ⅤーⅩ

 薄い月光に照らされる中、松明たいまつを灯して、静かにエルフの兵士達が森へと帰るために草原の街道を南下していく。

 徒歩のエルフ達に混じり一人だけ栗毛の馬に騎乗しているエルフの横を、リュカは歩いていた。


「いやぁ、助かりました」


 リュカは明るく馬上の女性に話しかけた。

 彼女は最近この街道に居着いたあの大梟を討伐するため、隊を預かって森から出てきたのだという。


「さすがに俺もちょっと覚悟しちゃいましたね」

「覚悟?」


 女性は顔を前に向けたまま、視線を斜めに落とすようにしてリュカを見た。たったそれだけの動きで銀糸のような長い睫毛が月光に煌めく。


「あなたの格好、それも何かの覚悟?」

「ああ、これですか……」


 リュカは腕を広げ、自分の着ているファキール王国の近衛騎士このえきしの装束を見て、にこりと笑ってみせた。


んですよねー」

「なるほど。あなたが選んで着ているのならば余計な口は挟まない」


 女エルフは頷き、再び正面を見た。


「てっきり人間共に良いように使われて、たった一人で大梟の退治につかわされたのかと」


「そんなイジメられてませんって。あの鳥の存在自体がまだ人間の町で知られていないんだと思いますよ。噂にもなっていませんでしたから」


「そう」

 何とも素っ気ない返事であるが、エルフというものは大抵がである。リュカは懐かしさと諦観が綯い交ぜになったような気持ちで笑顔を作る。

「そうですよ。もし話を聞いていたら俺だってもう少し準備をして来ます」


 リュカは視軸を上げて、夜道の先を見た。

 自分達の歩む先に、今はまだ遠く、夜の海のように黒々とした森の影が横たわっている。


 リュカはしばし話題を探すように目を泳がせた後、馬に乗る相手の様子を上目遣いに確かめて、仕方なしといった口調で「エレオノール様」と呼びかけた。

 女エルフエレオノールは無言のまま再びリュカを目線だけで見下ろす。


「スタニスラス様はご健勝ですか?」

「無論」

 女は簡潔に答えたきり、それ以上の雑談をすることはなかった。



 夜から朝へと空が転じる少し前。まだ植物すら眠っているような時間に、エルフ達は樹海の入り口へと到着した。


 エレオノールは樹海の手前でひらりと馬を降りた。

 リュカも、他のエルフの兵士達も立ち止まる。

 森の入り口には古びた石標が置かれていた。

 岩を切り出して四角く作られた石標は苔むしてつたに覆われ、表に彫られていた文字も隠れてしまっている。それはかつてこの森の奥に精霊石が安置されていた時に、王都ファキーリアからやって来る人間達が道標として設置したものだった。


 エレオノールは馬のくつわを引いて、人間達の置いた石碑を通り過ぎて森の中へと歩みを進めていく。馬の息遣いとエルフ達の静かな足音と下草の鳴る音だけが響く。

 周囲のエルフ達の何人かが持つ松明の明かりでは闇を払いきれないが、ぼんやりと暗闇に浮かび上がる苔と下草に覆われた道らしき跡は、森の奥へと伸びて、さらに二股に分かれていた。

 その分岐点、傍目はためには自然石にしか見えないいびつな二つの岩が、斜めになって互いを支え合うように立っている。

 二つの岩の周囲には木が生い茂り、蔦が這っていた。岩が互いに支え合って出来た人一人が通り抜けられる程の隙間から、ずっと奥に暗い森が続いているのが見える。


 彼女は手綱を持っていない方の手のひらを、岩肌にひたりと当てた。


開門ウヴァティア


 岩の間に見えていた森の奥の景色が、さざ波がたった水面のように揺らぎ、すぐに元に戻った。

 エレオノールは馬の口を捉えたまま、岩と岩との間をくぐり抜ける。リュカがそれに続き、後に続くエルフ達も次々とそれに倣って、岩の門をくぐっていった。

 彼らがくぐったはずの岩の反対側には誰一人として出てくることはなく、それまでと同じ気味の悪い樹海の夜だけが取り残された。

 うつと精霊の世界の狭間はざまに住まう者達。それがこの森にエルフが暮らしていることをファキール王国に暮らす誰もが知っていながら、実際にそこに辿り着いた者が極めて稀な理由であった。


 エルフ達は言う。

 我らはこの世界で最も精霊と寄り添って生きる者である、と。

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精霊国異記 〜黒き月の剣士と死にたがりやの魔法使い〜 相馬みずき @souma-mizuki

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