公衆電話

小丘真知

公衆電話

小学4年生になる息子がおりまして。



あれは学習塾からの帰りだったと思います。

T字路で信号待ちをしてると、助手席に座る息子が「あれって電話?」と聞いてきたんです。

歩道でぼんやりと光る公衆電話を指差していたので、そうだよと答えましたが、そうか息子は知らないんだと思いました。

ほとんど見なくなりましたよね。

スマホが普及して数が減っているとも聞いています。

ですが、最近は防犯上、公衆電話の重要性が見直されているらしいので 、今度使い方を教えてあげるよ、と約束しました。

物珍しいことが好きな息子なんで、「やったー」なんて言ってましたね。

それにしても今は便利です。

検索すると最寄りの公衆電話の場所がわかるんですから。

自宅の近く、歩いて15分ほどのところに公衆電話があったので、犬(ココア)の散歩ついでに息子と二人で公衆電話まで行ってみたんです。

いつもの散歩コースをまわって、坂が続く住宅街の道路を登っていくと公園があり、そこから道がY字に別れていくんですが、その別れ道のところに公衆電話がありました。

さっそく使わせてみたんですが。

当たり前といいますか、受話器を上げてから10円硬貨を入れることとか、知らないんですよね。

自分の携帯番号しか覚えていないので、どこにも電話できないですし。

私が子供の頃は、自分の家と仲の良い友達の番号くらいは覚えていたものですが、携帯が普及した今では無理もないこととは思いました。

なので、私の携帯番号を暗記して、電話をかける練習をしようということでやってみました。

受話器をとって、10円を入れて、プーと音がしたら番号を押す。

私の携帯に問題なく着信したので、少し離れて息子と会話してみました。

どうだ?と聞くと、思いのほか面白がってくれたようで、これからは時間の都合をつけて公衆電話の練習をしようと、二人で決めました。


少しして、何度目かの練習の時でした。

私は下の公園でココアを遊ばせながら電話を待っていました。

10円だと通話時間がどのくらいかを教えようと思っていたんですが、その日はなかなか息子からの電話が来なかったんです。

あれ?と思って坂を登ってみると、受話器を耳に当てて立っているんですね。

近づくと、うん、うん、そうだよと、誰かと話しているので、誰と話してるの?と聞くと、おねえさん、と言うんです。

え?と思って、受話器を受け取って、もしもし?と出ると

「あ、もしもし」と若い女性の声が返ってきましたので。


番号間違えてしまったなと。


謝罪して事情を説明しました。

電話口の女性は「そうなんですね。よかったです」とのことで。

そんなにご不快な思いはさせていないようで安心しました。

女性の話では、公衆電話から男の子の電話がかかってきたので、迷子や誘拐かもしれないと思って話をしてみたそうなんですね。

こちらの事情を汲んでくださって、穏便に電話を終えることができました。

ちゃんと覚えないとこうなっちゃうから、次はがんばろうな、と声をかけると息子は首をひねっていましたが、うんと頷いてその日は自宅に戻りました。


その翌週でしたね。

同じように公衆電話から息子に電話をさせて私は公園で待っていたんですが、また電話がこないんですよ。

坂を登ると、やっぱり息子は誰かと話しているようで、替わってもらうとまた、こないだの女性でした。

二度目ですから、こっちも恐縮してしまいまして。

すいません何度も、と謝罪すると「いいえ、楽しいですよ」と言ってはいただけたものの、丁重にお詫びして電話を終えました。

間違って覚えてしまったのかなと思って、空で番号を言わせてみたんですが、間違ってはいないんですよね。

ボタンの押し間違えかな?と聞くと、わかんない、ちゃんとお父さんの番号押してるよ、と。

公衆電話って他の人にもかかっちゃうんじゃないの?なんて言っていますが、もちろんそんなことはありませんので。

変だなぁと思いましたが、もうおねえさんに迷惑かけないように、気をつけてやろうと言って、その日は終わりました。

それからしばらくは私の仕事が忙しくなったこともあり、公衆電話の練習はやっていなかったんですが。

ある日、息子と留守番をしていると、息子の携帯に着信がありました。

あんまり楽しそうに話していたので気になって、電話が終わった後聞いてみたんです、誰から?って。

すると


おねえさん


と言うんです。

おねえさんって、公衆電話の?と聞くと

そうだよ、おともだちになったんだよ、と笑っています。


携帯の履歴を見せてもらうと、1週間に一度くらいのペースで 公衆電話 と表示されています。

どうやって息子の携帯番号をつきとめたのかは分かりませんが、ちょっと気持ち悪いなと思いましたので。

これから公衆電話からの電話には出てはいけないよ、おねえさんとお話しするのはおしまい、と息子に言い聞かせました。

どうして?

