解決編

「ハイハイハローワールド! どうも、ウエゲです! 今日は先日お休みしたぶん気合い入れていこうと思ってまして、今発売されたばかりの超話題のコンビニスイーツ、七色プリンを全部食べ比べて一位を決めたいと──」

 インターフォンが鳴ったのは、既に夜九時を過ぎた頃だった。ユウジはうんざりしながら立ち上がると、カメラをみて訪問者を確認した。

 大きく画面いっぱいに、三条つばめの顔が広がっていた。げっ、と声に出そうになったのを押し止めると、ユウジはなんとかよそ行き用の態度を装い、マイクのスイッチを入れた。

「どうしたんですか、三条さん」

『あら、ウエゲさん! ごめんなさいねえ、こんな夜遅くに。もしかしたら寝ていらっしゃるかとも思ったのだけれど、いても立ってもいられなくて──どうしてもお話したいことがあるのだけど、よろしいかしら?』

 インターフォンはマンションのエントランスにある。まさかとは思うが──余計な話をそんなところで大声で話されたりしたらたまらない。ユウジはそう考え、仕方なくエントランスを開くための開閉キーを押して、つばめを招き入れた。

 そこで、ユウジは妙案を思いついた。そもそも三条に余計なことを言わせなければ良い。それに、いずれレンのことが露見すれば、余計な波風が立つことは想像に難くない。ファンというものは、どんな悪徳を起こした時でも、迅速に正直に対応した者を好むものだからだ。



 つばめは五分後には部屋の前まで到着していた。

「三条さん、お一人ですか?」

 ユウジが入り口からあたりを見回すと、エレベーターの前に彼の部下──デコの広い女が陣取っていて、こちらに向かって手を振った。

「またどやどやとお邪魔するのはそれこそうるさいでしょうから。今回は私一人でお邪魔しますわ」

「そうですか。……実は今、生配信をしてるところでして」

 つばめは少しだけ驚いた様子を見せたが、リビングへ興味深そうに入っていくと、カメラを見つけ、それをしげしげと観察した。

「……これ、もうカメラ動いてらっしゃるの?」

「画面の右側見てください。コメントと視聴者数が確認できます」

 現在の視聴者数はなんと五千人。カウンタは今もなお回転し続け、増え続けている。

「ウエゲさん。配信は控えた方が良いってお伝えしたと思うのだけど」

「すみませんね。クセみたいなもので……」

「しかし……これで世界中に配信されていくのねえ。どうも、警視庁捜査一課の三条つばめです〜」

 つばめは堂々と名乗ると、カメラに向かって笑顔で手を振った。刑事であることに驚いた声も多かったが、概ね好意的なコメントが殆どだ。

「それで、大事な話って? あっ、みなさん聞いてくださいよ。三条さん、俺のこと疑ってるんですよ。よりによって、隣に住んでるうちの社員が亡くなったのを、俺が殺したみたいに……」

「あら、待って待って。困るわよお、ウエゲさん。疑うだなんて、とんでもないことだわ」

 そう、そういう他ない。

 現役の事件を捜査する刑事が、よりによってネット上で容疑者を怪しいだの疑うだの言えないはずだ。必ず日和る。うまく自分の疑いを外すような発言を引き出せれば、なお良い。ネット上にある正しさは簡単に覆せない。なにより、世論から警察に対する批判を引き出せれば、警察自体の動きも緩慢になるはず、とユウジは考えていた。これが仕上げ──つまりは動画で言うところのエンディングパートだ。勝ち筋は見えた。

 いや──そもそもそうなるのも当たり前のことだ。レンが死んだことは、俺には関係ないのだから──。

「疑ってるんじゃなくて、確信を持ってるのよ。あなたが天田レンさんを殺したって──」

 つばめはまっすぐこちらを見据えて、こちらを見た。一瞬、背中に冷や汗が伝った気がした。今なんと言った?

「確信? それは、なんで──」

「天田さんは、自殺なんかじゃないわ。ウエゲさん、あなたが殺したのよ。自殺に見せかけてね」

「そんな──ちょっと待って下さいよ。そんな馬鹿なこと……」

「配信、止めなくていいの? コメントが凄いことになってるわ」

 もはや読めないほどのスピードで、コメント欄が滝のように入れ替わっていく。混乱。それはユウジも同じだったが──こうなればヤケクソだった。三条の持つ推理力がどれほどのものか、衆人環視の下で確かめてやる。彼は拳を握りしめ、カメラに向かって笑顔を偽った。

「面白い推理ですね。伺いましょう」

「あなたの会社の役員・天田レンさんは午前二時頃マンションのベランダから転落死した。このマンション、とってもロケーションが良い代わりに、監視カメラが少なかった。深夜だから目撃者もいなかった。結局、内蔵温度から計算した死亡推定時刻以外に、正確な死亡時刻は判明しなかったわ。でも、遺書は残っていた。亡くなる直前と思われる午前一時五十五分に、メールボックスの下書きとして残っていたもの。そして午前二時十分に、同じ会社の溝口さんに送られたもの──そしてその時刻、ウエゲさん、他ならぬあなたは生配信をしていた。こうしてアリバイは成立した。おそらく天田さんは自殺ではなく犯人にベランダから投げ捨てられたのよ。遺体のスラックスにはベランダで引きずられた跡が残っていたし、靴下には逆に埃が残ってなかった。誰かにベランダまで運ばれたのは間違いないわ」

