あるいは最後の晩餐

佐倉島こみかん

あるいは最後の晩餐

 目が覚めてまず見えたのは、白いクロスの引かれた机に並んだ料理。

 麻婆豆腐、白身魚のカルパッチョ、フルーツポンチ、よもぎ団子、トムヤムクンと、どうにも妙な組み合わせだ。

 、丸2日何も食べていない俺はそんな取り合わせも気にせずがっついていたことだっただろう。

「やあ、鬼島きじまくん。目が冷めたかい」

 料理の並んだテーブルの向こうで、長い黒髪を一つに縛り、眼鏡をかけて白衣を着た痩身の男――馬酔木あしび 京治郎きょうじろうが微笑んで言った。

 キャスター付きの椅子に座って悠然と足を組んでいる馬酔木は、確か俺と同じ歳だから38のはずだが、白皙の美青年と言っても差し支えなく、年齢よりも随分若く見えた。

 鎮静剤を打たれて気を失っている間に、地下にある馬酔木の施術室に連れてこられたらしい。

「我らがボスはとても慈悲深いのでね、君に最後のチャンスをお与えくださったのだよ」

 聖職者のような穏やかな声音と口調だが、こいつはうちの組が抱える闇医者かつ拷問官である。

 そんな馬酔木の目の前で拘束されているということは、来るところまで来てしまったのだと思い知る。

「だから、俺ァ情報なんざ売ってねえって言ってんだろ! 大体、情報を流したところで俺にはなんの利益もねぇ!」

 わけぇ衆であれば一発で竦み上がるような大声で凄んでみても、馬酔木は動揺しないどころか愉快そうに笑うだけだった。


 ――1週間前、うちの組の麻薬売買の取引現場に大規模な警察の捜索が入り、なんとかすんでのところでブツの押収は免れたものの、組員が何人か摘発される事件があった。

 そして内部調査の結果、取引の情報を警察に流したのが俺だということにされ、この2日、殴る蹴るの暴力まみれの調べを受けていたのである。

 うちの組は今、組長の長男である若頭派と、次男である若頭補佐派に大きく分かれていて、今回の取引は若頭派の面子が中心となった取引だったため、補佐派の者が情報を流したのではないかということになったらしい。

 腕っぷしが強く豪気で情に厚い若頭と、頭脳派かつ神経質で冷徹な若頭補佐はどうにも昔から相性悪く、どちらが時期組長になるかについて水面下の争いがずっとあった。

 そこで、若頭補佐の腹心である俺にあらぬ疑いが掛けられたのだ。

 大方、若頭補佐の部下に対する冷徹さをフォローする役割の俺を亡き者にすることで、補佐派の空中分解を狙った若頭派の工作だろう。

 まるで身に覚えのないことのため白状できる情報もない俺は、この2日若頭派の面子から散々に痛めつけられていたのだったが、頑丈な身体のおかげで、幸か不幸かこうして拷問官のところにまで引きずり出されたらしい。

「若頭派を陥れる寸法だったのではないか、と聞いているけれども。若頭補佐を思うあまりの暴走という話だとか」

 さして興味もなさそうに馬酔木は言った。

 馬酔木は治療関係のことを一手に引き受けている立場上、中立派なのだ。

「はっ、あの神経質な補佐に無断でそんなことやってみろ、飛ぶのは俺の首の方だ。んなこと、補佐の教育係だった俺が一番よく分かってる。いい加減、こんなくだらねぇ派閥争いなんざ辞めなきゃなんねぇってのに、若頭派の連中め……!」

 ぎりりと歯噛みして言えば、机の向こうに居た馬酔木がゆったりとこちらに歩いてきて、俺の前に水の入ったコップを置いた。

「鬼島くんも随分と苦労人だねぇ。まあ僕にとっては真実なんてどちらでもいいのだけれど。ユダが銀貨30枚でキリストを売った理由でさえ、未だにはっきりしていないのだからね」

 こちらにやってきた馬酔木から、殴られて腫れた頬をするりと撫でられて、顔をしかめる。

「しかし、随分と手酷くやられたようだね。せっかくの精悍な男前が台無しだ。もっと早く僕のところに連れてきてくれれば、ここまでにはならなかったのに」

「うるせえ! 馬酔木、テメェに拷問されようと、俺に出せる情報は何もねぇ。無いもんを無いと証明する方法なんざねぇんだよ!」

 得体がしれない代わりに殺気立ってもいない馬酔木に啖呵を切れば、馬酔木は切れ長の目を二、三度、瞬かせた。

「ああ、いわゆる悪魔の証明だね。でも、もう拷問はしないんだ。君の上司である若頭補佐も、君を切り捨てることで事態を収めることにしたらしい。僕は組長命令で動いているんだ」

