先生の指

 僕は駒台の上にいる。

 こんなことでは宝の持ち腐れだ。

「我が先生は寄せを知っているのか」

 僕の隣の金将は黙っていた。

「もう向こうに行きたいよ」

「お前なんてどこに行っても同じだぞ」

 隣の桂が食ってかかってきた。

「それはどういう意味だ?」

 みんな狭い駒台の上でストレスを溜め込んでいた。


 僕はこんな狭い場所で終わるのだろうか。

 この広い盤上に僕の活躍する場所はないのだろうか。

「我が先生は寄せを知らないの」

 一番隅っこにいる歩が小声でつぶやいた。

 やっぱりそうかも知れないね。

 戦力を増やすことは有効な手段であって、最終目的ではない。もしも、それを正しく理解していなければ、永遠に覇者にはなれない。

「駒を取ることしか知らないんだから」

 

 あふれるほどの駒台に置かれたまま、僕はすっかり忘れられていた。僕らはここに運ばれてくる一方で、ここから飛び立つものは誰もいない。表舞台から離れたここはまるで倉庫みたいだ。

「きっとこのまま終わるんだ」

 隣の金将は黙ったままだった。

 僕らがずっとこのまま動かずに終わること。それは敗北を意味する。残念なことに……。

「我が先生は勝ち方を知らない」

「いいえ。私たちは大事にされているのよ」

 香車が地の底から突き上げるように言った。


 僕が駒台にきたのは午前のことだ。定跡から少し離れたところ、棋譜の上には同銀と記録されている。僕はベクトルを変えて、我が先生の元へやってきた。激しい展開が予想された。活躍の機会はいくらでも訪れるだろう。(最終的に僕がどちらを向いていてもいい)棋譜は進み時間は消費された。しかし、僕の期待は裏切られることになった。取ることはあっても、使うことを知らない。そんな我が先生の駒台の上にいると、僕はもう自分本来の利きさえも忘れてしまいそうだ。

「僕って斜めに下がれたっけ?」

 あふれんばかりになった僕らが一斉に投じられる瞬間、我が先生は頭を下げることになるのだろうか。

(大事にされているだけ)

 もしも、あの香車の言葉が本当だったら……。

 出番は最後の最後にやってくるのかもしれない。それは本当に大事な時だ。いや、きっとそれは幻想だ。


 我が先生の細い指が近づく。僕の隣の金将に触れた。つかんだのではない。そっと触れてずらしたのだ。微かなスペースが僕の隣にできた。

「誰かくる」

 また新しい戦力がこの駒台にやってくる。

「もう乗り切れないぞ!」

 角さんの叫びは盤上までは響かない。

 我が先生の指だけが僕らの未来を決めるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【将棋掌編】明日を指して ロボモフ @robomofu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