「そんな……バカな。大体なんで俺だって決めつけるんです? 殺した証拠でもあるんですか?」

 つばめは部屋の中を見回して、指をさした。その先には、ガンボーイの姿。心臓が飛び出そうだ。運動なんかしていないのに息が荒くなってきて、ユウジは歯を食いしばった。

「ガンボーイ。いつも動画に映ってるわよね。今も映ってる」

「そ、それがなにか……」

「あの日の生配信には映ってなかった。どうしてだったのかしら?」

「そりゃ……掃除してたんですよ。いい加減汚かったし……」

 つばめはわずかに苦笑すると、話を続けた。

「掃除。ガンボーイだけを。……ま、いいわ。レンさんは頭を殴られたことで脳挫傷を起こして即死だった。誰かにそれだけ殴られた以上は、現場にはある程度血が飛び散るものよ。しかし、被害者の部屋には血痕は無かった──つまり、殺害現場はまた別のところにあると推測されるわ」

 三条の意図が読めてきた。つまりその殺害現場が、ここだと言うつもりなのだろう。ユウジはつばを飲み込み、なんとか立て直そうと拳を握った。

「三条さん。つまり俺の部屋が現場だと言いたいんでしょ。いいですかみなさん。三条さんは、この部屋……見えますかね、この血糊?」

 ユウジはカメラを動かして、三条と血糊がついた壁を一緒に捉えた。

「これが本物だとでも言うつもりなんです。でも、三条さん。今日の昼間にこれをルミノール検査で確認したじゃないですか。反応もでなかったから、本物の血じゃないってことは確認できたはずですよ」

 つばめはとんとんと壁を叩いて、乾いた血糊をなぞった。

「そのとおりよ。本物じゃなかった。わたしねえ、実のところ言うと、血糊で本物の血を隠すために、あんな生配信をしたんじゃないかと思ったの。ま、それは違ったわけだけど……」

 つばめは壁を見るのをやめて、くるりと振り向いた。

「ところでえ──ウエゲさんは今、ちょっと前に壊したポルシェを自力で直しているわよね? 私も見せてもらったわ」

「……それが何か」

「車のバッテリーって、中に液体が入ってるらしいわね。大抵の場合丸ごと交換すれば大丈夫なんですって? あなたもそうしてらしたわね」

「だからそれが何か!?」

 ユウジは思わず声を荒らげてしまうが、カメラが──全世界の人々が自分を見ていることを思い出し、できるだけ冷静な態度を心がけた。

「……すみません。分からないな、三条さん。その質問に何の意味があるんです」

「バッテリー液というのは強酸性なの。物をあっという間に酸化させる効果がある。これを血液のあとにかけると、血中の鉄分が酸化して──ルミノール反応を発生させないのよ。ウエゲさん、ガレージでバッテリー液の空の容器があったわよね?」

「まさか、バッテリー液を調達できるからなんて理由で、俺を殺人犯にするんじゃないでしょうね」

 つばめは首を振り、薄く笑みを浮かべた。

「それだけじゃ証拠としては弱いわよねえ。でも、大事なことなのよ」

「大体、仮に俺がそれで血を消したとして、俺がここでレンを殺したって答えになるのは飛躍しすぎでしょ」

「そうなのよ。そこで、もう一つの疑問が重要になってくるの。遺書よ。レンさんのスマホには遺書が残ってた。レンさんの部屋が殺害現場でない以上、あのスマホが置いてあったのは不自然よ。誰かがあそこに置いたということになる」

「それが俺だと?」

 ユウジの怒気を孕んだ問いかけにも、つばめは優雅に笑いを浮かべるばかりだ。

「証拠はあるんでしょうね、そこまで言うなら。この放送を見ている全員が証人だ。言葉には気をつけてくださいよ」

 つばめは唇をとんとん指で叩き、その場を少しばかりうろついた。

「あなたの部屋、白い家具が多いわね? どうして?」

「そりゃ……清潔感があるし、ライティングの関係で白いほうがいろいろ潰しが効くんです」

「レンさんの部屋は逆だった。黒い家具ばっかりなの。部屋の中はものが少なくて、掃除ロボットが毎日うろついてたみたいね。その代わりに、ベランダにモノが多くてびっくりしちゃったわ。スキー板とかサーフボードとか……アウトドア派だったのかしら?」

「関係ないでしょう、今そんな話は」

「あら、ごめんなさいねえ。で、あの部屋の掃除ロボットは毎朝六時にタイマーがセットしてあったの。……で。鑑識がその中から見つけたのが、このゴミなのよ」

 小さいビニール袋の中に入っていたのは、毛先が赤く──他は黒く細長い繊維だった。

 なんでもないものに見えたのは、一瞬だけだった。見覚えがある。思い当たる節がある!