 馬酔木のあっさりとした無慈悲な言葉に溜息をついた。

「ああ、若頭補佐アイツはそういう男だな……俺がやったのだとしたら当然のケジメだし、俺が冤罪だと分かれば若頭派に対して一気に優勢になれる。結局それが一番合理的だ」

 冷徹で頭の回る若頭補佐らしい判断に頭が痛くなった。

「ほう、思ったより達観しているね。まあ、そんな可哀想な鬼島くんに、ボスは憐憫をかけてくださったのだよ」

 組長も息子達の次期組長争については頭を痛めている。

 ケジメも無しに俺を放免出来ないから、拷問官である馬酔木に俺の対処を任せたのだろう。

「そういやさっき、チャンスがどうのとか言ってたな」

 このままだとコンクリ詰めで東京湾に沈められるのがオチだ。

 少しでもチャンスがあるならそれに賭けたい。

「上手くやれば、君は助かる。要は君が生きて戻るに足る人物かどうかの度胸と賢さを試すのさ」

 契約を持ちかける悪魔のような笑みの馬酔木に言われ、乾いた笑いがこぼれる。

「いいだろう、生きて戻れる可能性があるならなんだってやってやらァ。とっとと始めろ」

 腹を括って言えば、馬酔木は一層笑みを濃くした。

「その返事を待っていたよ。では、説明しよう」

 馬酔木は嬉々として目の前の料理を手で示す。

「向かって左から麻婆豆腐、白身魚のカルパッチョ、トムヤムクン、サイダー入りフルーツポンチ、蓬団子――ここに並べた料理には全て、1皿につき1種類ずつ、鬼島くんも名前を知っているようなタイプの毒が致死量、入っているんだけどね。ある2皿を正しい組み合わせで食べきると、お互いの毒を中和して助かるようになっているのさ」

 馬酔木はうっそりと笑った。

「随分と周りくどいことをするじゃねぇか。錠剤かなんかで飲ませた方が手っ取り早いだろ」

 疑問に思って聞けば、馬酔木は分かっていないとでも言いたげに肩をすくめる。

「最後の晩餐が錠剤になったら味気ないだろう。せめてもの餞別として、手料理を振る舞おうって優しさだよ」

「しかも手料理かよ」

 妙な気の遣い方をされたところで、毒入りなのだから喜ぶ気にもなれない。

「いやなに、僕は完璧主義でね。2皿でちょうど中和される毒の分量のことも考えると全て自分で作らないと安心できなかったんだ」

「まあ、正しい組み合わせで食ったのにまかり間違って死んだら元も子もねえからな……なるほど、要はロシアンルーレットってわけだな」

 銃弾が毒入りの料理になったのだと思えば話が早い。

「いや、単純な運試しとは違うのだよ」

 馬酔木は目を細めて俺の発言に訂正を入れた。

「正しい2皿を選ぶため、君は僕に1つだけ、質問をすることが出来る。もちろん、正解を直接尋ねる以外の質問だよ。そして僕はその質問に対して、君が望む形で正しいことを答える。だからよく考えて質問しておくれ」

