第二章 龍の勇者

 戦士の旅立ち



 それは、まだ空に龍が飛んでいた頃のお話。


 俺の故郷は、ちっぽけな村だった。しかも王国の外れにあり、王侯貴族からは、爪の先ほどにも気にされちゃいない、辺鄙な村。しっかり年貢を納めらるだけの収穫だけは、きちんとあった。たいした飢饉にも遭わず、のほほんと過ごすことができた。


 村の関心事といえば、交易に来る商人たちが話す外のこととか、日々の他愛もない話とか、そういったことばかり。


 魔王や魔物への対処に慌ただしい王都とは反対に、ひどく穏やかなところだった。


 毎日毎日、俺はどうしようもなく変わらない日常が、少しだけ退屈だった。一方で、すくすくと育っていく農作物に、満足感と達成感を抱いていた。


 汗水垂らして、腰を痛めるくらいに曲げて。

 近所のジョーもアンもメイおばさんや父さん母さん、だれも彼もがない交ぜになって、ひとつの田畑を。ひとつの土地を耕していく。

 そこには年齢差とか、性別とか、多少の違いはあれど、みんなが生きるためにひとつとなって働く。そういう一体感があった。

 俺はそんな雰囲気の故郷が、嫌いではなかった。


 俺には夢があった。

 それは、この村を出ること。この村が嫌だからじゃあない。心地が良いから。だからこそ、外を見たいと思っているんだ。

 きっと、ここより素晴らしいところはいくつもあるだろう。ここの方が暮らしが豊かだというところもあるだろう。

 色んな世界を知って、それをこの村に役立てること。そのために村を出ること。それが俺の夢だ。



 ある日の晩、ひどく天気が荒れた。風が唸り声をあげ、雷鳴が叫び、雨が号泣する。嵐と呼ぶにふさわしい夜だった。

 俺は農作物のことが気になって仕方がなかった。いくら支柱があるとしても、悪天候なかでは、農作物がだめになってしまうだろう。


「父さん、畑を」

「行くな」

「なんでだよ!」


 話す合間にも、風や雨が窓を強く叩いている。


「何か、良くないことが起こりそうだ」

「良くないこと?」 


 母さんが、不安げな面持ちで聞き返した。


「ああ」


 それきり、父さんは口を閉ざした。

 直後、雷鳴が轟き、窓に奇妙な影がよぎった。


「なんだ、あれはっ!」

「どうしたの?」

「母さん、いま窓に何かが」

「なんのこと?」


 見たこともない形をしていた。一瞬の出来事だったが、その生き物の形を、俺ははっきりと記憶した。


「あれは、カウホーン角牛ロスター雄鶏のような家畜動物じゃあない。もっと大きなものだ」

「きっと、樹木かなにかと見間違えたのよ」

「……そうかもな」

 

 父さんのように、母さんの不安を煽るようなことはあまりしたくない。

 やはり農作物のことは気がかりだったが、俺は寝ることにした。


 その晩、おれは夢を見た。

 はじめに見えたのは、たなびく雲が朝日を迎えはじめた空だった。気付けば、俺は村の講堂を少しばかり広くして、天井をなくしたかのような。そんな場所にいた。


 いつの間にか大きなモンスターがおれの目の前に現れて、聞きおぼえのない言語でこう言った。


『お前は、選ばれた』


 はじめて聞く言語だ。と感じたが、おれはそのことばの意味を頭の奥で理解していた。それと同時に、おれはそのモンスターに対して、恐怖とは別の感情を抱いていた。

 なにに、と言葉を紡ごうとして、声が出ないことに気付いた。そんなおれを気に留めず、モンスターは言った。


『さあ、勇気ある者よ』


 ごお、と強い熱気が俺の背を押すように吹いた。モンスターは赤く発光し、キバを見せた。


『飛び立てッ!』


 そこで夢は、別の場面に移り変わった。

 俺は村にいた。村には皆がいた。俺だけが固定されて、景色だけがつぎつぎと切り替わっていく。


 白い屋根の講堂。週末に、日々の恵みの感謝を込めて、祈りを捧げる場所。ときおり吟遊詩人がやってきては、講堂で歌を披露する。そんなときは誰もが作業の手を休め、ゆったりと歌に耳を澄ます。

 青い旗が目印の宿。商人たちや旅人が泊まるところ。畑や田で穫れた中でも特別に良いものを、彼らに振る舞う。代わりに、俺たちの手に入らない海の幸や山の幸を、彼らに振る舞ってもらう。

 俺たちの田畑。いつもいつも育て、耕してきた場所。ちょうど、西の方では赤い悪魔と呼ばれる実がなっていた。

 俺は何気なく、それをひとつ口に含んだ。ぷちぷちと細かな種が弾けていく食感が、なんとも言えなかった。



 その夜が、我が家で眠る最後の夜だった。

なぜならば翌日、俺は勇者として旅立つことになったからだ。


 いまでも、あの日を鮮明に思い出すことができる。素っ頓狂な声を上げ、目を丸くする神官。どよめく中で、ぼう然とする両親。


「まさか、あなたが……!」


 いつの間にか俺の首元には、8の字型にとぐろを巻いた未知のモンスターの入れ墨があった。それは、戦士の紋章だったらしい。


「龍の戦士、だなんて……!」


 そのモンスターは、龍と呼ばれた。龍は、おれの夢に出てきたモンスターにとてもよく似ていた。


 この辺鄙な村で、勇者、つまり俺……という存在が誕生するなどとは、だれも予想しなかった。そもそも、鑑定をする神官が訪れることさえ、予想外のことだった。

 この辺鄙な村に訪れるほど、王都、いいや国が、勇者という人材を欲していたのだ。  


「行って来る」

「必ず戻ってきなさい」


 勇者として、村を旅立つ前に。父と交わしたのは、重くて短いひと言。


「待ってるわ」


 射貫くような目で、そう発した母。

 俺はただ、ふたりの言葉を無言で受け取った。このときは、すぐにまた会えると思っていたから。

 勇者などと言うのは嘘っぱちで、きっとなにかの間違いで、すぐに戻ってこられると。


 俺はおろかにも、そう信じていた。

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