輝輝坊主

常陸乃ひかる

軒下から見る庭は逆さだった

 童謡・『てるてる坊主』のメロディをいつも忘れる。

 のみならず、歌詞も忘れる。

 理由はたぶん、てるてる坊主を吊るす習慣がなくなってしまったから。

 てるてる坊主より、端末に頼った方が、確実に天気がわかるから。



 ――ひとりは、雨は嫌いとつぶやいた。

 もうひとりは、雨が好きとうそぶいた。

 さらにもうひとりは、雨がやんだら仕事がなくなると自嘲じちょうした。

「洗濯物が乾かないとお母さん怒るし。だって生乾きの臭いも、あぁヤダ」

 少女は、雨が嫌いだ。兄に対して、恨み言をつぶやいた。

「雨音は落ち着くんだよ。こーゆー日は家でダラダラしてんのが良いんだ」

 少年は、雨が割と好きだ。妹に対して、さも当たり前のように説いた。

『昨日から雨ですからねえ。こういう日こそ傘を差して、あるいはカッパを着て、外に出てみるのもではないでしょうか。テレビを観ても心が沈んでしまいますよ。きっと、美空ひばりさんの追悼特集で持ちきりでしょうし……』

 平屋の軒下。てるてる坊主が、自分を生み出してくれたこの家の兄妹に対し、申し訳なさそうにさとした。


 平成元年。六月二十五日。

 たまの日曜日なのに外は湿っており、しかも家の雰囲気も湿っている。この兄妹の父母は起床するなり、魂が抜けたように、

「今日はなにもしない……」

 と宣言した。

 兄妹には理解できなかったが、それほどまでに衝撃的なニュースが、居間で何年も鎮座するボタン式テレビで流れているのだ。

 兄妹の目線の先――朝だというのに、緑と透明のツートンカラーをした吊り下げ照明が、居間でチラチラしている。湿気によって重力が増した世の中は、別世界のワープさながらに心が躍る。このあと何十分も、何時間も、ずうっと陰翳いんえいがつきまとうのだ。考えただけでワクワクが止まらない。

 なのに、なぜ人間はわざわざ明かりを求める?

 あぁ、先週から『取り換えなきゃ』と再三ぼやいていた蛍光灯が、また消えかかって、しばらくして――また点いた。やはり橙色のナツメ球だけが、いつも最後まで生き残る。常夜灯は予兆なく急につかなくなるのはなぜだろう。


「てるてるぼーず てるぼーず あーした てんきに しておくれー。あっ、でも朝のニュースでは、そのうち雨やむって! 兄ちゃん晴れたらどっか行こ!」

「ヤダよお前と行くの。それに天気予報なんてアテになんねえよ」

「えー? えええぇぇぇ? けーち!」

 今にも軒先のきさきから落ちそうな雨粒。

 気まぐれに覗いてみると、逆さまの庭が、いびつな球体いっぱいに広がっている。その、なんとも言えない具合が硝子工芸品のようで、てるてる坊主は兄妹に教えてあげようとした。が、ふたりの背丈では見ることが叶わなかった。

 そうこうしているうちに、次第に雨が強まってきた午前十時。軒先の雨粒たちが滝のように荒れ狂い始めると、きゃっきゃと騒ぐ兄妹の手で、広縁ひろえんに面する戸が閉められてしまった。

 こうなると、もう兄妹ふたりの興味は雨にはなく、

「なあ、オレがこないだ作ったすごろくやろうぜ。カレンダーの裏に描いたんだ」

「なにそれ、つまんなそー! 見せて見せて!」

「あれ、サイコロどこだよ! 母ちゃん、サイコロどこしまったの!」

「今テレビ観てんの! 静かにしなさい! あぁもう、なんでこんな若さで……」

 激動の昭和から新たな時代へと歩んでゆく、日本のどこにでもある家族が、ひとつ屋根の下へ、賑やかに蟄居ちっきょした。

『――おや? そろそろ、私も真面目に晴れ乞いをしないといけませんかね』

 次第に、ティッシュペーパー製のてるてる坊主は、誰の目も届かない軒下で、身体ばかりがぐっしょり濡れ、水分で重くなり、斜めに傾いて、今にもなりになってしまった。

 あぁ、もしかすると童謡の三番の歌詞はこういう意味だったのかもしれない。

 昼下がりになると、み空が青くなった。

 てるてる坊主の笑い顔は崩れきって、黒くくすみ、お膳を拭くにも使えない、雨水だらけの不用品になっていた。晴れ乞いの儀式が終わったあと、てるてる坊主はゴミ箱に放られてしまう。

