人を棄てる人

蔵尾鈴

第1話

 ✕✕✕✕年。地球温暖化による海面上昇が進み、世界中の陸地は年々その面積を減らしていた。北極南極の氷は溶け、人類は残された僅かな土地を巡って争うようになった。だがある時、某学者が考案した計画書が各国元首に提出される。計画書を見た元首達は「何と素晴らしい!」とその学者を褒めちぎったらしい。そして計画は政治の裏で大衆に隠されて行われることになる。「世界人口安定化計画」と称して。


 朝6時きっかり。目覚ましのアラーム音が白い自室に響く。二度寝三度寝したいところを堪えて、私は起き上がる。枕元のモニターを見ると、今日の仕事内容が書かれている。今日は一人か。早く切り上げられそうだ。仕事を終えたら行きつけの店でケーキでも食べようかな。そんなことを考えながら、私はクローゼットを開く。と言っても大してしゃれた服は無い。今日も今日とて黒いTシャツとジーパンと、良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景。ちなみにTシャツには「休日は正義」と書いてある。なあに、別に上司に喧嘩を売ってる訳じゃない。ファッションは人それぞれだろう?

 武器をいくつか適当に装備すれば、身支度は完了だ。朝食は…面倒だからカップ麺と野菜ジュースで良いだろう。不健康上等、効率重視だ。洗い物も無いしね。

 さてパパっと朝食を済ませて歯磨きをすれば後はもう家を出るだけだ。戸締まりをして、エレベーターに乗って下に降りる。

 マンションを出て程なくすると、「パールちゃーん」と声を掛けられた。この呼び方をするのは、一人しかいない。

「おはよう、国民番号7782433」

私を「パール」と呼んだ彼女―7782433は急にぶすっとした顔になった。ちなみに「パール」の由来は私が6月生まれだかららしい。

「パールちゃん、いい加減その呼び方やめてくんない?長ったらしいし、堅苦しいし」

何か別のカワイイ呼び方してくれないかなあ、と彼女は文句をつけてくる。面倒臭いな。

「じゃあ…メノウ、とか?」

これまた7782433の誕生石からとっただけの安直なものである。

「うん、全然いいよ〜!私メノウ!」

気に入ってくれたなら結果オーライだ。

 私達は横に並んで歩いた。私達は同業者なのだ。今日はどうやらたまたま私の目的地がメノウと近いところにあったらしい。

「それにしても相変わらずヘンな服だねぇ。完全にそれ上司煽ってんじゃん。こないだ着てたの何かさ…」

「『休暇寄越せクソ上司』?」

「そうそれ」

でも実際滅茶苦茶仕事が多かったんだから仕方がない。それに服で訴えた甲斐あってか最近は仕事が緩くなっているんだから後悔は無い。もっとも上司との関係この上なく悪化したのだが。

 そうこうしているうちに、目的地に行き着いた。

「それじゃあ頑張ってね」

「お互いにね〜」

さて、と。そろそろ気持ちを切り替えるか。装備の確認…よし、問題無し。次は本部に連絡だ。

「国民番号6100985です。廃棄対象の位置情報をお願いします」

『こちら本部、申請確認。半径2メートル以内に廃棄対象者を確認。自宅にいるものと予想』

「了解。これより廃棄作業にかかります」

私は目の前の建物を見上げる。どこにでもありそうな普通のアパートだ。

「部屋番号は確か、えっと…」

一人ブツブツと言いながら、私は階段を登った。


 その日も何てことのない一日が始まる…はずだった。全く、洗面所で顔を洗っている時に背後から銃口を向けられる日が来るなんて、人生何が起こるか分からない。驚き過ぎて声も出なかった。