おねえさんとのお話楽しいよ。

おねえさんは悪い人じゃないと思う。

としぶっていましたが、その方が良い、こんな風に電話してくることはおかしいことだと説得して、公衆電話からの着信を拒否する設定にしました。

間違いで少し話しただけで、その後直に連絡を取ってくるというのはちょっと普通じゃないと思ったものですから。

あまり関わってはいけない人種だと思い、息子を納得させました。


それから少しして、留守番をしていたときでした。

3人分の夕食を準備して妻と息子の帰りを待っていると、リビングに置いてあった息子の携帯が振動しています。

どうも忘れていったらしく、妻からだったら代わりに出ようと思って確認すると


公衆電話 と表示されていました。


あの女性か?

だとしたらきっぱり言おうと思い、通話をタップして、もしもし父ですがどちら様ですかとたずねると、無言なんです。

つまりは、例の「おねえさん」だろうと、ピンときました。

私も思うところがありましたから。

これ以上、息子には関わらないでいただきたい。

最初に間違えて電話をしてしまったことは悪いと思っています。

だからといって、直接連絡してくるというのはどういうことでしょう。

金輪際、やめていただきたい。

言葉の端々に感情が出ないよう精一杯抑えて、このくらいのことを言ったと思います。

謝罪の一つでもあるかな、などと思っていると女性は



「邪魔しないで」



冷たく言い放って、一方的に電話を切りました。



邪魔? 息子との電話のことか?

いい大人が小学生と関わろうとすることへの不快感と恐怖が湧いてきました。

塾から妻と一緒に帰ってきた息子に今あったことを説明し、改めて公衆電話からの着信には出ないよう注意を促しました。

いつの間にか、公衆電話の着信拒否の設定が外れていたので再設定し、妻と二人で協力して、息子を守っていこうとしていたのですが。


その矢先、1週間後だったと思います。

職場に妻が携帯を忘れたため、取りに行くついでに仕事をしてくるということで、日曜の朝から二人で慌ただしくしていました。

そんな中、寝ぐせ頭をゆらして、おはよう、と起きてきた息子が



自分のことを「たっくん」と言うんです。



たっくん、お腹すいたぁ。

朝ご飯なぁに?

たっくんはねぇ、おにぎりが食べたい。


息子の名前はまったく違います。

何ふざけてるんだ、と注意すると



息子が昨日 おねえさん と電話して決めたというのです。



ありえないんです。

息子の携帯には使用制限を設けてあるので、私の許諾がない限り設定を変えることはできないようにしてあります。

つまり、公衆電話からはつながらないはずなんです。

履歴も、妻と分担して随時チェックするようにしていました。

実際、あれから公衆電話からの着信は一切ありませんし、自宅に固定電話もひいていませんから。

息子が おねえさん と「電話」しているという意味が分かりません。


息子は続けます。


なんかね、僕のことを「たっくん」って呼ぶんだけど、ちがうよって言っても、ううん、おねえさんにとっては大事な「たっくん」だよ、って言うの。

だからおねえさんが「たっくん」でいて欲しいなら、「たっくん」になってあげるよって言ってあげたの。

そしたら、おねえさんがとっても嬉しいって言って



僕をお腹の中に戻して、うみなおしてあげるって言ってくれたんだ。



と、満面の笑みで言うのです。



不気味なものを感じた私は、息子との連絡手段を徹底的に断とうと思い、携帯を渡すよう息子に声をかけました。

すると、素直に携帯を差し出しながら、息子は



おねえさんが今度ごあいさつするって言ってたよ、と笑っているんですね。



これは警察に連絡した方が良いな、そんなことを妻と話していると、息子の携帯に着信がありました。



着信画面には お母さん の表示が。




妻の携帯からの着信ですが、妻はまだここにいます。




あの女が妻の職場から電話していると、直感しました。




もしもし?

息子の携帯を耳に当てると




「ご両親のご都合の付く日を、教えていただけますか?」




すぐに電話を切り、警察に通報しました。

事情を聞き入れてくれた警察が、妻と職場で合流してくださいました。

妻の携帯は見つかったものの息子宛の発信履歴が確認されただけで、あの女につながるものは見つかりませんでしたが、警察は現場保全しつつ、当直している職場スタッフへの事情聴取を開始してくれました。

