Ⅵ 宇宙時計

 確かに何かが動き始めている。彼らが仕掛しかけて来たのだろうか。医者が、診察中に患者の語った深層世界をクライアント自身にぶつけてくることなど常識ではありえない。彼らの目論見もくろみが何であれ、また、自分を導いて行こうとしている先がどこであるにせよ、一つだけ分かったことがある。鍵のひとつは友子ともこのようだ。それだけは間違いない。さもなければ自分があの深層風景にこれほど動揺する理由わけがない。そして、それならなおさら友子が何者なのかを確かめなければならなかった。この世界に彼女がいないというなら、もう一度、夢の中で会うまでだ。彼らから仕掛けられるのをただ待っているわけにはいかない。


友子ゆうこという名前に心当りがあるかい?」

 カウンセリングが始まると、ドクター古深こしんはその名前を突然口にした。

「ゆうこ … 」

 思いがけない展開に、友也の敵意は一瞬ひるむ。

「お母さんの話では、君のガールフレンドだったらしい。事故の二週間前に急病で亡くなって、それ以来、君は人が変ってしまったそうだ」

「その話はぼくも先日はじめて聞いたところです。でも、ぼくはここで二度ほど、確かに彼女だという人物を見ています」

「話はした?」

「いえ、彼女は病室には来ず、見舞いに来てくれていると看護師に知らされて待合室へ行ってみたら、うつむいたまま、ひと言も話さずに、詩の書かれた便箋を一枚くれるとどこかへ消えて行きました。そのあとにも、もう一度、迷い込んだ廊下の奥で彼女に会って、声をかけようとしたら、振り返ったとたん別人になってしまって悲鳴を上げて逃げて行ったことがありました」

「どんな詩だったか覚えているかい?」

「観覧車か何かの、悲しい詩です … 。でも、気味が悪くなって捨ててしまいました」

「彼女について他にも何か?」

「いえ、 … 、影の薄い、幽霊か幻影のような感じでしたし。ただ、そう言えば一つだけ、彼女の首に下っていたペンダントのことだけははっきり覚えています。小さなガラスの銘板に【いつかまた きっとここで みんなに会える】と彫りこまれていた言葉が印象的でしたから。それに … 」

「それに?」

「夢の中で見たあの子に —— 友子ともこに面差しが似ていたんです。でもドクター」

 友也は用意していた挑戦状をここぞと医者に突き付けた。

「もう一度、ぼくを友子ともこに会わせることができますか?」

「 … 君は私が、夢の内容を君自身に教えた事を不審に思っているのかな?」

 古深はたじろぐこともなく、例の子供っぽい光を宿した皮肉でいたずらな瞳を投げ返して来た。

「だが、そういう手段が効を奏するケースもあるのさ。患者クライアントが、自分の行いや夢をただ思い出したり、追体験したりするそれだけで、不安やおそれが解かれたり、ひとりでに目から鱗の落ちる場合もあるんだよ。たとえ、それが歪められたり変形デフォルメされた記憶であっても、ね、だが」

 古深は頷いた。

「いいさ、君自身がそれを望むなら、案内しよう」

 君自身?それは本当に自分の望みだったのだろうか?それとも、彼らの台本の中で、そう望まされているに過ぎない台詞なのか?だが、いずれにしろ他に行くべき道はない。もはや薬剤さえ必要なく、少年は古深の暗示に導かれて無意識の世界を戻って行った …


「お兄ちゃん、早く!」

 友子ともこが駆けて行く。ゴールデンウィークの動物園はまっさおな空を背負っていた。

「早く!早く!」

「待って!友子!止まれ!」

 友也が追いかける。チビのくせに何て速いんだ。遊園地の方へどんどん逃げて行く。追いついた時には両親からすっかりはぐれてしまっていた。だが、待ち合わせ場所は予め決めてあった。それにしても大変な人混みだ。

「乗ろう、乗ろう!」

 顔を火照らせて友子が袖を強く引っ張った。

 運よく観覧車の行列はそれほど長くない。ふたりとも、アトラクションの中で一番好きなのが観覧車だった。

「お兄ちゃん、切符、切符!」

 自分はただで乗れるくせに、待ち切れない友子がはしゃいで急きたてる。

「ほら」

 ポケットから乗り放題パスを取り出して安心させてやる。

「まだかな、まだかな」

 順番が近づいてくると、友子はそわそわ、ドキドキ、降りてくるゴンドラを数えはじめた。赤、青、黄色、緑、白、紫、オレンジ …

「どれかな、どれかな … 」

 そうして待っている間もずっと、小刻みにぴょんぴょん跳びはねている。

「あーぁ、緑だ」

 緑も嫌いじゃない。でも、一番乗りたかったのはその次の黄色のゴンドラだったのに …

 けれど、ふたりのすぐ後にいた若いカップルが、がっかりした友子の様子を見て、「先に乗せてくれる?」と笑いながら譲ってくれた。

 レモンのような箱に乗り込んで、係員が外からドアを閉じる。少しずつ、少しずつ、ゴンドラがのぼって行く。並んで腰かけて、ふたりは思わず笑顔を見合わせた。ここにふたりがいることなんて、もう誰も知らない。

「見て!」

 友子が叫ぶ。

 持ち上って行く床の向こうにキリンが見えている。その隣は象たちの広場だ。ジェットコースターがいきなり目の前を切り裂いて消えて行き、メリーゴーランドは、はや、眼下の夢の世界だ。

「海だ!」

 街並みの向こうに突然海が広がった。嬉しさのあまり、友也は腰を浮かせる。はるかな沖にタンカーがひとつ、銀色の航跡を連れている。

 ゆっくりと、ゆっくりと、ゴンドラは空を目指して進み、それに合わせて蒸気オルガンの音楽が、「宇宙時計」のメロディーを延々と巡らせて行った。オットセイの鳴き声が、もうあんなに遠くなる …

 

 


   誕れたとき

   揺りかごを失った

   まあいいや

   観覧車ゴンドラが一周すればまた会える


   絵本がとじて

   三日月を失った

   まあいいや

   観覧車ゴンドラが一周すればまた会える


   子犬を捨てて

   神様を失った

   まあいいや

   観覧車ゴンドラが一周すればまた会える


   嘘をついたら

   友達を失った

   まあいいや

   観覧車ゴンドラが一周すればまた会える


   金曜日に

   妹を失った

   まあいいや

   観覧車ゴンドラが一周すればまた会える


   ある日突然

   仕事を失った

   まあいいや

   観覧車ゴンドラが一周すればまた会える


   恋人が死んで

   昼だけ残った

   まあいいや

   観覧車ゴンドラが一周すればまた会える


   きのう街頭で

   ボタンを失った

   まあいいや

   観覧車ゴンドラが一周すればまた会える


   からっぽの空と海


   でもいいや

   いつかまた

   きっとここでみんなに会える




 それは「可愛いアウグスチン」と同じように恐ろしい歌詞だったのに、曲はどこまでもあどけなく愉し気に、大ぞらをゆっくりと切り続けて行くのだった …




       ( ※ 「宇宙時計」の自作曲はこちら → https://

           詩の言葉に当てた童謡ではなく、イメージ曲です )



 

 

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後の風景 友未 哲俊 @betunosi

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