結
照江の手を折る。
暴力的で鮮烈なイメージは、数ヶ月にわたって俺を虜にした。俺自身の手だったり金槌のような道具だったり、その方法は様々だったが、照江の反応は決まっていた。恐怖と憎悪、そして居場所を奪われた焦燥。それだけあれば充分だ。
終わりを知っているからこそ、知ることができる美しさがある。手折ることができるのだと悟った瞬間から、俺は照江のピアノを穏やかな気持ちで聴くことができた。明るく希望に満ちた音楽は、明るければ明るいほど堕ちた先の暗さを予兆していた。同級生たちに混じって、俺は大真面目に歌った。指揮者を任された時には笑ってしまったが、快く引き受けた。
歌の始まりに、照江とアイコンタクトをとる。俺の合図で照江がピアノを弾き始める。それは俺の愛した音楽ではなかったが、終わりが確定すると同時に、その音楽さえ得難いものとして受け入れることができた。あの美しい手がLEDの白い光の下で踊っている。象牙色の鍵盤ではなく、ツルツルのキーボードを叩いている。変わってしまったものは仕方がない。この俺の手で終わらせればいいんだ。
妄想を重ねるうちに計画は真実味を帯びていった。だがしかし、結論からいえば、俺の計画は実行されなかった。
簡単なことだ。俺が実行するまでもなく、照江は怪我でピアノを弾けなくなった。休み時間にバスケに誘われ、運動音痴が無理をした挙句、突き指をしたのだ。俺の妄想のとおりに照江は恐怖と憎悪に襲われ、学校に来なくなった。
照江は授業を受けないだけではなく、音楽室にさえ来られなくなってしまった。高校は義務教育ではないので、出席日数の誤魔化しも出来なくなった照江は、自主退学をした。
照江を失って初めて、俺は自分の思い上がりに気がついた。照江から音楽を奪えば、照江は世界と切り離されてしまう。俺は照江勢一という人間の内側に入り込んだ気でいたが、それは大きな間違いだった。俺は照江を取り巻く世界の一部に過ぎなかった。
苦い青春の思い出とともに大人になった俺は、更なる追い討ちを喰らうことになる。つい半年前の同窓会だ。招待状をもらった時は、高校一年生の時のクラス会なんて誰もこないと思った。でも照江の顔が頭をよぎった。俺は未だに照江を引きずって生きている。その生傷を見つめ直しにいくのも悪くない。照江は絶対に来ない。照江を追い込もうとし、そのせいで失った事実を見直そう。そう思った。
それなのに、アイツは来たのだ。
「照江くん本当に来てくれたんだー!ありがとー! 」
テンションの高いナントカ山に向かって微笑んでいた黒シャツの男は、間違いなく照江勢一だった。
「中山さん久しぶり、呼んでくれてありがとう」
面影は変わらないが、すっかり大人になった照江は俺を見つけると、右手をあげた。
「戸部!久しぶり! 」
俺たちは酒を酌み交わすことになった。
「照江に会えると思ってなかったよ」
俺が言うと、
「戸部には一回会いたかったからさ、来てよかったよ」
と返された。照江は高校中退後、知り合いのカフェでピアノを弾きながら金を貯め、一念発起してロサンゼルスに渡ったという。
「照江にそんな行動力があったなんてな」
と茶々を入れると
「まあ人間変われるもんだよ」
と笑われた。胸が痛んだ。照江は子ども向けの音楽教室をやっているらしい。帰国して、実家に帰っていた時に招待状が届いたんだとか。
「高校の時は音大にもいけないし、クラスの輪にも入れないし、人生詰んだとか思ってたけど、なんとかなるもんだな」
照江はジョッキをあおると俺に向かって微笑んだ。
「戸部が頑張ってくれたから、合唱祭でみんなと仲良くなろうとして、それはダメで高校卒業できなかったけど、あの時があったからこの会にも呼ばれたわけだし、なんだかんだ社会の片隅で生きていけてるし、お前には感謝しかないよ」
照江は軽く俺の肩を叩いた。手の温もりも美しさも高校時代のまま、照江は大人になっていた。
「ちびっこにレッスンつけてるんだけど、めちゃくちゃなんだよ。でもそこが楽しい」
そんな事を言うほどに、照江は大人だった。長めの前髪をかきあげた左手に、光るものが見えた。
「照江、結婚したの? 」
そう問う俺の声は、きっと震えていた。でもお互い酒が入っていたので、気にならなかったらしい。
「あ、まあ、そんなとこだよ」
照江は少しだけ声を低くした。
「ロスにいた時にできた彼氏。作曲家なんだ。日本来たいっていうから連れて帰ってきた」
俺はどんな顔をしてその報告を聞いていたんだろう。俺自身にもわからない。照江はニヤリと笑うと
「俺、高校の頃は戸部のこと好きだったんだよ、今だから言えるけど」
そんなことを言った。照江の中ではもうすっかりカタがついたことなのだ。俺にとっては違うけど。照江勢一は人の悪意には敏感な男で、俺の歪みも見破ったが、肝心なところではいつも鈍感だった。俺が何も口に出さなかったから、当然の帰結ではあるのだが。
その晩は俺も照江もしこたま呑んで酔っ払い、照江には迎えがきた。車の中にいたのは、例のロサンゼルスの作曲家だったのだろうか。俺には覗き込む勇気はなかった。
俺はコンビニで発泡酒を買って帰り、うっかり風呂を沸かし、給湯器のバカみたいに軽やかな『エリーゼのために』に泣きながら吐くはめになった。こうして、俺の初恋は終わった。
俺の失恋した男とその男が弾くピアノの話 刻露清秀 @kokuro-seisyu
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