エピローグ そして下界の民ノリトくん

太陽が2個あるのもいいもんだ

 徳斗は母方の祖父が入院する病院を訪ねていた。

 病室ではベッドに横になるほかは変わらず、元気そうに新聞を読んでいる。


「じいちゃん、見舞いにきたよ」

「おぉ、徳斗。久しぶりだな」

 徳斗はベッドのそばにあった丸椅子に腰掛ける。

「じいちゃん、神社のことなんだけどさ。俺やっぱり、ちゃんと継ぐことにしたよ」

 しばらくは黙って孫の顔をじっと見ていた祖父は、やがて静かに新聞を畳む。

「無理に決めなくていいんだぞ。それはお前の本心なのか?」

「久しぶりにじいちゃんの神社を見てさ、朽ち果ててくのは気の毒だよ。誰が管理してもいいんなら、俺がやりたい」

「田舎で衣食住にも困ることがある。それでいて、人口が減るだけの小さな町の鎮守だ。当然ながら寄進や初穂もほとんどない。徳斗も食っていくために別の仕事をしながらになるかもしれない。それでも良いのか?」

 祖父と面と向かって会話をするのも照れ臭い徳斗だが、笑みを浮かべてうなずく。

「俺には太陽の神様がついてるからね」

 孫の発言の真意は咄嗟に理解できずにいたが、祖父もまた笑顔で両手を叩く。

「これで決まりだな。あぁ、やっと引退できそうだな」

「まだだよ。俺は大学一年生なんだから。一応、神職の学課はぜんぶやっておきたいからね。じいちゃんのリハビリの間は、俺も通って管理するけどさ。あと三年は頑張って貰うよ」

「そうか、わしも励みが出来たってもんだな」

 自分の素直な想いが祖父の生きる活力になったのならば、徳斗も本望だった。

「そんで、ゆくゆくはじいちゃんちに住まわせて貰いたいんだよね。ほら、東京では親父の土地にあったアパートに住んでたけど、あそこが無くなったじゃない? どうせ神社の管理をするなら、こっちに引っ越すのが楽だろうからさ」

「そうしなさい。どうせわしらの時代はすぐ終わる。お前が好きに使えばよい」

 病室の窓からは暖かな陽光が差し込んでいる。

 季節は冬へと向かっていたが、うららかな日々が続いていた。



 徳斗は祖父との語らいを終えて、病院を出る。

「おーい、徳斗」

 すでに病院前のバス停で待っていた稚姫が手を振る。

 最初は慣れなかったものの、ここ最近ようやく見慣れた、同い年くらいにすっかりと成長した彼女の姿だ。

「悪い、遅くなったわ」

 二人が神社に到着すると、本殿の木戸を開く。

 先日のタケミカヅチとの激闘の痕が痛々しく、畳には大穴が空き、障子の張り紙や壁の木材の一部が剥がれていた。

「ここの補修をしないといけないな。金も時間も掛かるだろうなぁ……それに俺は、日曜大工は苦手なんだよ。バイトも増やさないといけないし」

「なんで? お金ならあるよ」

 稚姫はツキヨミから預かった預金通帳を取り出した。

 やはりそこには徳斗が見慣れないゼロがたくさん並んだ金額が記されている。

「うげっ! おい、これって……」

 彼女の下界でのサポートとして創られた和歌サン・プリンセス社は既に解散していた。すでに民をあざむくための術も解かれ、法人登記の痕跡は一切無かった。

 加えて、神でなくなり下界に降りた稚姫には、もはや四貴神としての後ろ盾もないはずであった。

 さらに徳斗が住んでいたアパートはタケミカヅチによって崩壊し、更地になっていたので、彼らはもっと築年数が経過した小さなワンルームのアパートに身を寄せ合い、慎ましやかに同棲を始めたのだった。


「そのお金はあたしの退職金みたいな感じだって。下界で活動する神様の生活費は、お初穂でぜんぶまかなえるって前に言ってたでしょ? このお金もそうみたいだよ」

「えっ、そうなのかよ。でも俺たちにこんなに金は要らないよなぁ。せめて社が修復できるくらいの金額がありゃいいんだよな」

 すると稚姫は大きく腕を広げて、丘の周囲を見回す。

「ねぇ、徳斗。ここに桜の苗木を植えようよ。この丘が春になると桜でいっぱいになるくらい、たくさん植えよう」

「それはいい金の使い方だな。桜の森で桜守りの鎮守っていうのもアリだろうし。そしたら少しはこの寂しい町も話題になるかもしれないな」

「じゃあここが桜のキレイな神社になる頃には、徳斗も立派な神主さんだね。そしたらあたしが巫女さんかな?」

「ワカは社の祭神だろ……あ、そっか。もう神様じゃないんだよな。でもまぁ、俺にとっては神様と巫女を兼務するってとこだな」

 周囲に植えた桜が満開になった美しい景色を想像する二人。

 稚姫は、静かに徳斗に身を預ける。

 それに応えるように、徳斗は彼女の背中に手を回した。

 はにかんだ様子の稚姫と、互いの視線を絡ませる。

 すると彼女は静かに目を閉じた。

『こ、これってようするに、してくれってことなんだよな、きっと……』

 徳斗は緊張に震える指先で稚姫の両肩を抱き、顔を寄せていく。

 互いの唇が重なるまで、あと少し――。


 ぶしゅーっ!