妻から、今日は仕事をせずに帰るよう警察に言われたのでこれから戻ります、といった連絡が入ったので、まっすぐ帰ってくるんだぞと電話を終えたんですが



そこから妻との連絡がとれなくなりました。



車に乗りこんで発車するまで、警察の方は妻を見送ってくださったそうですが、そこからの足取りが掴めていないそうです。

これを受けて警察が本格的に動き出しました。

何かありましたらいつでもご連絡くださいと、警察の方にはお話をいただいていましたので、早速連絡しようと思っていた時



妻からの着信が入ったんです。



慌てながらもスピーカーをタップして、今どこにいるんだ、と声をかけると



あ、  あなた? 私です

急で驚いて る かもしれないけど私 おお 母さんを彼女でお願いしようと思ってるの あなたも この人になら 大丈夫 とおも  って きっと大丈夫って間違いないと思うわ お母さんなんて だれでもやってるし 私 だってこの人だって お母さん こんなにお母さんで やる 気の 人だから 私 が応援して あなたにもお願いしてるって そ ういうこと



要領を得ない妻の声の後ろから、あの女のうすく笑う声が聞こえてきます。

居場所を聞き出そうと必死に話しかけていると、息子が突然



おねえさん!おねえさんだ!

かわってかわってかわってかわって!かわってかわってかわってかわって!

うみなおしてもらうんだから!うみなおしてもらうの!

かわってかわってかわってかわって!かわってかわってかわってかわって!

うみなおし!うみなおしてもらうの!うみなおし!うみなおして!



と、叫びながらまとわりついてきます。



携帯から聞こえる感情を失ったような妻の抑揚のない声。

恍惚とした表情を浮かべ狂乱する息子。

瞳孔が開いて白目だけがぬらぬらしているような、異常な光を帯びた目で携帯を見つめています。


総毛立ちました。


私は息子を力づくでトイレに連れて行くと、中に入れて扉を閉め、ゴルフバックや本棚を置いて閉じ込めました。

ドアを壊そうとしているのか中で暴れていて、叫び狂う息子の声が響き渡ります。


携帯からは


「おかけになって電話番号は、電波の届かない場所にあるか電源が入っていないため、かかりません…」


と、からかうように繰り返すあの女の声が。


ふざけるな! と声を荒げると



あーはっはっはっはっははははははははハハハハっああああアアア…



と電話が切れました。


家中の戸締りを確認し、警察に電話しようという時でした。



私の父から連絡が入りました。



「お前か。家にいるな?まずは孫を預かるぞ」



実家で寺の住職をしている父が、なぜか現状を理解しているような口ぶりで連絡してきたんです。

程なく袈裟姿で現れた父は、すぐに息子を閉じ込めたトイレに向かい、ドアの前で経を唱え始めました。

トイレの中で奇声をあげて暴れていた息子が少しずつ静かになり、声が聞こえなくなると、手伝え、といってゴルフバックや本棚を退かし始めました。

トイレから息子を担ぎ出すと


「1〜2週間は預かる。警察にも連絡しておけ、そうすれば嫁さんは大丈夫だ。後はこっちでやる。お前は何もするな」


手短にそう言うと父は、ぐったりした孫を車の後部座席に乗せて実家の寺へと走り去って行きました。


私は警察に連絡し、父の言うとおり事の成り行きを待ちました。




2日後、10km離れた空き家の中で倒れている妻が発見されました。




軽い脱水はみられましたが命に別条はなく、1週間ほどの入院ですみました。




息子は、実家の寺で2週間ほど過ごした後、父に連れられて帰宅しましたが、何がどうなったのかなど、私は全く知らされていませんでした。




おじいちゃんからいうなっていわれてる、と息子からも教えてもらえなかったので具体的なことは何も分からず、父からも、絶対に倅に聞くなよ、護りが解けると言われていましたので、家族の中でこの話は封印することにしました。


もう、あの女から連絡がくることはありません。


公衆電話に行かなければ、と気に病む私に父は、あちらさんの都合は儂らには分からん、お前のせいではないと慰めてくれましたが


一歩間違えれば私は、家族を失っていたのかもしれないと、心底恐怖しました。


これは警察の方から聞いたのですが。

妻が倒れていた空き家には、以前若い夫婦が住んでいたそうです。

しかし、夫婦はやがて離婚し、その後子供が病気になってしまった。

そのお母さんは献身的に看病されていたそうですが、残念ながら子供さんは亡くなってしまった。

しばらくして、その家の中でお母さんが自殺しているのが発見されたそうですが、それからは色々と噂が立っていたらしく。

女の声が聞こえるだとか姿を目撃しただとか、そこを片付けようと業者が入ったのになぜかすぐに頓挫してしまっただとか。

肝試しに入った子供たちがおかしくなったということもあったそうです。


そんな曰く付きの、誰も寄り付かない空き家となった場所になぜか倒れていた妻のことや、「たっくん」と名乗り始め、暴れだした息子のこと。



そして、僧侶である父が関わることで、解決に至った今回の一連のこと。



あまり考えたくはないですが、が世の中にはあるのだと、身をもって教えられたような気がします。





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