後編 古い歌が流れる街

「なんだ、これは?」


 出来上がった似顔絵を見ると、二枚に分けて描かれてある。一枚には翔と梨亜ちゃんの顔が並び、もう一枚には俺一人。翔太と梨亜ちゃんの絵がほのぼのと明るいタッチで描かれてあるのに比べ、俺一人の絵の方は、うなだれた横向きの姿が画用紙に、いかにもひ弱で寂しげに描かれてある。


「お気に入りませんか? こちらの子ども達のも、旦那様のも良い出来栄えだと思うのですが」


 俺は嫌な気分だったけど、その気持ちを抑え、二枚の似顔絵を受け取ると、その場を離れた。自分の似顔絵を二度と見返す事は無いだろう。

 二人の子ども達を連れ、ソレイユさんさんパークを出る頃には、太陽も真上からだいぶ西の方に傾きかけていた。

 ここに着いた時の晴れやかな気分はどこへやら、すっかり陰鬱な気分に変わっていた。


 バスが交差点を過ぎる時、窓から古い図書館の建物が見えた。壁には蔦が絡まり、年月を感じさせる。バスの乗客の老夫婦の「やはり何かを調べる時は図書館よね」という会話が聞こえてきて、なぜだかイライラした。今どき、他の調べ方もあるだろうにと突っ込みたくなる。

 家に着く頃には、辺りの風景は夕方前の何となく柑橘系がかった独特の色に変わっていた。

 子ども達は元気で、まだ風船を手に、はしゃいでいる。俺は疲れた身体で二階へ上がると、あの小部屋に入り、机の引き出しを開けた。中からグリーンと透明のビーズで編んだ指輪を取り出し、掌に乗せた。



――キレイだ――


素直にそう感じた。もしかしたら忘れているだけで、実は自分が気に入って買った物かもしれないと思った。クローゼットにまだ置かれてあるショルダー型の鞄を見る。真四角に近い形で大分使い古されてはいるが、きちんと丁寧に使われた形跡のある鞄。それを見た途端、心に鈍い痛みが走った。鈍い痛みだが、澄んだ悲しみだった。


 思わず鞄を手元に持って来て、ビーズの指輪と見比べてみた。そうだ、この鞄は自分が愛用していた物で、かつて住んでいた小さなアパートの部屋の隅が定位置だった。


 鞄の中に手を入れると内ポケットに何かの切り抜きが入ってある。新聞、いやこの紙は、フリーペーパー類の切り抜きだ。そうだ、ビューティフルライフの切り抜きに違いない。



 あの頃自分の私生活は寂しいものだった。歩いて十五分程の町工場に勤めていたが、同年代の若者は他にいなくて、一番近い年齢の先輩はもう少しで三十代という妻子持ちだった。生真面目に職場と住まいとを往復していた俺にはSNS等という趣味もなく、気軽に飲みに行ったり週末に一緒に遊びに出かける友達もいなかった。仕事以外の世間との繋がりは薄く、このビューティフルライフというフリーペーパーがその役割を若干果たしていた。


 ビューティフルライフは、地元の企業と商店街が出資していたと思う。広告ばかりではあるが、なかなか面白く、映画情報を読んだり、クイズ、パズルを週末に解くのが楽しみだった。

 今、眼の前にある十数センチ四方の切り抜きの見出しは、「梅戸区駅前周辺の昔ながらの街並み」とある。このような、ある地区限定の特集もよくやっていた。


――梅戸区駅前……。そうだ。いつか出張に行った場所だ――


 勤めていた町工場では発注のあった物品を届けたり、商品の説明に行ったりという出張が時折あった。そしてたまたまその少し前にビューティフルライフで取り上げてあったのを思い出して、その記事を切り抜いて鞄の内ポケットに入れたのだった。

 そして内ポケットにはもう一枚、薄いブルーの紙が折りたたまれて入っていた。懐かしさに浸る気分で手に取り、開いた。それは髙鳥屋デパートの時計売り場の修理品預かり伝票だった。電池切れとベルトの取り換えにチェックがしてある。

 俺は徐々に思い出してきた。そうだ。出張の帰りに時計の電池が切れているのに気が付いたのだった。翌日は日曜日で、わざわざ出かけるのも億劫だったし、電池切れ位ならこの街のデパートの時計売り場ですぐしてもらえるだろうと思ったのだ。

 

「電池替えはお待ちいただければすぐ出来ますよ。ベルトもだいぶ消耗してますので替えませんか? 他の修理でお待ちのお客様がいらっしゃるので三十分程お待ち頂きますが……」


