必要な能力じゃないよ」
手を止め顔を上げると波が少し高く上がったのが見えた。今僕が居る位置まで波が来るなと直感的に分かる。
僕がそれなりの時間没頭して作り上げた砂の作り物たちはあっという間に波に攫われてしまう。どんなに時間を掛けようと物なんて簡単に壊れてしまう。儚く、呆気ない。
「でも楽しい気持ちになるよ」
「気持ちなんて…なくても困らないよ」
同じ時に生まれたのにリオスと近いのは体格くらいだ。彼女のほうが魔力の扱いに長け、彼女のほうが明るく、彼女のほうが身長もちょっとだけ高い。
彼女のほうが…比べ出したらキリがない。僕はずっと劣等感を抱いている。
不公平だな、対だというならば似つかわしい点が多ければこんな思いをしなかったのに。
「…ほら、昼に変えてよ」
リオスが哀し気な顔をしているのが居た堪れなくなり、話題を変える。
彼女が僕に会いに来たのは昼夜の転換の為だろう。二人が揃う必要はないのだけれど、僕らは転換時に顔を合わせるようにしている。
『覚醒の訪れ、白昼よ躍動の時を齎し煌々と照らしたまえ』
促されたリオスが詠うと夜は薄れ陽が昇り始め眩しい朝日に世界が照らされていく。幾度と見ても陽を浴びて輝く大地は言葉を失うほどに美しく、見惚れてしまう。
僕は夜を司り、月夜が過ごしやすく愛おしく思うが、太陽が齎すこの光景に焦がれてやまない。
「よーし、歌って元気出してこう!」
「ええ…」
日差しを受けて気持ちよさそうに身体を伸ばしていたリオスが突拍子もないことを言い出した。いつもながら突然で強引だ。乗り気でない僕の目をじっと見てくる。
「ほらほら、歌って!」
渋々僕が歌い出すとリオスは合わせるように声を重ねる。歌おうと誘うくせに歌い出しはいつだって僕にやらせる。最初は躊躇ったものの楽しそうに歌う彼女につられてか、次第に没頭していき歌の響きに夢中になってしまう。
歌うと気分が良くなるのか彼女はよく僕に歌うよう要求してくる。今みたいに一緒に歌うこともあれば、黙って僕の歌を聞くこともある。
歌うこと自体は嫌いではないけれど、率先して歌いたいとは思わない。それでも…僕のしたことで誰かが幸せを感じてくれるのならば、それは嬉しいと思う。
リオスと歌うのは心地が良い。同じように彼女も感じてくれているのならばいいけれど。
僕らの歌が響き渡ると周囲の精霊達が輝きを増し喜ぶみたいに舞い踊る。魔法を使っているわけでもないのに、物言わない精霊達が集まって来るなんて不思議だ。
彼らは魔力の集合体でありエネルギーでしかないのに、まるで彼らにも心が通っているみたいではないか。
空が明るくなり目覚めたのか森の動物達までもが浜辺に集まって来た。驚いてしまい思わず歌を止めてしまうと皆が僕を一斉に見てきた。
「歌うのを止めるなってことじゃないかな?」
「そんな都合の良いこと言って…」
「そう?あってると思うけどなー」
「うーん、勝手に決めつけるのはどうか――」
僕の反論を遮るかのように一匹のキツネが頭を僕の腰にこつんとぶつけてきた。
珍しい真っ白な毛並のこの子のことは忘れはしない。夜になると時々僕のもとに遊び来るが空が明るい時に会うのは初めてだ。いつもみたいに頭を撫でてやると嬉しそうにひと鳴きした。
「この子もセレネの歌が好きなんだよ」
たしかに僕の歌に聞き入っていた覚えのある動物が集団の中に居るけれど、こんな大勢ではない。リスにウサギ、シカやキツネ、オオカミとクマまで…更に数えきれないほどの様々な種類のトリもいる。
異種の動物がひとつの群れのように集まっているこの光景は少し異常だ。それなのにリオスは気にも留めず、彼らと同じ思いだと言わんばかりに僕に歌うようせがむ。
「聞かせてよ、セレネの歌」
彼女の願いに同調するかのように動物達が次々に鳴いた。それだけで大合唱のようにさえ思える。こんな多くの目を前にして歌うのは緊張する。しかし期待の眼差しに囲まれてしまえば逃げ場はなさそうだ。
そもそも僕は誰かに聞かせようと思って歌ったことはあまりない。途端に鼓動が早まり、胸が苦しくなる。
恐る恐る口遊むと動物達は静まり返る。
誰に聞かせるつもりのない、誰も居ない夜に独りで歌っていた歌を紡いでいく。
夜空に瞬く星々。柔らかな月光。浜辺に寄せる小波の音。頬を撫でる涼しい風。
静寂な夜にだけ出会える美しさを謳った。