「おはようございます、国民番2039330。随分と遅い起床ですこと」

鏡越しに目が合ったそいつはまだ二十歳にも満たないであろう少女。それでもその瞳は氷よりも鋭い冷たさを秘めている。

「本日をもって貴方の生涯はお終いとなります。世界の存続の為に、大人しく棄てられて下さい」

驚きと恐怖のあまり言葉を失う自分をよそに彼女は淡々と言葉を続ける。

「どうか私を恨まないで下さい、何しろ仕事なものでして。せめて冥福をお祈りしますわ…さようなら」

刹那、引き金が引かれ、弾が身体を貫いた。


 数時間後、亡き2039330の部屋には警察が、いや警察に扮した本部からの事後処理班が来ていた。

「いやあ、パールちゃん相変わらずテキパキこなすねぇ。しかも毎回即死させてさ、本当にもう見事だよ」

「そのあだ名、どこまで広がっているんです?」

顔見知りの作業員の言葉に、私は肩をすくめる。メノウの奴、自由というかなんというか。

「それでは、私はこれで」

「ああ、お疲れ様…ってそうそう、パールちゃん」

「まだ何か?」

「報告書の提出忘れたら駄目だよ?この間上の人がこぼしていたぞ。休暇の催促に励むより、報告書の催促に応じて欲しいってね」

「…善処します」

 アパートを出ると、仕事を終わらせて来たらしいメノウが立っていた。

「お疲れ様」

「お疲れ〜。パールちゃんはこれで仕事完了?」

「そうね、今日はもう終わりかな」

「いいなあ、私はこの後もう一件あるんだよねえ」

「そう、応援してるわ」

「うん…」

そう返事をするメノウは何処か悲しそうな表情をしていた。気のせいかな。その時はそう思ったけれど、私は間違っていなかったんだ。でもその時の私にはあんな事になるなど知る由もなく。「何のケーキ食べようかなあ」と呑気にも自分のご褒美について考えていた。

 さてさて、メノウと別れた後の私はケーキの味を心ゆくまで堪能していた。食べるだけで幸せになれるというのがスイーツの凄いところだ。あの時の私の浮かれっぷりはそれはもう恥ずかしい話でとても話せたものじゃない。しかもその弾んだ気持ちは例の勘が的中したせいでドン底に叩き落されている。ホント色んな意味で私はあの日を忘れはしないだろう。

 私が家に帰ろうとしていると、向こうから泣きじゃくったメノウが現れた。嫌な予感しかしなかった。何でさっき声をかけなかったのかと、自分をぶん殴ってやりたかった。

「メノウ…」

とりあえず呼んでみるものの、何て言葉をかければいいのか分からない。だからって無視するのは論外と言っていい。情けなくオロオロする私に気づいたのか、メノウは口を開いてとんでもないことを告白したのだ。

「パールちゃん…私、しくじっちゃた…。仕事、失敗、しちゃった…」

「え」

全ての思考が止まった瞬間だった。


私達の仕事にはいくつか決まり事があった。その数約100条。特に大事なのはズバリ「ミスをしないこと」。私の所属する組織は「世界人口安定化計画」を進めているいわばトップシークレット。当然表向きには存在していない。だからこそやらかせば、そこからバレて世間を騒がせることになるかもしれなかった。それを、メノウは破った。今後の処遇は明白だった。

「民間人に見られたの?それとも…」

「逃したわ、わざとね」

わざと?何かの冗談じゃ…。

「ハハ、狂ってるよね。自分でもそう思うわ。でも、」

「どうしても出来なかった」

メノウは涙を流したまま首肯する。

「でも後悔はしてない。ねえパール、私に弟がいた事は知っているでしょう?」

「ああ、確か何年か前に亡くなったっていう…、ってもしかして…!」

「流石だね、うんそうだよ。今回の対象者は男の子だった。丁度死んだ弟と同じくらいの。すごい純粋な澄んだ目で私を見てきて、そしたら、私、ワタシは…」

メノウは子供のように泣いていた。でも人付き合いが下手な私にはどうすることも出来ない。私が出来ることは…。

 私は拳銃を構えた。狙うのは勿論、目の前の彼女。規則を犯した彼女を私は仕事としてしなければならない。いつものように一発で決めよう、お互いの為にも。メノウはまだ泣いていた。でも目は真っ直ぐ私を見ている。心を捨てよう。

「国民番号7782433、規則第65条『任務遂行に失敗した者は早急に廃棄に回さなければならない。』に基づき、貴女を棄てます。異論があるなら言ってご覧なさい」

「無い」

「そう、では」

躊躇う余裕を与える間もなく、私は引き金を引く。同僚であり、友人だった廃棄対象者メノウは涙を流したまま、その場に倒れて動かなくなった。







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人を棄てる人 蔵尾鈴 @riddle0824

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