龍を知る男

 息を乱しながらも森にたどり着いた。木々のさざめきが、いっそう不気味さを強調する。

 俺は以前、ここに来て『白き龍』を見た。『白き龍』は大の男が二人束になったような厚みで、大きさは大の男が三人ほど。

 素人のあいつが、一人で戦えたとは思えない。


「どこだ、どこにいるんだっ!!」 


 無駄なことだとはわかっていた。しかし叫ばずにはいられなかった。『白き龍』の住処には、その龍の体液らしきものとウロコが飛散していた。

 まるで、『白き龍』が体内から破裂したような、そんな印象を受けた。

 ヒトらしき肉片はのこっていなかった。その事に俺は安堵した。だが同時に、が起こったのではないか、という考えが過るよぎる

 そして紫陽をさがす為、俺はなおも叫んだ。


「紫陽、どこだ紫陽!」


 声を枯らすほどに叫んだ。しかし、応答はない。先ほどの考えが、またも過るよぎる

 諦めず、より森の奥深くへ潜ろうとしたとそのとき。


「グルアア!」

 ごおお、と強い風が吹き抜けた。

 聴こえてきたのは、『龍』の咆哮だった。

 その咆哮のなかに、何か意味のある音が混ざっていたような気がした。

 だが、所詮は気のせいだ。俺は紫陽の捜索から、『龍』の討伐に思考を切り替えた。

 一方で音を立てぬことに気を割きながら、他方で増援を呼ぶべきか吟味する。


 その『龍』は、青いウロコをもっていた。

 どうやら、この『龍』は小型らしく、俺の背丈より少し大きいくらいしかない。……このちいさな個体が、あの大きな個体を襲った、ということだろうか。

 とにかくは、『龍』の足止めに取りかかることにした。

 まず、ジャックナイフを『龍』の瞳に一投。

 どんな生物でも、まず奇襲の際には視界を奪うに限る。ウロコで周囲が固められた、『龍』や竜などの場合はとくに。

 避けられた。二投目は、『龍』の右翼を掠めた。ナイフの軌道上にあった木葉が、ぱっと散った。


「やはり……『龍』だな」


 狩るべきモンスターを観察しながら、俺は『龍』に関する情報を振り返った。

 『龍』は厄介な存在だ。竜との最大の違いは、翼が生えて空を飛べること、そして息吹ブレスを吐くこと、の二点だ。 

 また、『龍』は竜よりもさらにウロコが硬い。その突破口となるのが、『逆鱗』……竜のころから生え代わらぬ、唯一のウロコ。

 一般的にそれは『龍』の額、眉間のあたりにあるものだが、この『龍』には見当たらない。不自然だ。


 とつぜん、『龍』が口になにかを咥え、こちらに向けてそのなにかを放った。一瞬、息吹ブレスかと身構えたが、そのなにかは、ただの布だった。

 よく見ると、俺の故郷の花紫陽とともに、Sという字を象った刺繍がされていた。たしか以前、あいつが縫ったものだ。……ということは、もう純粋な白とは呼べないこの布は、ゲオルグさんに手渡していたはずの、紫陽の布だ。

 ああ、つまり。それが意味することに気付き、自然とナイフを握る手に力がこもった。そして俺は、左腕に布を巻いた。肌身離さずもつために。

 

「間に合わなかった、お前が」

「グルァアア!」

「お前が、紫陽を!」 

 

 先ほどとは違い、俺と『龍』を隔てる木はない。こちらが狙われ負傷する危険は高いが、同時にヤツにナイフが命中する確率も高くなる。

 三投目のジャックナイフは、『龍』の右翼を捉え、そのまま地面に固定させることができた。

 『龍』は流血の痛みに呻いた様子を見せる。


「妙だな、反応が鈍い……」


 思わず俺は呟いてしまった。一般的に、竜はもちろんのこと『龍』の気性は荒い。このような状況に置かれた場合、ふつうは息吹ブレスを吐いて抵抗するものだ。

 しかし、この目の前に居る『龍』は、そのような動きをいっさい見せない。抵抗する気がないどころか、敵対する気すらないらしい。

 だが、俺がこのモンスターの優位に立てた、ということはあり得ない。なぜならばこいつは空を飛べる。

 また、なぜかこいつには『逆鱗』がない。ひょっとしたら、通常とは差異のある個体なのかもしれない。俺はより観察するため、『龍』に近付いた。 

  そのとき、『龍』の瞳が、紫に光った。


「紫陽……遅れちまったんだな、俺は」


 紫陽の瞳も、紫だった。

 『龍』は苦しそうに体を上下させている。よく見ると、俺が付けていないはずの傷が、首元に刻まれていた。

 ここに来る直前に聞いた、ゲオルグさんの発言。……なにかが頭の隅で引っかかったような気がした、そのとき。

 熱く鋭い痛みが、血飛沫に遅れてやってきた。


「ぐあっ」


 かつん、と手からナイフが滑り落ちた。ジャックナイフを握っていたはずの手は、奴の口内にある。 

 たったいま、俺の一部は喰われたのだ。


「あっ、ああ」


 頭にろくな考えが浮かばない。激痛、と表現するよりも激しい痛みに、俺は意識を失いそうになった。


「グルルルアァン」

「ああ、はあ、はあ……くそっ」


 だが、左腕にまかれた布によって、なんとか正気を保つことができた。いつか学んだ応急処置を施したが、布は溢れる血を抑えるので精一杯だった。

 先ほどの様子はどこへやら、『龍』は血気盛んにこちらへ首を伸ばしてきている。


「グ……ルゥアア」

「俺としたことが……」

  

 紫陽のことに気を取られていたせいで、最優先事項を忘れていた。この『龍』を足止めすること。それがいますべきことだ。

 だが、この調子では俺が喰われてしまう。


「はあ、はあ……化け物め」


 俺はゆっくりと距離を取る。ここは森の入り口付近だ、町が近い。だからこそ、俺は森の奥深くに行く必要がある。血の匂いを追って、こいつはどこまでも追いかけてくるだろう。


 俺を見失った『龍』は、咆哮した。『龍』の咆哮には、三種類がある。一つは、仲間を呼ぶときの咆哮。『龍』にしかわからない音で鳴くらしい。一つは、感情を表すときの咆哮。こちらは、俺は聴いたことがない。

 そして、俺という獲物を探すためにこの『龍』は咆哮したらしい。

   

 がさがさ、と周囲の木々が揺れる。そのなかには、俺の匂い袋が仕込まれた木が混ざっている。

 ぼう、と『龍』は激しい息吹ブレスを吐いた。ここはという性質をもつ奇妙な森だから被害はないが、町の方ならば大惨事だ。

 俺はさかさずナイフを投擲した。痺れ薬を塗ったものを使うべきだったが、あいにくいまは持ちあわせていない。

 

「所詮、力ばかりがお前らの取り柄だ」


 『龍』は翼で防御していたが、傷を付けることはできた。もとからできていたらしいあの首元の傷、そして俺が付けた傷によって、このモンスターはもう助からないだろう。


「……じゃあな」


 なぜ、こんなことを言ってしまったのか、俺自身よく分からない。ふつう、モンスターには言葉が通じないのだから、言う必要がないのだ。

 そう考えてから、ひどく苦い味が口の中に広がった。








  

 

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