 店員は確かそう言った。俺は来る時そのデパートの裏の商店街に興味をひかれたのを思い出した。三十分したらまた来ますと言い、俺はデパートを後にした。


 商店街に向かう道すがら、西の空には田舎の庭先の金柑の実のような夕陽が眩しい程輝いていた。

 商店街は、通常の老舗と若い人がやっているお店とが半々だった。その中に何だか心ひかれる店があった。おもてにアンティークなテーブルと椅子が置いてあって、中から西洋のお香のような良い香りが漂ってくる。店の名前は英語で意味はよく分からなかった。でも、下のAntique&teaという文字はかろうじて読める。アンティークショップで、喫茶店も一緒にやっているという事だろう。ここで時間を潰すのも良さそうだと思った。


 ガラス窓のある扉を開けるとカランとベルの音がした。


「いらっしゃいませ。どうぞ、色々ご覧になってください。あ、お食事ですか? それなら階段を降りて階下したになります。あ、それ可愛いでしょう?」


 若い素朴な笑顔の女性店員が現れた。色白で、少しソバカスがある。やっと思い出した。ビーズと一緒に思い出した顔は、あの時の店員の顔だ。 店には水仙の形のランプ、教会にありそうな蝋燭立て等、長い年月を陽の光に無縁な場所で過ごしてきた、小さな雑貨品がひしめきあっている。そして店先のカウンターの上に置かれた籠の中には山盛りのビーズのアクセサリー。店内が割と暗めで、そこだけカラフルだったので、思わずそこに目がいった。


「いま、お越しになったお客様に、好きなビーズのアクセサリーを一つプレゼントしているんですよ。どれでも一つ選んで下さいね」


「じゃあこれを」俺が取ったのは緑と透明のビーズの花が繋がった指輪だった。



――これで繋がった! あの娘、そしてビーズの指輪――



 店の周囲に流れる郷愁をおぼえるメロディーまで思い出されてきた。

「店に流れているこのメロディーって……」


「ロンドンデリーの歌。でもお店で流しているわけじゃないんです。これは商店街で流しているんですよ」と店員。


「そうなんだ。下町ってどこでも夕方になるとこういう曲がかかるんだな」

 俺はまるで独り言のように言った。俺の住んでいた街では、夕方になると新世界という曲がかかった。その曲がかかると、家路を急ぐ子どもの姿をあちこちに見る。微笑ましくて、それでいて寂しい風景。


 店の地下に繋がるアンティーク調の凝った手摺の階段を降りると、そこにはカウンター式のテーブルがあり、棚には雑誌、画集、旅行の本、シリーズになっている漫画等があった。まるでハイクラスの漫画喫茶みたいな感じだが、この昼下がり、客は一人もいなかった。


――あ、この短編集のような漫画、好きだったな――


俺はお気に入りの漫画を何巻か取るとカウンターの席に持って行った。


「おすすめの飲み物は?」


「オレンジティーなんかはどうですか? 夜寝る前だと安眠できるんですよ」


「最近よく眠れないからちょうどいいかも……」


「家にいるみたいですね」


 若い女店員はくすっと笑った。




 あれは一体どのくらい前の事なのか。このブルーの預り証があるという事は、結局俺は腕時計を取りに行くのを忘れたらしい。もし今この電話番号に電話したらどうなるだろう? 何年も経ってからの電話は時計売り場の店員を戸惑わせるだけだろうか。髙鳥屋デパート自体、今も梅戸区駅前にあるかどうか分からないし。


 一体どれ程の年月が経ったのだろう。その時不思議な事に気が付いた。預り証に書かれてある日付けと時刻、それがスマホの待ち受け画面に現れている日付と時刻と四十五分位しか違っていない事に。 さらに御氏名の欄に見える名前は……。

 俺は右手に預り証を、左手にスマートフォンを持って考えた。


 その時、懐かしいメロディーが流れている事に気が付いた。ロンドンデリーの歌。


 ここは一体どこなんだ。郊外にあるわが家じゃないのか?




……とそこには覗き込んでいるあの女店員の顔。


「あんまりよくお休みになっていたから」


 カウンターテーブルの上に読みかけの漫画、「緑の街で出会ったら」が読みかけのページのまま、うつ伏せにされている。あの漫画の主人公の名前は篠田達也。いつもどうって事のない日常がほのぼのと描かれているホームドラマ。そうだ、篠田達也は俺じゃない。郊外の庭付き一戸建ての家に住んでいて、活動的な妻と可愛い二人の子どもがいて、イタリアングレーハウンドを飼っているのは、篠田達也であって、オレじゃない。それはたった今見ていただけの夢。アパートで一人暮らし、時計の修理待ちにここで漫画を読んで寝落ちしてしまったのが俺、山田祐司。この褪せたようなブルーの預り証に書いてある名前だ。



 ああ、どうしてあの時、ビーズの指輪を見つけてしまったんだろう。仮に見つけたとしても、どうしてゴミ箱に捨ててしまわなかったんだろう。気が付きたくなかった。死ぬ程思い出したくなかった。自分は孤りぼっちだって。







 

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見知らぬ指輪/古い歌が流れる街 秋色 @autumn-hue

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