龍に添える花 (完)

 俺は片腕のまま、木陰から木陰へ移動する。俺の背を、南の太陽が凝視していた。背が燃えるように暑い。俺は俺自身の影を追いかけるようにして、森の奥……北を目指す。



 幸い、この森は『白き龍』の縄張りだ。だから、ほかのモンスターは棲息していない。まさか闖入者あの龍がいるとは思わなかったが、例外はそれくらいだろう。


 また、ゲオルグさんが解いていなければと仮定すると、この森には結界が張ってある。ゲオルグさんには術士の才もあり、モンスターの現れそうなこの森に、ある程度の結界を張って町を護ってくれているのだ。

 あの人は、利用するためだけに紫陽に優しさを向けた。しかし、あの人はただ大事なもののためにしただけに過ぎない。


「紫陽……」


 痛みが、俺のなかを駆け巡る。考えないように、感じないように、動揺しないようにしていたはずの心が、だんだんと震えていく。

 俺がいま、帰ってきたところで。もうそこにはだれもいない。これからの日々を考える。散らばった資料、散らかった部屋、夜も朝も1人で食べる飯。誰のために、竜を狩ってきたんだろうか。

 そこに広がるのは、無音の空間。


「なんでだよ……」


 応えてくれる声は、どこにもない。

 駆けつけることも、一目見ることも叶わなかった。脳裏に、あの紫色の瞳が映る。

 想像の中でその瞳が、苦痛に歪む。そして、記憶の中でその瞳は、笑って泣いてときには怒って、照れたときには目尻が赤く染まる。



 あいつがはじめて二足で歩き始めたのは、あいつを拾ってから三年後。あいつがはじめて言葉を使い始めたのは、それから二年後。

 ぎこちない舌を回して、あいつは俺の名を呼んだ。しゅーろぉ、と。その頃には、俺にもよく懐くようになっていた。

 あいつが俺の背を超えたのは、つい数年前のこと。それまで紫陽は、俺を見上げなくてはならないほどの背丈しかなかった。また声も高く、まだまだ子どもの体だった。


 俺は紫陽を肩車することができたし、背負ってやることもできた。あの頃は、まだまだ小さかった。

 あいつはよく、興味のおもむくままに行動しては、町で迷子になった。そんなとき、俺は足が棒になるまで探し続けて、やっとの事であいつを見つけてきた。


「びぐっ、見づげるのがおぜえよ、じゅろう゛……」


 さんざん泣いて、泣いて涙声になって、そのまま紫陽は疲れて眠る。それを俺が背負って帰る、ということを、いつもくり返していた。成長するにつれ、あいつが町を知るにつれ、そのようなことは無くなってしまった。

 嬉しい反面、寂しかった。

 もうあいつの、親ではいられないのだと。そう、実感してしまったから。


 それでも、まだまだ精神的には未熟な面があった。紫陽は町の人々の親切に、裏があることを気付いていなかった。

 人々はおそらく、ゲオルグさんが紫陽を利用しようとしたことを知っていた。

 紫陽は、人を疑う、ということをあまりしない。だから、きっとゲオルグさんについて行ってしまった。思いもしなかったろう、自分が『龍』のために育てられたと。


「どこだーッ、どこだ、紫陽ッ!」


 だが、どんなに捜したとしても。あいつは。紫陽はここには、もういない。この森でなく、俺の家にもいやしないんだ。


「お前が、泣きはらした顔のまんま寝ちまったら……俺が、俺が背負ってやるから。お前がどんなに大きくなっても、俺の背を超しても、俺はッ」


 あいつとの思い出は、あいつと過ごしてきた分だけつくってきた。その間に俺は幾数百のモンスターを狩った。

 あいつのために。


 俺は竜狩りとなってから、死ぬ覚悟を常に背負ってきた。だが、あいつに死なれることへの覚悟なんて、ほとんどなかった。


「俺は、お前の親なんだ、紫陽……」


 俺は目頭から、なにかが溢れていくのを感じた。それはたしかに熱を持っているのに、一方でひどく熱を奪うような冷たさがある。

 胸の奥から、片腕に走る痛みとは別の、もっと鋭い痛みを感じた。


「うああああっ」


 叫んだ。


「うあああ、うあっ、あああああっ」


 どうしようもなく。止めどなく。叫びが飛び出したのだ。共鳴するように、空の上から咆哮が届いた。


「グルアアアアッ」


 だがそれは、俺とは明らかに違う叫びだった。快哉の叫びだった。自由の叫びだった。叫んだのは『龍』らしきモンスターだったが、幸いこちらには気付いていないようだった。


「お、落ちるっ!」


 木陰に隠れた。すると、空の上の『龍』がだんだんと降下しはじめた。不自然にバランスが崩れている。よく見ると、『龍』の体からは、雨粒のように血が垂れていた。

 だんだんと激しい風を伴って下降速度は加速していき……『龍』は空から消えた。


 俺は走り出していた。『龍』の落下地点を目指し。追いかけなくては、と思った。駆けつけるべきだ、と感じた。なぜならば、『龍』が空から消える直前、紫色の光がきらめいたように見えたから。



 そこにいたのは、横たわる『青き龍』だった。『龍』は体が本格的に弱ってくると、ウロコが剥がれ落ちていく。『青き龍』も同様に、青々としたウロコが周囲にこぼれている。紫色の瞳からは色が抜けていき、夜明け前の空のように、薄らと白ばんでいく。


「紫陽……?」


 なぜか、あいつの名を呼んでしまった。

 あり得るはずがない。『青き龍』が紫陽であるはずなど、まさか。

 だが、俺の声に応えるように、『龍』は身じろぎをした。それは微かな動きだった。たった一度の反応だった。


「紫陽」


 それでも、縋らずにはいられなかった。俺は『青き龍』を揺さぶった。


「紫陽ッ」


 ウロコが剥がれ、あらわになったのは人によく似た皮膚だった。大きなキバが縮んでいく。引き換えに、『龍』の色素はするりと抜け落ちていく。


「し、しよ、紫陽ッ」


 声が震えた。

 その骸は、その肉体は、紛れもなく俺の息子だった。俺はそのときはじめて。感情がない交ぜになるとき、行き場のないすべての感情は、叫びとなって心を枯らすと知った。


 俺はほんとうに、手遅れだった。


 『青き龍』……いいや、紫陽と交戦していたときは、手遅れだ、と言いつつも希望を持っていた。だが、ほんとうに手遅れだった。


 俺はただ、のんきに狩りをして、のんきに家で帰りを待っていた。あいつが利用されていることは知っていたし、それを止める気でいた。

 楽観視していた。きっと上手くいく、と。


 結果、どうなったか。

 紫陽の布は、穢された。

 紫陽は、なぜか『龍』となった。

 そして紫陽は、もういない。

 

 紫色の瞳から、光が消失した。



 俺は懐から、故郷の花、紫陽の種子を取り出した。『龍』に奪われた故郷から、唯一手もとに遺しておくことができた、たったひとつの種子。


 紫陽は美しい紫の花弁をさかせる、無害な花だ。しかし、その種子には。毒性がある。俺はゆっくりと、それを飲み込んだ。


「うっ……」


 体の中から、なにかが芽吹いてく感覚がした。それは根を張り、葉は胃袋を突き抜け、ツタは細かな神経に絡みつくようにして、すくすくと育っていく。

 破壊を与えられたはずの体は、なぜかひどく暖かい。

 せり上がる、熱くて鋭いものが。


「うおっえ……」


 胃液ともに吐き出したそれは、紫の花弁だった。


 


 

 





 




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