第4走者 真木 瞬介

 リレーをする競技場の雰囲気は異様だ。


 すり鉢状の競技場の底。400メートルのトラック。

 100メートル、200メートルの競技の時よりいくらか気温が上がっている気がする。


 ずっと見ていた。

 2年前の今日からずっと。

 赤いタータンを見下ろす位置で眺めていた。


「リレーなんて二度とやるか」と思ってた。

 チームも仲間もいらないと思ってた。


 それでも、いつも一緒に競い合ってた歩頼と大翔がリレーをしてて、何でお前らばっかり、とも思ってたのも事実。


 体育際の選抜リレーですら、足が竦むような人間にリレーの話はもう来ないと諦めていたのも……事実。


 いつかまた走りたい。

 臆病な自分を変えたかった。


「がんばれ」も「おつかれ」も、あの日聞けなかった分の全部が欲しい。


 目の前でバトンが繋がれていく。


 走り出したい。いや、走れるんだ。


 きらきらして見えた。

 モノクロの世界が鮮やかに切り替わった。

 最終組まであと4組。


 憧憬、羨望。

 自分ではない誰かがトラックを走る度、喉の奥がきゅうっと縮こまる感覚があった。

「がんばれ」を叫んでも、なんで俺はここにいるのか?

「おつかれ」を叫んでも、何が彼らとちがったのか?

 ひとり大反省会をしていた。

 太陽がピリピリと腕を焦がした。

 1走のコーナーの終点から歩頼も叫んでた。

 いつも目が合った。悲しそうにお前が目を逸らしてたのに気付いていた。


「お前にアンカー走ってもらいたい」


 歩頼、こんな俺にもう一度チャンスをくれてありがとう。


 号砲が鳴る。

 歓声は残り3組を告げた。


 走りたくないと思ってた。

 空っぽの手のひらは、このまま空っぽのままにしておいて欲しかった。

 グラウンドにそっぽ向けて、何食わぬ顔で袈裟懸けにしたエナメルバッグで帰ろうとしても、大翔、お前はいつも引きずってでもバトン握らせに来たよな?


「県大会も、北信越も、全国にも連れてってよ」


 もちろん。この大会がラストにならないようにしよう。

 大丈夫、もう怖くない。

 4人じゃないとできないことを教えてくれてありがとう。


 オン ユア マークのマイク越しの号令。

 残り2組。


 よりによって何で4走なんだよって思ってた。

 1番走りなれている100メートルの区間。

 2年前と同じ区間。

 走り終えた先を見てみたい区間。

 色んな気持ちがぐちゃぐちゃになってて、今も正直綺麗な気持ちでのぞめるとは思えない。

 でも、この場に立って、砂埃とタータンのゴム臭い匂い、汗、緊張感。全部ひっくるめて紺色のユニフォームに身にまとってる。

 大好きなんだ。競技場の空気感。

 走りたくてうずうずしてる。


「いつか俺がバトン渡そうって思ってた」


 もしかしたら2年前からずっと、ここでバトンを待ってたのかもしれない。

 待ってる。一成、俺はここにいるよ。

「もう一度」この場所で。


 残り1組。

 トラックと応援席が熱い。


 心臓の鼓動が今までにないくらい激しく波打っている。

 深呼吸でありったけの空気を身体に取り込む。

 熱い。

 大きく伸びをして、指先にまで酸素を回す。

 目の前の景色が広がった。

 生温い風、数メートル先の陽炎。

 応援の声も、各校の視線も全部全部俺のモノだ。

 空っぽの手のひらはまだ練習時のバトンの感覚が残ってる。


 4走のスタート位置につく。

 1走の歩頼、2走の大翔、3走の一成。

 紺色のユニフォームは俺の後ろにみんないる。


 選手のコールが終わるとピリッとした。


 スタートの号砲の青煙を掻き消すように、応援の声が響き渡る。


 歩頼が1番に飛び出し、コーナーを曲がる。

 ストライドが伸びるように前へ前へ進む。


 金色のバトンが煌めく。


 大翔に接近してバトンが手渡される。


 足の回転がいつも以上に速い。

 リズミカルなピッチで他校と距離を離していく。


 金色のバトンが輝く。


 手が伸びきる前に、一成にバトンが渡る。


 跳ねるように加速。

 軸を振らさずにコーナーを駆け抜ける。


 目印のマークを踏む。


 真っ直ぐに前を向いて走り出す。

 掛け声と同時に、右手に無機質なバトンが押し付けられる。


「瞬介行けぇぇえええ!!!」


 醒めない夢を見ていたい。

 今、この瞬間がずっと続けばいいと思っている。

 結果発表はどうでもいい。

 スタートの号砲が鳴って、バトンを繋いで、俺が最後に受け取って──ゴールをめざして走ってる。

 周りの歓声、拍手がだんだんと大きくなる。

 金色のバトンを力強く握りしめる。


 何で目を逸らしていたんだろう。


 近付くゴールテープを切りたくない。


 この一瞬が永遠であればいい。


 目を逸らしていた空白の時間は、もうどうしようもないけれど、受け取ったバトンはこんなにも熱い。

 繋いでくれた、信じてくれた。

 赤いタータンの上で一緒に走れた。


 1人ではなかった。


 気付くのはいつも後になってから。


「もっと早くに気付くんだった」


 唇をキュッと結んでラストスパート。

 肩に力は入らない。

 自然体で気負わずに。

 ただ、楽しいを体現するように駆ける。


 赤地に細い白い白線。

 誰よりも見慣れたゴール。

 それでも、右手に金のバトンがあるだけでこんなにも美しい。


「もっと走りたかったな」


 出来ればこのまま、熱に浮かされたままで。

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ヨンケイ 佐藤令都 @soosoo

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