 突然に水蒸気や間欠泉が一度に大量に吐き出される音がした。

 思わぬ異変に、徳斗は音がする方を向く。

「く、く、く、くち、口吸い……」

 そこには真っ赤に染まった顔面を両手で覆うミズハが立っていた。

「あわわ……私、お邪魔でした……よね? ごめんなさいっ!」

 彼女は慌てて丘を駆け下りていこうとしていた。

「ええっ、ミズハさんじゃないすか! なんでここに居るんすか?」

「あたしが呼んだの。徳斗とお出掛けするから一緒にピクニックしようって」

「つーか、なんでワカはまだ神様と交信できたり、姿を見れたり出来るんだよ!」


 今度は丘の下からクラクションが聞こえた。

 そこに停車していた一台の乗用車。

 その窓から手を振るのは見慣れた美女の姿。

「ハーイ。お久しぶりね、坊や」

「トヨウケさんまで! どういうことっすか?」

 彼女は車から降りると、悠然と丘の上の鳥居に繋がる石段を昇ってくる。

「坊やがこっちの方に引っ越すんでしょ? 今後も姫様に食材を届けに来るから、道順を調べるために下見にきたのよ。そうしたらミズハちゃんが石段を駆け下りてきたから、どうしたのかなって」

「俺らの引っ越しってまだ三年も先の話ですよ! いったいどうなってるんだよ、こりゃあ……」


 さらに、上空で旋回していたカラスが鳴き声をあげる。

 カラスの背中から一気に飛び降りるや地面に華麗に着地したのは、以前と同じように茶髪のアフロパーマと目にも鮮やかな原色のシャツとパンツ、おもちゃの鼻眼鏡を着けたツキヨミだった。

「ハーイ! ワカっちが元気そうにしているか、見に来たよ」

「おわ! 兄上も来てくれた!」

 目の前でわいわいと雑談を始める神々に、頭を抱える徳斗。

「ちょっと、どんどん増えちゃってどういうことっすか! そりゃあ、またみんなに会えたのは嬉しいっすけど」

「ミスターノリト。もちろんワカっちも今は神でなくて下界に降ったとはいえ、元は神族だ。言っても四貴神の末の子だよ? もしワカっちに何かあったら神罰でキミの首と胴体が離れてるかもしれないよ。ちゃんと末永く妹を幸せにしてくれたまえ」

 タケミカヅチに斬られた恐怖が蘇った徳斗は、冗談には思えないツキヨミの軽口に顔色をみるみる蒼くさせていく。

「言わば、キミと僕は義兄弟かな? これでホンモノのお兄さんになったね」


 石の階段を昇りきったトヨウケが徳斗の前に立つと、ぐっと顔と上半身を寄せて、彼のあごを指で撫でる。

「これからも坊やに会えるなんて、嬉しいわ。ねぇ、憶えてる? 出会った頃に約束した、頑張った坊やへのご褒美をまだあげてないわね?」

「いやぁ、その……とんでもないっす。こっちこそ助けてもらってお世話になりましたから。もうケガはだいじょうぶっすか?」

「そういう優しさが坊やのいいところよね。でもね、女の子はいつでも待っているんだから、男なら優しいだけじゃなくて、たまには押し倒さないとダメよ」

 彼の背中に手を回すと、ふくよかな胸を押し付けてきた。

 困惑した徳斗が視線を稚姫に向けると、タケミカヅチに狙われた時にはトヨウケにずいぶん助けられたと彼から聞いていたので、敢えて稚姫もわざと気づかないふりをして、ぷいと横を向く。


 ミズハは非常に彼女らしい柔らかな笑みを浮かべて両手を重ねた。

「またこうしてワカちゃんと一緒に皆様ともお会いできるなんて、光栄ですね」

「オッケー。みんな揃ったんなら、ここでランチにしようよ」

 ツキヨミは上空に向かって指笛を吹く。

 途端に急降下してきたカラスは、黒服の八田に姿を変える。

 その両手には大きな紙袋を何個も持っており、購入した総菜や主食のケータリングのほか、酒やジュースなどの飲料もあった。

「すごい、兄上! パーティみたいだ!」

 今までと何も変わらず稚姫を囲む神々の姿に、徳斗も特段の狼狽は無かった。

 だが、これまでの太陽神の遷座事件や荒御魂の返還、さらに決死の逃避行や自分が斬られた事を踏まえると、彼には腑に落ちない感情が渦巻いていた。

「これ、けっきょく何も変わってなくない?」


 小春日和の陽光に誘われ、輪になって食事をする一同。

 その中心で、皆の太陽は今日も最高に輝いていた。



 おしまい

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太陽が2個あってもいいじゃない! 邑楽 じゅん @heinrich1077

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