朱狼視点
竜を狩る男
「グカアアッ!!」
モンスターの断末魔が森に響く。
俺は上がった呼吸を整え、汗を拭った。
「今日は、二体か……」
血染めの特別製ジャックナイフで縁取るようにていねいに、竜の皮を剥いでいく。そしてぼろぼろとこぼれていくウロコを、麻袋の中につめこんだ。
竜はこの地に現れるモンスターの中でも、特段に厄介だ。なぜならば、幼いうちに狩らなくては『龍』になってしまう。
その狩りを生業としているのが、俺のような
「さて、あとは町のやつらにも手伝ってもらわなくては」
竜を倒すのは、俺ひとりでもなんとかできる。しかし、あの巨体なモンスターを解体する作業は、単独では無理だ。
ウロコを回収した二体の竜の骸に、俺は布をかぶせた。
これで、今日の仕事は終いだ。
「紫陽、帰ったぞ」
俺には、息子がいる。血は繋がっていないが、たしかな信頼関係を築く、息子がいる。
「……また町を散歩しているのか」
家には、俺とあいつのふたりだけ。だから自然と、あいつはいつも町へ出かける。それは仕方のないことだが……明日は、因縁の日だ。
「おお、資料が整理されている」
おそらく紫陽が整えてくれたんだろう。
俺はコーヒーを飲みながら、ゆっくりと昔について振り返ることにした。
俺が紫陽を養子にしたいきさつは、あいつ自身にある程度伝えている。しかし、どこの馬の骨とも知れぬ赤子を、男の俺が迎え入れた訳は、あいつには伝えていない。
見た目はふつうの赤子と変わらなかった。だからはじめは、俺ではなく世話好きの町民のひとりが、紫陽を引き取る手はずだった。
彼女は赤子の紫陽に乳をやろうとしたが、紫陽はいっさい口に含まなかったらしい。
それでもなんとか代わりのものを食わせたが、紫陽は日に日に痩せ細っていく。
結局、はじめにあいつと出会った俺が、あいつの世話をすることになった。
その頃は、まだ俺は竜を狩っていなかったし、あいつにはまだ紫陽という名をつけていなかった。
俺は、紫陽の育児に散々手こずった。育児慣れしている町民ですら手に余ったのだ、俺が何かをしたところで、あいつの偏食は治らなかった。
また、あいつはあまり人に懐かなかった。唯一懐いていたのは、俺ではなく町長のゲオルグさんだった。
ゲオルグさんは、流れ者の俺にも優しくしてくれる、とてもいい人だ。彼は武に優れていたので、モンスターから町を守ってくれていた。
紫陽の母親が俺の家を訪れたときも、彼は悪天候のなかで必死にモンスターと戦っていた。
そんな彼は、懐いてくる紫陽を邪険に扱わず、むしろ積極的に甘やかしていた。
「ゲオルグさん、どうしてそんなにあいつを甘やかすんですか」
「……あいつとは、あの子どものことか」
「ええ」
「お前は、あの子どもの正体を知っているか?」
「正体?」
「ああ。あの子どもはな、ただの無力な子どもではない」
「どういう、ことですか」
そして知った。あの雷の晩、ゲオルグさんは『龍』と戦っていたことを。そして、『龍』のそばに、純白の布に包まれた赤子を抱いた女がいたらしい。つまり、紫陽とその母親だ。
「あの女は、おそらく『龍の巫女』だ」
「巫女……」
巫女とは、古来より人間の恐れるモンスターや、異形の神々に仕える乙女のことだ。たしかに、獰猛なモンスターたちの中でもとくに危険な『龍』のそばにいて無事なのは、巫女くらいのものだろう。
「あの子どもには、何かがあるぞ」
「……そう、ですか」
そのときの俺は、ゲオルグさんの話に対して半信半疑だった。だが。
「何を食べているんだお前はっ!」
「あぎゃあ!」
ゲオルグさんからもらったお土産の戦利品をしゃぶりはじめた紫陽をみて、その話が事実なのではないかと思うようになった。
「やはりな」
「ご存じだったんですか!?」
「……子どもが食べたものは、なんだと思う?」
「戦利品、魔物のツメやキバ、素材ですよね?」
「ただの魔物ではない。あれは、竜のウロコだ」
「なんですって!?」
竜のウロコは、ひどく硬い。その硬度は、鉱石に匹敵するほどだ。
「いままでわしがあの子どもに与えていたのは、魔物の素材だ」
「だが、あれらには毒が!」
「《龍の巫女》たる女の子どもが、親の血を受け継がぬと思うか?」
「まさか、生まれつき魔物に耐性があるんですか!?」
「そうらしい。とにかく、あの子どもは使えるぞ」
そう言うと、ゲオルグさんは歯を見せて笑った。
「……使える?」
「そろそろお前も、狩りをするべきだ」
一本のナイフを渡された。
「竜を……、ですか」
「いいか、まずあの子どもに名前を付けろ」
「なぜですか?」
「名で縛れ、お前に懐かせるんだ」
懐かれていない原因のひとつは、それだ。とゲオルグさんに指摘された。たしかに俺は、それまでおいとかお前とかそう言う言葉でしか呼んだことがなかった。
そして付けたのは、『紫陽』。俺の故郷でよく採れた、花の名前だ。日の光を浴びて輝く、美しい紫紺の花。俺の故郷の特産品だった。あいつの瞳の色はあの花によく似ていたから、そう名付けた。
龍に故郷を燃やされてからは、もう何もかもなくなってしまったが。
「……遅いな、紫陽」
そういえば先日、ゲオルグさんに赤子のときの紫陽が身につけていた布を手渡した。
嫌な予感に駆られた俺は、ゲオルグさんのもとを訪ねることにした。
道中で、さまざまな町民に紫陽の居場所を聞いた。するとみな、口をそろえてこう言った。町長がどこかへ連れて行った、と。そう答えた誰もが、とても嬉しそうに笑っていた。
「ゲオルグさん、紫陽のこと……」
「知っているとも」
「どこにいるんですか!?」
「お前も、知っているだろう?」
ああ、知っていた。なぜなら俺は、いいや俺とゲオルグさんは、龍を倒すためにあいつを育てたのだから。
「だが、まさか本気で上手くいくとッ」
「考えているよ、わしは」
「あいつに愛着はないんですか、もう二十年の月日が経った!」
俺は力を込めてゲオルグさんを見つめた。彼は俺の視線を受け止めながら、つばを飛ばして叫んだ。
「その間に何体の竜が現れたッ」
「……」
「限界があるだろう、ただのヒトであるわれわれには!」
そう、俺は薄々わかっていた。紫陽を利用するほかないと。紫陽はゲオルグさんの言うとおり、ヒトではない。魔物の素材を食して生き残れるのは、ヒトではない何者かなのだ。
「紫陽はいまごろ、『白き龍』の腹の中だろう」
かつて、ゲオルグさんはこう言った。『毒をもって毒を制す』、と。
「『龍の巫女』にはな、龍は決して触れられない。では、その子どもを龍が喰ったら、どうなるのだろうな?」
彼はなんの感情も含まない瞳で、こちらを見つめ返した。
「こんなところで無駄な時間を過ごすなど、ずいぶん余裕だな、朱狼?」
皮肉に皮肉で返す余裕などはない。
ナイフのつまった麻袋を背負ったまま、俺はゲオルグさんの家から飛び出した。
「朱狼、わしは見たよ。あの子どもが喉元に噛みつかれていたところを」
飛び出す直前、ゲオルグさんのそんなひと言を聞いた。
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