第4話 私が彼で、彼が私で

 和臣が戻ってきたのは、十一時過ぎ。晶子が作ってくれたブランチを食べてる最中だ。

「未知」

 と自分の名を呼ばれて、ほっとした。このまま淳の霊に居座られ、和臣が戻ってこなかったら、と不安だった。


 食事もそこそこに、和臣の部屋に戻る。

「体を取られてる間、どうしてたの」

 未知が訊くと、和臣は、

「どうしようもないよ。ただ、未知と晶子さんと、淳のやりとりを見てるだけ」

 なさけない、だが、それ以外、どうにもならないのだ。淳くんだって、和臣の体に潜入するまでは、毎日、涙に暮れる晶子さんを、見守るしかなかったというから。


 またも施錠はなし、照明もつけっぱなし。

 戻ってみて、未知はがっくりきたが、豹変した和臣を追って、あわてて部屋を出たのだから仕方ない。

「物騒だし、電気代ももったいないし。今夜は、淳くんを待たせてでも、ちゃんと鍵かけて出る」

 もう死霊には振り回されない、と未知は決意する。とはいえ、方策など考えつかない。


「プロに頼むか」

 和臣が、おずおずと言う。

「霊媒師とか? 時間がないよ」

 淳が和臣の体をシェア、実際はジャックだが。夜から朝までのはずが、今日は十一時まで支配した。四十九日が来て、成仏するかと期待したが、現世にとどまりたい淳の妄執を振り払うすべが、未知は思いつかない。


 結論が出ないまま、夕方になり、和臣と未知はコンビニに弁当を買いに出た。今夜も、きっと淳は戻ってきて、晶子の部屋に行きたがる。その前に腹ごしらえ、と思ったのだが。


 レジで、代金を払った和臣は、弁当の袋を持たずに、一人、コンビニを出てしまった。

「和臣」

 返事はない。

 まだ五時なのに。淳くん、もう戻ってきたんだ。

 未知は、恐怖にふるえた。


 途中で、晶子の分の弁当を買い、晶子の部屋で、三人で食べた。

「俺はもう、ずっと晶子のそばにいる。悪いけど、あきらめてくれ」

 ふてぶてしい言い方に、未知はかっとなる。

「冗談やめて。和臣は渡さない」

 婚約したばかりなのに。やっと互いの気持ちを確かめ合ったのに。その翌日に、和臣を失うなんて、いやだ。

「だめだって、私は、そんな淳は愛せない」

 ゆるぎない晶子の言葉だけが、未知の救いだ。


 晶子は、きっぱりと言った。

「もう、淳の肉体はないの。だから、私の体を使って。私の中に、入って」

 この言葉には、淳だけだけでなく、未知も驚いた。

「二十三年しか生きられなかったんだもん、その悔しさは想像できるよ。淳の代わりに死にたいと、何度も思った、それで淳が生き返るのなら、私の命をあげるって」

「晶子」

「でも、だめなんだよね。だから、せめて私の体を使ってよ、和臣さんじゃなくて」


 晶子の目に、涙が浮かぶ。

「女の体じゃ、不満だろうけど。それでも、できることはたくさん、あるでしょ。行きたいところに行ったり、食べたいものを食べたり。私は、元気に動き回る淳を、見てるだけでいい」

 なんとか淳を説得しようとする晶子に、未知は言葉を失った。

「晶子!」

 和臣が、いや、淳が、晶子を強く抱きしめる。

 とてもイヤだったが、未知は動けなかった。二人は、そのまま床に倒れこんだ。


「和臣。晶子さん」

 二人の体をゆさぶるが、なかなか意識が戻らない。

「あれ?」

 先に目を開けたのは、和臣だった。

「未知」

 泣きそうになった。こうやって自分を呼んでくれるのは、和臣だ。

「和臣。戻ってきたんだね」

「うん」

 へなへなと、床に膝をつく。和臣が、未知を抱きしめた。

 晶子も、やっと意識を取り戻した。弱弱しい声で、

「よかった。未知さん、和臣さん」


「淳くんは?」

 晶子は、にっこりと微笑んだ。

「私の中にいます」

 どゆこと?

 合点がいかない未知たちに、

「とても小さな力になったけど。淳は、私の中に、入ってくれました。私が心の中で淳に呼びかけて、淳が答える、その程度。

 私が願っていたことです。心の中で、淳と

話せたら、どんなにいいだろうと」


「それでいいの?」

 未知には、よくわからない。

「淳が逝ってしまってから。ただ泣いてたわけじゃないんです。ずっと考えていました。はじめは、私も死んでしまいたい、と。次には、いや死んではいけない。淳の分まで長生きしなければ、と」

 晶子の頬を、涙が伝っていく。

「最後に、こう思ったんです。私たちはひとつだ。私が淳になったのか、淳が私になったのかは分からないけど。私は淳で、淳は私だ」


 未知も和臣も、黙って聞いているだけ。

「心で淳に呼びかけて、淳が応えてくれたら、どんなに幸せだろうって」

 いま、その願いが叶った、と晶子は言う。

「淳は、それでいいのかな」

 和臣の問いに、晶子は、

「はい。これでよかったんだ、と淳も言ってます」

 和臣の肉体で戻ってきても、受け入れられない、愛せないと、晶子は言っていた。強引に和臣に入り込んでも、と淳も考え直したのだろうか。


「今度、料理を教えてください」

 帰りがけに、未知は晶子にそう言った。今後も、この女性とは親しくしたかった。晶子は、笑顔で答えた、

「はい、私でよければ」

 和臣は、ちょっぴり照れくさそうに、

「晶子さん。お元気で」

「ありがとう。私、幸せです」

 晶子は、とびきりの笑顔を見せた。


 帰り道、未知は、ずっと和臣と手をつないでいた。

「もう、どこへも行かないで」

「うん」

 和臣はそう答えたが、未知はまだ心配だ。


 ふと気づいて、左手の指輪にキスした。


 ありがとう、見守ってくれて。


 お陰で、和臣を取り戻せたよ。まあ、ほとんどは晶子さんの愛の力、かもしれないけどね。


<了>

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