 馬酔木は条件を出してまた机の向こうに戻って行った。

 5皿の中から2皿選ばないといけないのに1回しか質問できないとくれば、あてずっぽうに「これは正しい組み合わせの料理の皿か」と聞くこともできない。

 全く何もないよりはマシだが、たった1つの質問でどうやって2皿を決めればいいのか。

「面倒な真似しやがる。まあ、前提条件の段階で正しい組み合わせの皿に入っている毒の種類の見当はついた。問題はどの料理に入れたのかってことだな」

 あまりにもあからさまにそれらしき料理もあるが、こっちの命を懸けた肝試しでそんなに素直な問題を出すとも思えない。

「おや。鬼島くん、武闘派に見えて意外と頭脳派なんだね」

 椅子に座った馬酔木が目を見張って失礼なことを言ってくるが、実際俺の見た目はどう見てもゴリゴリの武闘派のヤクザ者なので何も言い返さないでおく。

「若頭補佐は脳筋が一番嫌いな人種なもんでな。付き合っていくにはこっちも学ばなきゃなんねぇんだよ」

 溜め息を吐いて言った。

 若頭補佐は身内にも敵が多いため、毒殺にも常に気を張っている。

 その関係で、俺もある程度、毒物については知識を仕入れたのだ。まさかこんなところで役に立つとは思わなかったが。

 とはいえ、俺は若頭補佐のように学もなければ、頭が回るわけでもない。

 これまでの馬酔木との会話と、一つだけ許された質問からなんとか絞り込まないといけないわけだ。

「なるほど。組み合わせまで分かっているなら生存率は跳ね上がるよ。あとは質問で絞るだけだからね」 

 馬酔木は机の向こうで高みの見物気取りのことを言う。

 俺は正直、頭も固いし、論理パズルなんてもっての他だ。

 だったら、馬酔木の為人ひととなりからある程度、絞るしかない。

 馬酔木の言葉を思い出す。

『上手くやれば、君は助かる。要は君が生きて戻るに足る人物かどうかの度胸と賢さを試すのさ』

『最後の晩餐が錠剤になったら味気ないだろう。せめてもの餞別として、手料理を振る舞おうって優しさだよ』

『いやなに、僕は完璧主義でね。2皿でちょうど中和される毒の分量のことも考えると全て自分で作らないと安心できなかったんだ』

『ここに並べた料理には全て、1皿につき1種類ずつ、鬼島くんも名前を知っているようなタイプの毒が致死量、入っているんだけどね。ある2皿を正しい組み合わせで食べきると、お互いの毒を中和して助かるようになっているのさ』

『正しい2皿を選ぶため、君は僕に1つだけ、質問をすることが出来る。もちろん、正解を直接尋ねる以外の質問だよ。そして僕はその質問に対して、君が望む形で絶対に正しいことを答える。だからよく考えて質問しておくれ』

『なるほど。組み合わせまで分かっているなら生存率は跳ね上がるよ。あとは質問で絞るだけだからね』

 完璧主義者、毒、料理、最後の晩餐、優しさ、毒の種類が分かれば生存率が跳ね上がる、と並べて、ふと閃いた。

 これ、論理パズルをする必要はねえんじゃねぇか?

「馬酔木、質問だ」

 腹を決めて、馬酔木に呼びかけた。

 おそらく大丈夫だと思うが、それでも冷や汗が浮かぶ。 

「おや、早いね。もういいのかい?」

「ああ。俺ァ論理パズルなんざ向いてねぇんでな。俺が一番、慣れてる考え方に基づいて聞くことにした」

 驚いた様子で興味深そうにしげしげとこちらを眺める馬酔木を見据える。

「そうかい、それでは質問をどうぞ」

 馬酔木に促され、俺は大きく息を吸ってから質問した。


「ここに並んだ料理は、毒の味や香り、刺激まで含めて、その料理としてスタンダードに美味うまい状態になってるのか?」


 俺が推定した種類の毒であれば、おそらくこの質問で2皿に絞れる。

 ぽかんとした馬酔木は、少ししてから吹きだした。

「あっはははははは! まさか、そう来るとは! いやはや鬼島くん、君には恐れ入ったよ」

 ひとしきり腹を抱えて笑ってから、馬酔木は笑いすぎて出た涙を拭って言った。

「では、その質問にお答えしよう。味見をすると死んでしまうものもあるから全部は食べてないのだけれどもね。理論上、その料理として、スタンダードに美味しく出来ているはずだよ」

 馬酔木は嬉々として語る。

「全部『は』食べてないって、まさか……」

「ああ、正しい組み合わせの2品は自分でも食べてみたよ。少なくともその2品は理論上だけでなく実際にも美味しく出来ていたことを保証しよう」

 ニコニコしながら語る馬酔木にドン引きした。

 前々からヤベェ奴だとは聞いていたが、いくら完璧主義とはいえ、そこまでするとは正気の沙汰じゃない。

「もちろん、僕の味覚は正常だよ。どちらかというと美食家に分類されてもいい程度にはね。だから安心して食べておくれ――さあ、では、君が選ぶ2皿は?」

 悪魔のような笑みを浮かべて、馬酔木は選択を迫った。

「麻婆豆腐とトムヤムクン――この2つだ」

 俺は馬酔木に向かって宣言する。

「よろしい。では、食べられるように肘から先と胴体を動くようにしよう」

 馬酔木が白衣のポケットからリモコンを取り出してボタンを押すと、言われた箇所の拘束が解け、椅子が前に動いて料理の乗った机に近づいた。

「少し食べにくいかもしれないけど、我慢しておくれ。もちろん、多少自由が利くようになったからといって、力づくで他の拘束を解けば、その時点で最後の晩餐が鉛玉になるからね」