歌に耳を澄ませてくれた皆は揃って安らいだ穏やかな表情をしていた。同じ気持ちを共有するかのように一つになっている。こんなに大勢の心が一つになることがあるんだ。今までにない未知の感動に心が震えた。
「セレネ、あなたは自分で気がついていないだけで多くの心を癒してきた。私にはできないことだよ、自信を持って」
リオスの太陽みたいに眩しい笑顔を直視できずに僕は目を背けてしまう。
彼女の真っすぐな言葉を弱い僕は素直に受け取れなかった。対である君が綺麗で強くあるほど自分が情けなく脆く思えたんだ。
お父様が目覚められた時に感じた胸騒ぎは当たってしまった。リオスの変化はお父様にとって耐え難いものだったのだろう。
僕にはお父様の苦しみが少しだけ理解できてしまった。
タナトス兄様に対する残虐と思える行いは受け入れられない。でもその行き場のない辛さが、どうしようもない寂しさが、お父様から正気を奪ってしまったのかもしれない。そう思うと僕はお父様を強く非難できずにいた。
何が正しいのか、何が間違いなのか分からなかった。リオスもタナトス兄様もお父様も幸せを望んだだけなのにどうしてすれ違ってしまったのだろう。
どれだけ考えようと正解は見つけられず、迷いが晴れることはなかった。
だけどひとつの決意だけが揺らがなかった。
僕はリオスに幸せになってほしい。彼女を檻から逃がすことに躊躇いはなかった。
檻に閉じ込められていたリオスを逃がしたことはすぐに気付かれてしまった。
改めてお父様と対峙すると恐怖で身体が竦んだ。
「何故リオスを逃がした!?」
神の怒りが空気を震わせ、抑えきれない魔力の流れが空間に圧を掛けている。
僕は立つこともできずに膝が地についてしまう。いつも穏やかなお父様が激しく荒れている。
自分の嫌な胸騒ぎなど当たらなければよかったのに。予想以上の変化の波が家族全員に広がっていく。永い時をかけて守り続けた平穏がいとも簡単に崩れていく。僕らの信じた平穏はこんなにも脆かったなんて。
変化は悪影響しか及ぼさないのか……いや、そんなことない。僕は恐怖を感じてしまったがリオスは変化を喜んでいた。悪いだけではない筈だ、いつだって彼女は周りに幸せを齎した。その彼女自身が幸せになることが悪なんて僕は認めない。
「どうして…二人の意思を縛るのですか?二人はただ幸せになりたかっただけです、それなのに…」
「口答えをするな!」
お父様の一喝でたちまちに身体が震え出す。力が上手く入らない、言葉をハッキリと紡げない。
どこまでも情けない自分に嫌気が差す。
怯えて満足に拳も作れない手に苛立ちすら覚える。
変わらなくては…弱気な自分を変えられなければ…気持ちは伝わらないから…
「…タナトス兄様と同じように、僕の翼を捥ぎますか…?」
「セレネ、お前までタナトスに感化されてしまったのか…?すぐに忘れなさい、お前まで駄目になってしまう」
「そんな…タナトス兄様もリオスも駄目になどなっていません。どうして二人の声に耳を傾けてはくださらないのですか?」
「黙れ!二度と啼けぬよう声を奪うぞ!」
非力な僕から唯一の声を奪われてしまったら…誰も僕を必要としてくれなくなってしまう。好きだと認めてもらえた歌を二度と歌えなくなるのは嫌だ。
だけどここで声を上げることを止めてしまえば、きっと僕は永遠にお父様の言いなりになる。そんな確信に近い予感がした。
「どうして一方的に従わせようとなさるのですか!?お願いです、僕の問いに答えてください!」
「私に異を唱えるな!出来損ないが!!」
――― そうか、やっぱりこれがお父様の本心か。
その一言が僕の迷いや怯えを断ち切った。いや、僕の中で何かが壊れてしまった。
「…セレネ、お前は私の言うことを聞いていればいいんだ。か弱いお前が魔力を誤った使い方で浪費してはならない」
慰めるように優しい声音で語りかけてくるがもう僕の心は反射的に拒絶反応を起こしていた。伸ばされた手を払うとお父様は声を飲み込んだ。
「お父様…僕は言うことを聞くだけの道具ではありません」
余程ショックだったのかお父様の口は開いているのに言葉を紡ぎだせていない。
どうして僕はこの人を敬っていたのだろうか。その理由すら分からなくなった。
「…さようなら」
僕が飛び立とうとお父様は動き出さなかった。
リオスや他の兄弟とは違う。初めから僕は必要なかったんだ。
そのまま僕は家族の住まう楽園から去った。
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