『少しだけ……ほんの少しだけ時代が進めば、私たちに頼らない日が来るのでしょうか? 新しい年号は平成であります……とは、なかなかオツなもので。あと何年続くのやら。物寂ものさびしいですが、私はそれを知る前にお別れです……』

 そうしてお天道様がふたたび顔を見せ、太平を照らした。



 ――令和元年。六月十五日。

「お兄ちゃん? てるてる坊主の童謡あるじゃん、あれの歌詞ってなんだっけ?」 

 リビングのソファ。活発性のない少女が、スマートフォンを右手につぶやいた。

「え? えーっと……あーめあーめふーれふーれ――あ、コレちげぇ……」

 リビングのローテーブルに肘をつき、こちらも端末をいじりながら少年が答えた。

「でしょ? 忘れるの。理由はたぶん、歌う季節がピンポイントすぎるから」

「というより今はスマホで天気調べるから、てるてる坊主が必要なくなって、歌も忘れられたんじゃね? ほら見てみ、午後から晴れるってよ」

「おぉ? お兄ちゃんにしては珍しく賢い」

 妹が兄を馬鹿にする、現代のシステム。

 どこの家庭にもある光景は、会話の滞りに行きついた。妹が「電気消して」と指示すると、兄が「へい」と一言。スマートフォンを操作して、リビングのLEDを消した。そのうち兄妹はスマートフォンをテーブルに寝かせると、気だるくも心地良い手持無沙汰に身を委ねてしまった。

 リビングの隅では、プラズマだか有機ELだか、よくわからない名称のテレビが、ホコリを被ったままブラックアウトしている。現在、なにも映像が流れていない理由は、雨音のリラクセーションを阻害するから。

 昨今、それほどまでにテレビの需要がない。


 すると、家の廊下を移動する重めの足音がふたりの耳に届いた。ほどなく、老けた父がリビングに入ってきて、

「なんだふたりとも、たまの土曜日なのにダラダラして」

「こんな雨じゃ、どこも行けないっつーの。あそうだ父さん、てるてる坊主の童謡あるじゃん。あれの歌詞って覚えてる?」

 兄は、機転を利かせて父に話題を提供した。

「えーと……なんだったかな? お前ら、で調べれば出てくるだろ?」

「違うんだよねえ。思い出す途中でスマホ使うとか、マジ無粋なんですけど?」

 父と兄をちらりと見たあと、妹が便乗するように苦笑した。

「な、なんだなんだ天気はスマホで調べるくせに。それに天気ひとつとっても、お父さんの子供の頃はなあ、ボタン式のテレビでニュースを観るくらいしか――」

 また始まった、父の昭和自慢である。生き抜いてきた時代は平成のくせに、生まれたのが1970年代だからといって、意気揚々と昭和長談義ながだんぎを始めてしまうのだ。

 変わり続ける浮世で、生き方を変えられない人も居る。

「うざ……。てかテレビで天気調べるとかマジ不便じゃね」

「言ってやるなよ。ホラ、父さんは昔話をしたい年頃なんだから。それより、てるてる坊主でも作って励ましてやろうぜ。ヘコませたままじゃバツが悪いから」

「あたしら、親孝行してんじゃね? じゃあ名前は、輝輝シャイニング坊主ボーイね」

「まさかのキラキラネーム」

「晴れだけに」

 変わらないのは、てるてる坊主の表情くらいなものか。

 子供は大方、てるてる坊主を笑わせたがる。

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輝輝坊主 常陸乃ひかる @consan123

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