 胸元の内ポケットから銃を取り出した馬酔木はそれを構えて言った。

 仕事は闇医者がメインとはいえ曲がりなりにもヤクザだけあって構えが様になっている。

「こんなガチの合金の拘束、外せるかよ。大人しく食うに決まってんだろ。こっちも腹ァ減ってんだ」

 抵抗の意思のないことを示すため、両手とも肘から先を上げホールドアップして答えた。

「それは重畳。お皿は僕が渡すよ。鬼島くん、どちらから食べる?」

「麻婆豆腐」

 中華屋に来たのかと思うくらいの気軽さで馬酔木が尋ねるので、やや気が抜けながら返事をした。

「あと、両方とも完食を前提に毒の量を計算しているため、少しでもこぼしたりしたらその時点で死亡が確定するので気を付けておくれ」

 淡々と恐ろしいことを言いながら馬酔木が麻婆豆腐の入ったご飯茶碗くらいの深皿を渡してくるので、ぎょっとして受け取る。

「おっかねぇこと言うんじゃねえよ。緊張で手が滑ったらどうすんだ」

「その時は君の運がなかったのだと思うだけさ。レンゲでいいかな?」

「ああ、とっとと寄越せ」

 気の抜ける調子で言う馬酔木に舌打ちしてプラスチックのレンゲを受け取る。

 左手に深皿、右手にレンゲを持った状態で、気持を落ち着けるため深呼吸した。

 すると麻婆豆腐の食欲をそそる香辛料のきいた香りをもろに吸い込んでしまい、致死量の毒を摂取する緊張よりも丸2日何も食べていない空腹の方が勝ってしまう。

「くそ、どうにも締まらんが、美味うまそうだな……いただきます」

 豆腐とひき肉をレンゲで掬って動かしづらい肘から先と上体を動かして口に運んだ。

 舌に触れた途端に感じる痺れと辛さ。四川風の辛さの効いた麻婆豆腐だ。

 辛いだけでなく、スパイスの香りがいいし、包丁で切らずに崩して入れてある豆腐や、ふんだんに入っているひき肉、それをまとめる餡も美味い。

 話していたせいで少し冷めていたが、この辛さならこのくらい冷めていた方が食べやすくて良かった。

 確かに馬酔木が自賛していただけあって、そこらの中華屋より美味い。

 ひりひりする口内を紛らすように、先程、馬酔木が置いていった水を飲みながら、あっという間に食べ終わった。

「美味かった。じゃあ、次の料理を――」

「何を言っているんだい、そのままじゃ死ぬよ?」

 5分とかからず完食した深皿を置いて言いかけたところで、馬酔木が俺の言葉を遮って言った。

「は? 完食しただろう」

「いいかい、コンマ2桁mg単位で調整している毒だよ? 皿に残った汁気だって影響を及ぼす恐れがある」

 馬酔木の言葉に耳を疑う。

「ふっざけんな!! 犬みたいに皿を舐めろってのか!?」

 いくら丁寧に救おうと、プラスチックのレンゲで皿に残った餡まで綺麗に救うなど土台無理な話だ。

 舐め取るしか方法がない。

「まあ端的に言えばそうだね。ほら、『毒を食らわば皿まで』って言うだろう? 死にたくないなら綺麗にお食べ」

 にこりと笑う馬酔木を見て額に青筋が浮かぶのを感じるが、この状況で逆らうことは死に直結するので、ぐっとこらえた。

「その慣用句、そんな文字通りの意味じゃねえだろ。こんな屈辱的な体験初めてだぞ……馬酔木テメェ、あとでそのお綺麗な顔、1発殴らせろ」

 渋々、再び麻婆豆腐の深皿を手に取って馬酔木に言った。

「まあ、鬼島くんが生きていたらね」

「上等だ、その言葉覚えてろよ」

 馬酔木に言ってから、深皿に舌を這わせる。

「ああ、鬼島くんみたいなタイプが、そんな風に言いなりになっているのを見るとゾクゾクするよ」

 悦に入っている馬酔木の声と表情に鳥肌が立つ。

 1発と言わず好きなだけ殴らせろと言えば良かった。

「オラ、これで満足か」

 味がしなくなるまで皿を舐めとってから、深皿を机に置いた。

「ふふ、そんなに味わってもらえて光栄だよ」

「好きで舐めたんじゃねえよ! 命がかかってんだ、こっちは! とっととトムヤムクンも持って来い!」

