海月スープ

高黄森哉

矛盾。


【問題】


 仕事が終わったんで都心から地方へ帰宅しよう。そう思ったときには終電の時間はとっくに過ぎていた。だから僕は、タクシーで帰ることとなった。ガラスを通して見る冬の夜空に、星々が零れんばかりに浮かんでいる。オカシナ話だな。都会の光は夜空から星空を駆逐したんじゃなかったのか。

 『残業をするような身分の人間がタクシー使うのかよ』と、窓の外から聞こえた気がしてレバーを回す。すると、冷たい夜の冷気がなだれ込んできた。窓から乗り出して車両の前後を確認するが誰もいない。高速道は、この時間にしてはすいていた。じゃあ、あの声は気のせいだったのかな。


「すみません。お客様、寒いので閉めてもらえませんかね」

「いいじゃないか。こっちは会社の暖房でのぼせちまったんだ」


 まったく、暖房が効きすぎるのも考え物だね。会社にはクレームを入れとかないと蒸し殺されかねんよ。それとも、そんな地獄でシャカリキに働くのが美徳かね。


「お宅の会社、まだ暖房付けてるんですか」

「まだって、今日は寒かったじゃないか」

「そうですかね」

「最近のは、嫌に寒い」

「そうですね」


 若いタクシーの運転手は顎をポリポリと掻く。この男は、やせ形で、理知的な顔立ちだが、そんな見た目に反して人懐っこく、ここまで、いくつもナゾナゾを出題してきた。に入ったあたりから、ネタ切れになったのか静かにしているが。


 黒いクラシックカーが低いエンジン音を響かせ、タクシーに並ぶ。


 はて、前後に車なんていなかったはずなのだが、まるで深海から浮上してきたように、突然現れたのだ。おかしいな。エンジン音も隣にくるまでしなかったが。


「私、運転なら負けませんよ!」

「止めたまえ、私が乗っているのだぞ。頼むから、若者、安全運転を心がけてくれよ」


 俺はもうオヤジなのだ。エンジン、水平四連の振動が腰に来る。いや、しかし、今の今までそんな痛みは感じなかったが。そうか、認識できないものはハナから存在しないのか。


「では、ゆっくり走りましょうか」

「ではって、何に対しての、ではなんだ」

「その代わり」

「ん? 何に対しての、その代わりなんだ」

「ナゾナゾを解いてください」

「またか。君はスフィンクスかなんかなのか。まぁ、よかろう。丁度、退屈してたんだ」


 トンネルに入る。まるで海底のような暗さだった。隣を並走する車は、深海魚のように黒い。暫く見ていると、水揚げされた深海魚が目ん玉をひん剥いたようにヘッドライトをボンネットから露出させた。確かあれは、リトラクタブルヘッドライト、とかいう奴である。


「ところでウミガメのスープ、って知ってますか?」

「説明せんでもいいぞ。もうミンナ、知ってるから」


 なんだか、さっきからヘンナ気分だな。どうもしっくりこない。ミンナ、って。僕と運転手以外にいないのに、なんで僕はわざわざそんな風に表現したのだろう。嫌だな、妙だな。


「説明させてくださいよ」

「嫌だね。時間の無駄だ」

「そうとは言わずに」

「じゃあ、代わりに私が説明しよう」

「あ、取りましたね。僕がストーリーテラーだったのに」


 ほっぺたを膨らませる。ふん、若いな。しかし、運転手のほっぺが後部座席から見えるとは、これはいかに。そう思ったまさにその時、ピカっと鏡が反射する。あっ、バックミラーか。


「問題を、YES NO で推理するんだ。これで十分だろ」

「じゃ、出題する前に、大前提をお話ししましょうか」

「先に問題を出せ」

「大前提に、この世界は、シミュレーションかもしれない、というのをご存じですか?」


 こいつ、俺の言葉を無視したな。まあいい、進めよう。


「ああ、そんな説もあったな。所詮、説でしかないがね」

「ええ、ゲームとかドラマとか、とにかく、この世界は虚構かもしれないんです」

「ドラマは違うだろう」


 ゲームのNPCみたいに、俺たちは理論で動く人形で、この世の物質は0と1で作られた情報でしかない。そういう考え方だ。どうしてか、若者のような例えが突然、浮かんでくる。


「そうでしたか。ドラマの世界も似たようなものだと思いますが」

「言っておくが、それが事実だという観測はされてない。だから、さっきも言ったとおり、所詮、説でしかない。それにだ、創作の人間に人権が付与されてみろ。ロビー団体が発足され、作家は迫害され、考えるだけで恐ろしい」


 シミュレーション仮説は、あくまで仮説の域を出ていない。だから、関係ない話である。


「でも光速度を超えられないのは、怪しいですよね」

「何が怪しいのやら」

「サーバーに負荷がかからないようにね、速度制限してるんです」

「まさか」


 そんな馬鹿な。単に物質が無限に加速する世界では、我々のような存在にとって都合が悪いだけだ。制約があって初めて知能を持った生命が生まれるのだ。制限の外れた宇宙は観測すらされない。だからそのような世界は、実質、我々にとって存在しえないのだ。光速に限界があるのも、地球が調整されたように都合がいいのも、我々の都合であって、決して世界の都合ではない。


「それにほら、人間の入力は、デジタルなんですよ」

「アナログの間違えだろう、馬鹿」


 デジタルとは断続的な情報のつながりを指す。人間の処理はシームレスにされているのでアナログであるといえるだろう。


「見てください、外を。ほら、あのスポーツセダン」


 そこにはシューティングブレイクのセダンが、地面を這うように滑っていた。


「それがどうかしたか」

「リムですよ。リム」


 隣のホイールを凝視する。すると、ホイールは逆転し始めた。ゆっくりと逆向きに回転する。それは、コマ送りの映像の中で、物体が逆向きに回転する錯覚を起こすのと、まったく同じだった。


「デジタルでしょ。視界からの情報はコマ送りなんです。もしかしたら人間がじゃない、世界の方がなのかも」


 ようやくトンネルを抜ける。


 トンネルを抜けると、そこは雪国であった。ライトに照らされた範囲。その空中にボタン雪が、海に漂うゴミのよう。並走するのは深海魚、夜空に輝く提灯アンコウ。さらに浮上で尾を引く気泡、巨大なウミガメ、嘴ひらけ。甲羅の縁から天の川で、それはそれは、絶景だった。

 ガラス細工の海月の群れが、ハイウェイを埋め尽くす。ボンネットに柔らかくぶつかると、結晶の破片が宇宙塵のように煌めいて砕けた。そう言えばと、思い出す。俺は忘れてたことがあったのだった。


「ところで、問題はどうなった。海亀のスープとかなんとか」

「ええとですね」




【この後、突如、世界が終わりを迎えたのだが、一体何故か?(下に答えあり)】











 ・答え


 この話がカクヨムに投稿された話だからだ。あの世界は確かに、あの会話の後で突然終わった。作者のオチを放棄する心によって。

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海月スープ 高黄森哉 @kamikawa2001

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