第4話 マンティコラの弔い

「ほん、よんで」と、息子が図鑑をもってきた。図鑑は特に気に入っているらしく、読んでほしいと幾度となくせがまれる。買い与えるのはまだ早いかな、と思っていたけれど、こんなに興味を示してくれるなら、購入してよかった。



息子は、ひらがなを少しずつ読めるようになりつつある。でも、本は私に読んでもらいたがることが多い。無碍に断ることもないだろうと思って、一緒に読んであげている。



図鑑を読むのは、私の楽しみでもあるからちょうどいい。このシリーズは、子ども向けの図鑑なのに内容がとても充実している。私もそんなに生き物などに詳しいわけではないので、いろいろ勉強になる。



今、息子が持ってきたのは「古生物図鑑」で、なかなか通好みっぽいチョイスだな、とおかしくなる。古生物―――かつて生きていた生物、今はいなくなってしまった生き物たち―――。



この図鑑で知った、私のお気に入りの古生物は「プラティベロドン」だ。



もう絶滅してしまったゾウの系統で、ゾウに似ているのだけれど、下顎が大きく地面に届くような、シャベルのような形をしている。なんともユーモラスな形で、いつも見ているゾウからは、ほんのちょっとずれた姿のように思えてしまう。



でも、もし、現在のゾウの方が絶滅して、プラティベロドンの方が生き残っていたら、と考える。



その時は、私たちはプラティベロドンを「当たり前の姿」としていたかもしれない。そうなると、今私たちが見ているゾウは、古生物の図鑑などでしか見られないだろう。



図鑑に載っているゾウの復元図を眺めて、「これ、プラティベロドンと違って、鼻だけが長い!変な形!」とおかしがったりするのかもしれない。そういうifだってありえたのだ、と考えると、なんだか不思議な気持ちになる。



息子は図鑑を順番通りには読まない。ぱらぱらとめくって、興味を引いた箇所を私に読ませる。子どもの手が止まったのは、ヒトの顔をもち、体はライオン、尾はサソリの獣、マンティコラのページだった。



「これはなに? なんてかいてあるの?」と息子が尋ねる。



「マンティコラ、って生き物だよ。ずっとずーっと昔にいなくなっちゃったんだ」



マンティコラが絶滅生物なのは、さすがに私でも知っている。



しかし、息子の「もういないの? どうして?」にうろたえる。絶滅の理由までは知らない。



「えーっと……ちょっと待って」あわてて、図鑑の文章を読み、子どもに分かりやすいような説明を考える。



「私たちのご先祖さま、うーんと、昔々のひとたちが、全部やっつけちゃったらしいよ。人間を食べちゃうから」



「マンティコラ、かわいそう」



息子の発したその「かわいそう」に、私は面食らう。確かに、マンティコラの立場ならかわいそうな話ではある。いや、でも。



「だけど、人間が食べられちゃうんだよ? 食べられちゃうの、嫌でしょう?」と私が重ねて言っても、



「それは、いや。でもかわいそう」と、息子は引かない。なかなか手強い。



「そっかー。そうなんだね」



否定はすまい、と思った。こういう、息子の素朴な感性は、大事にしてあげた方がいい気がする。

私は、図鑑の続きを目で追う。



「あっ、マンティコラは人間の言葉がしゃべれていたのかもしれないんだって。残っている骨の、頭の大きさとか口の形からすると、そう考えられるみたい」



「マンティコラと、おはなししてみたかったなー」



これにはさすがに言葉に詰まる。というのも、図鑑には続けてこう書いてある。



曰く、マンティコラはその声と高い知能で、人間を惑わし、補食していた可能性がある。



どうしても「折り合えない」存在というものは、ある。それをこの段階で教えておくべきなんだろうか。息子は理解できるんだろうか。



玄関の方で音がした。夫が帰ってきたらしい。



「おかえりー。ごはんできてるよー」



今日はやや遅めの帰宅だ。私たちは先に食事を済ませてしまった。夫の分の夕食を用意しようと、私はキッチンに立つ。



夫はリビングで服を脱ぎながら、息子の手元を覗き込む。「なに読んでるの?……あ、マンティコラかー。……え、どうしたの?」



顔をあげたときに、私のわずかな表情の曇りを見てとったらしい。



「この子が、マンティコラとお話ししたいとか言ってて。でもほんとのこと言うのもよくないかな、ってちょうど困ってたとこだった」



「教えてもいいんじゃないの? そういうのは必要な教育だと思うよ。生き物にあんまり変な幻想を持たせつづけるのもよくない」



夫は生物が好きなので(高校は生物部だったと聞いた)、私よりもむしろ、そういう辺りはもっとウエットなのかと思っていた。



私は、ダイニングテーブルに暖めたお皿を並べていく。夫は楽な格好に着替えて席に着く。息子は今は動画に夢中になっているので、少々目を話していても大丈夫だろう。私もノンアルコールビールを開けて、座ることにした。



いただきます、と箸をとった夫が「マンティコラかー。UMAにもなってるね」と思い出したように言った。



「なにそれ」



「UMA。未確認生物。現代社会にまだマンティコラが存在しているんじゃないか、という話とか」



「えー。そんなのあるんだ」



「すごい金持ちがマンティコラのDNAを取り出して復活させて、夜な夜なデスゲームに興じているとか。どこかの国の軍が密かに飼ってて、いつか高知能の生き物と戦う時のために研究しているとか。例えば対宇宙人を想定してるらしいとか」



「陰謀論とかっぽい……」



「そうだね、まあ無理筋じゃないかな」



「というと」



「マンティコラが本当に存在しているとするよ。そうすると、当然餌が必要になる。マンティコラの体サイズから推測すると、一頭あたり年間300~400人は必要だろうね。コンスタントに調達するのが大変だし、できたとしても維持費がすごいことになる。しかも、近親交配を避けよう、と思ったら、それなりの個体数が必要になるだろうから、とんでもない労力だと思うよ。だから、隠して内密に……なんてとんでもない。できるのならむしろ、国家事業としてオープンにやるだろうね」



夫はご飯を食べながら、淀みなく言った。やっぱり生き物関連になると、疲れていても生き生きと話してくれる。



「そうなんだー。残念……ではないな」



「まあ、滅ぼしたものへの償い、という気持ちもあるのかもしれないね。『今でも生きている』なんて噂がでてくるのは。でもちょっと虫がよすぎる話でもあるよね。僕たち人間は、血塗られた一族だという覚悟が足りないのかもしれない。考えてもみてよ。ホモサピエンスに近縁種はいない。邪魔者や厄介者をその都度全部滅ぼしながらここまで繁栄してきたんだ。人間は、そういう生き物なんだよ」





その晩、夢を見た。



高い塔の中に、私は隠されている。閉じ込められて、ここから出ることはかなわない。



だれかいる? と尋ねると、ここにいるよ、と壁から声がする。



本当は、誰もいないのを知っている。壁に仕掛けられた機械が、自動的に返事をしているのだ。



だから、ここにいるのは私だけ。



私は悪い生き物だから、仕方がないのだ。



悪い生き物?



私はいったい、何なのだろう。



ここには鏡がないので、自分の姿がわからない。



遠くから鐘の音が聞こえる。ぐわあん、ごおん、と、鳴り響く。



その鐘は、私のために鳴らされているのだということは、おぼろげながら分かっていた。



私はただぼんやりと、その鐘の音を聞き続けていた。

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それもまた日常(改定) ごもじもじ/呉文子 @meganeura

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