 馬酔木のペースに付き合っていられるかと、次の料理を要求した。

「はいはい、分かったよ」

 馬酔木は仕方なさそうに肩をすくめてからトムヤムクンの皿を差し出した。

「本格的なものは頭つきの海老を使うんだけど、今回は毒の調整もあるから食べやすいように頭や殻のない状態で作ったよ。感謝しておくれ」

「へえへえ、それはどうも」

 自慢げに言うので、なかばヤケクソになって礼を言って受け取った。

 剥き海老とトマトと茸が具に入った赤いスープに緑のパクチーが映える。

 味噌汁碗くらいのサイズの白い深皿に入っているのでこれもすぐ食べ終わりそうだ。

「そのままレンゲで? お箸の方がいいかい?」

「両方使う。箸もくれ」

 妙なところで細やかな気遣いをする馬酔木に要求した。

「はいどうぞ」

 滑りやすい漆塗りの箸なのは嫌がらせだろうか。

 レンゲに乗り切らなさそうな大ぶりの海老は慎重に箸でつまんで食べ、あとの細かい具はスープと共にレンゲでかきこむ。

 かなり酸味と唐辛子が効いていて、口に入れた時に痛いほどだった。

 しかしこれも、パクチーとレモンの香りが南国風で、海老と茸の出汁が効いていて、悔しいことに美味うまい。

 空腹も相まって、これもあっという間に平らげてしまった。

 指摘されるのも面倒なので、今度は言われる前に皿まで舐めることにする。

「ふふふ、自分から舐めてくれるなんて嬉しいよ」

 人が皿を舐める様子を見て恍惚としている馬酔木に、頭が痛くなる。

「気色わりぃ言い方をすんな。ほら、これで完食だ、文句ねえだろ」

 綺麗になった皿を置いて、馬酔木に言った。

「うん、いいだろう――もし失敗していたら、最初の料理は1時間、次の料理は20分で死に至る。2つ目を食べきるのに約5分かかっているから、最短で結果が出るのにあと15分というところだね。結果が出るまでの時間潰しに、鬼島くんの推理を聞かせておくれ」

 馬酔木は笑顔で胆の冷えることを言う。

 冷や汗が出るが、いや、大丈夫なはずだと自分に言い聞かせた。

「まず、正しい毒の組み合わせについてだが、フグ毒とトリカブトだと判断した。昔、保険金殺人で使われたこともある手口だが、神経細胞のチャンネルをひらっきぱなしにすることで死に至らせるタイプのトリカブトの毒と、神経細胞に蓋をするタイプのフグ毒が拮抗することで、互いの効果を打ち消すことができる。どちらかが多いと、そのバランスが崩れてどちらかの毒で死ぬが、帳尻を合わせれば無効化できるわけだ。そうだろう?」

 昔、若頭補佐に聞いた話を思い出して答えれば、馬酔木は手を叩いた。

「素晴らしい! その通りだよ、鬼島くん! まさか毒を抑制しあう原理まで知っているとは思わなかった」

 心底、感心した調子で言われたところで、あまり嬉しくもない。

「それでは、どうして、麻婆豆腐とトムヤムクンにそれらが入っていると思ったんだい? フグ毒とトリカブトなら、白身魚のカルパッチョとよもぎ団子の方が怪しくないかい?」

 馬酔木が意地の悪い聞き方をしてくる。

「確かに、トリカブトは蓬と間違えられることもあるほど見た目が似ている。フグなら白身魚のカルパッチョがもちろん怪しい。だがお前は、俺が『生きて戻るに足るだけの人物か、度胸と賢さを試す』と言った。そんなことを言った人間が、そんなに単純な選択肢を用意するか? 俺はそうは思わねえ。だが、そうと断定する根拠もねえ。だから俺は、お前が料理を用意した時の話で『完璧主義』だと言ったことに着目した」

 一息ついて馬酔木の様子をうかがえば、続けて、と言うように微笑まれる。

「もちろん、その『完璧主義』には、2種類の毒の配分に慎重な調整が要るという意味もあるかもしれん。だがそれまでのお前の発言から、最後の晩餐が味気ないといけないという『優しさ』で振る舞う手料理の“味”を、『完璧主義』のお前が、無視するか? と思ったわけだ」