「毛先についているのは赤い塗料だった。鑑識は簡易検査でチェックしたら血じゃなかったってことで、保存だけしてたの。……でこれ、さらに調べてもらったのだけど……もとは『炭化した白い繊維』だったそうなの」

 息が荒くなったような気がした。あくまでそういう気がするだけだ。心臓だって普通に動いている。落ち着かねばならない。動揺すれば気取られる。

「バッテリー液は強酸性。繊維にかけると一気に水分が抜けて、焦げるの。うちの部下がここの検査をした時、妙にじゅうたんがボロボロなのを気にしてたわ。で、私わかったの。あなた、このじゅうたんに落ちた血液をバッテリー液で消したのはいいけど、じゅうたんが黒くなってしまったんじゃないかって。第一にそれを隠すために、血糊を撒いてごまかしたんじゃないかってね」

「そ……そんなの関係ないですよ。じゅうたんの繊維でしょう。あいつの家に遊びに行った時にでも、入っちゃったんじゃないですか……」

「それはおかしいわねえ。あなたが生配信を始めたのは午前二時過ぎ。赤い塗料がついて、黒く炭化した白い繊維なんてそうそう無いわよね? あなたは午前二時から掃除機が動き出す午前六時の間にレンさんの家の中に入ったことになる。それはどうしてだったのか……思うに、レンさんのスマホでメッセージを送信したあと、それを家に置くためだったんじゃないのかしら?」

「デタラメだ! 三条さん、大体それは、俺がレンの部屋に入ったことの証明でしょ!? それに、メッセージを送ったのが俺だってどうして……」

「遺書には税金が払えないって書いてあったけど、他ならぬレンさんが既に支払ったそうなの。よって彼が書いたものではなくて、犯人が書いたものになる。それも、あなたの会社が税金を払っていなかったことを知っている内部の人間がね」

「それも、俺がやった証拠にはならないでしょう!」

「ん〜……そうなのよ。あなたがレンさんの部屋に午前二時以降に入ったからと言って、あなたが直ちに犯人だとは言えない。遺書の内容もまあ、あなた以外でも書けなくはない。でも『レンさんの部屋にはなかったもの』──凶器があなたの部屋にあったら別よね?」

 つばめはもう既に笑ってはいなかった。こちらを見据える目は鋭く──ユウジはもう逃げられないとすら感じていた。

「ガンボーイ。生配信に映ってなかったのは、映せなかった理由があったんじゃないのかしら? 例えば、レンさんの血にまみれていたとか」

「……三条さん」

「血を落とそうとしても、スーパー合金製のガンボーイに、バッテリー液なんか使ったら錆びてしまう。例えば代わりに、コンタクト洗浄液とか使ってたんじゃないかしら。でもビショビショのガンボーイなんか、格好が……」

「三条さん──もうけっこうです!」

 ユウジは自分でも驚くほど大きな声を出していた。コメントがポップする音が、まるでマシンガンを放つように続いた。終わった。全てが。しかし、彼はなぜだか妙に晴れやかな気分ですらあった。

 彼は黙ったまま、カメラに向かって手を振って、配信を終了させた。

「……三条さん。どこからです。どこから俺が怪しいと?」

 つばめは指紋をつけないようにハンカチでガンボーイを挟んで、宇宙を征くように空を駆けさせていたが、ユウジと目を合わせることなく、その疑問に応えた。

「朝、自販機の前で会ったとき。あなた、私がうるさくて申し訳ないって言ったとき、なんの捜査なのかって方に食いついたわ。ここ、防音なんだから余計にだけど──普通『別に音なんかしてない』とか『気にしてない』って言うものよ。それでピンと来たのよね。この人、警察が来たら捜査の内容を気にしなくちゃいけない人なんだって」

 最初から負けは決まっていた。そう思うと、なんだか余計に力が抜けてきて、ユウジはソファにどっかと座った。そして、目の前にあるカメラとパソコン──その先にいる視聴者に思いを馳せた。

 もはやウエゲを支持する人間はいないだろう。しかしこの最後の配信は、とんでもない反響を生んだはずだ。どのくらいのプレビュー数だろう? 高評価数は? SNSの反響は? それがどうにも諦めがつかなくて、ユウジはつばめに聞いた。

「三条さん。刑務所の中ではHOMETUBEは使えますかね?」

 つばめは慎重にガンボーイを元に戻してから、振り返って笑った。

「必要ないんじゃないかしら? あなたは動画を作る側の人でしょ。見るだけじゃ多分飽きちゃうわよ」

 それを聞いて、ユウジはなんだか笑えてきて──つばめと顔を見合わせて笑った。最高の生配信だった。HOMEチューバー・ウエゲの逮捕前最後の配信は、大成功に終わったに違いない。数字を見なくてもよくわかる。

「じゃ、行きましょうか」

 つばめは手を玄関へ向け、先を歩くよう促した。ユウジはソファから立ち上がって、カメラの電源を切り、ノートパソコンを閉じた。



『海のそばで殺された夢』 終

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三条つばめ警部補のお別れ 『海のそばで殺された夢』 高柳 総一郎 @takayanagi1609

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