 馬酔木が『完璧主義』なら、と思ったのだ。

「だから俺は、あの質問をした」

 俺は馬酔木を見据える。

「『その料理としてスタンダードに美味しいか』という質問だったね」

 馬酔木は肯定も否定もせずに、さっきの質問を確認した。

「ああ。さっき言った2つの毒は、口に入れた時の刺激が強い。フグ毒は舌が痺れるし、トリカブトは痛みが走ると言われている。そんなものを味の薄いカルパッチョや刺激の薄い蓬団子に入れてみろ、それはもうスタンダードに美味いとは言わねぇだろ」

 俺の話に馬酔木はにんまりと笑った。

「その点、麻婆豆腐は花椒の痺れる辛さがあるからフグ毒を入れるのにちょうどいい。トムヤムクンも唐辛子の辛さとスープの酸味でトリカブトの毒の痛いほどの刺激の強さを香辛料の刺激と勘違いできる。毒を入れたとしても味を損なわず、その刺激すらその料理のスパイスにしたってわけだ……ここまでくるともはや変態の所業だと思うがな」

 最後はもう辟易しながら言ったが、馬酔木は嬉しそうに拍手したのだった。

「正解だよ、鬼島くん! 人のことを変態呼ばわりしたのは置いておくとして、完璧な推理だ! ちなみに、蓬団子には甘みのあるエチレングリコール、カルパッチョには無味のヒ素、サイダー入りフルーツポンチには炭酸に似た刺激とアーモンド臭のある青酸カリが入っていたのだよ」

 楽し気にどうでもいい解説までしてくる。

「とりあえず、俺は死なずに済むってことだな」

 馬酔木の口から正解だという言葉を聞き、脱力して言った。

「ああ、もちろん! 鬼島くんはこの問題を解くだけの観察力と判断力、実際に毒入りの料理を食べる度胸、そして屈辱的でも状況に応じて対処する忍耐があるんだ。生きて戻るに足る人間だと言っていいし、なんなら君を亡くすのは組に取って大きな損失だと言えるだろう。僕が拷問して無実だと分かったということにして、再度、僕の方で内部調査をするよ」

 馬酔木がどこかウキウキしながら言うので、少しほっとした。

「ああ、中立派のお前の調べならどっちの派閥からも文句は出ねえだろ。頼むぞ」

 自分の身の安全が保障されたことはもちろんだが、この変態的な『完璧主義』の馬酔木にかかれば、ぐうの音も出ない証拠をそろえて情報を売った犯人を見つけることだろう。

「それでは、ひとまず僕と一緒にボスの元に来ておくれ。事情を説明しないといけないからね」

 言いながら、馬酔木は白衣から先程も使った拘束椅子のリモコンを取り出して、俺の拘束を解いた。

「相当痛めつけられてるけど、立てるかい、鬼島くん?」

 馬酔木は拘束を解かれても座ったままの俺に尋ねた

「あー、ちとキツイな……馬酔木、ちょっと手を貸してもらえるか」

「ああ、もちろん」

 俺が言えば、馬酔木は疑いもせずに俺のところまでやってきた。

「悪い、馬酔木、やっぱり手は貸さんでいい」

「あ、立ち上がれそうかい? それは良かっ――」

 立ち上がって、手ごろな距離まで来た馬酔木に拳を振りかぶる。

「代わりに、ツラァ貸せ!」

 思いきり体重を乗せた拳を、ノーガードの綺麗な横っツラに叩きこんだ。

「ぐぁっ!」

 まともに拳を食らった細身の馬酔木の身体が、軽々と吹っ飛ぶ。

「おう、生きてたら1発殴っていいっつったのはテメェだからな、馬酔木」

 拘束されて強張った筋肉をほぐすように肩や首を回しながら、馬酔木に言った。

「う、うぅ……確かに言ったけど、ここまで本気で殴らなくても……僕、命の恩人なのに」

 気絶くらいしたかと思ったら、意外と丈夫だったようで、殴られた頬や吹っ飛んだ衝撃で壁に打ち付けた背中をさすりながら、馬酔木は呻いた。

「結果的に助かっただけで、一歩間違ってたら死んでたかもしんねえだろ! そんな奴を命の恩人とは呼ばん!」

 俺が叫べば、馬酔木はへらりと笑った。

「鬼島くん、ジョークだよジョーク。まあ、元気そうで何よりだ。それでは、ボスの元に行こうかね」

 飄々と言って立ち上がり、ドアに向かう馬酔木に深い溜息をついて、俺も組長の元へ向かうのだった。

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