第3走者 加賀 一成

 瞬介がバトン持ってる。

 グラウンドでバトンを持って走ってる。


 いつも俺が渡していた小柄な少年は背後にいる。


 いつか走らないかな、は夢じゃなかった。


 頑なにリレーを拒否していた瞬介。

 県下に名前を轟かすショートスプリンター。

 彼は今、俺の目の前でバトンを受け取りました。

 俺のパスですよ!


 何度走っても新鮮な景色。

 グラウンドのトラックを走る姿は、幅跳のピットから眺めてるだけだったから。


 瞬介と歩頼と大翔。

 後輩のスタートの合図。同じタイミングで地面を蹴る。

 白線に着いた手が離れ、前傾姿勢のまま徐々に加速。

 歩幅ストライドが大きくなる。

 ピッチもだんだん早くなる。

 スパイクの足跡が土煙で消える。


 ──かっこいいなあ!


 100メートル先、200メートル先のゴールの結果は瞬介、大翔、歩頼の順でいつも固定されてる。

 それでも、ああでもないこうでもないと飽きずにギャーギャー喚いてる。

「スタートは俺が1番だった」とか「腰の位置は俺が1番高い」とか「後半バテるのがいけないんだ」とか。


 砂場でいつも見ていた。


 競い合う相手がいていいなぁ、と思いながら。


 助走のための、30メートル程度の直線と着地の砂場。

 グラウンドのすみっこは俺1人だけ。


 真っ直ぐに手を挙げて、歩く速さから加速して踏切板を蹴る。

 手足を空中に投げ出すようにしてから空で走る!

 乾いた地面に踵から身体を滑らすように着地。


「いい感じ」と思っても、誰も見てくれない。

 賞賛も指摘もグラウンドにはない。


 こんなにも楽しいのにな……


 また走り出した姿を見る。

 わかりやすくカッコイイ!


 *


 ──憧憬。

 あの輪っかに入りたいと思ってた。


 それが今


「瞬介が競技場でバトン持ってる……」


「今更かよ。一成、いつも通り待ってるからな」


 ああ、俺が3走か。

 いつも通りコーナーを走るんだ。

 金色のバトン。繋ぐ相手は瞬介。


「本番まだだけど表彰式の画が見えた」


「イッセー気が早いよ! 俺のバトンパスちゃんと受け取ってよー」


「はるとぉー、夢だったらまだ覚めないで欲しぃ……」


 夢なら夢のままで。

 ずっと憧れてたんだ。


 今回は補欠の高ちゃんと走るリレーも好きだった。

 2走の高ちゃんからバトンをもらって、全力でコーナーを駆け抜ける。トップスピードは50メートル手前で出切っちゃうけど、それでもアンカーの大翔の手のひらにバトンを叩きつけるように渡す。4走の直線区間の前で膝に手を付きながら叫ぶ。

 ゴールテープを大翔が切った後、バックストレートの応援席から聞こえる「おつかれ」の言葉。

 俺はいつも瞬介、お前を見ていたよ。

 すごく走りたそうにしていたのがよく見えた。


「いつか俺がバトン渡そうって思ってた」


「え?」


 リレーの選手招集開始まで残り30分。

 開放されてるサブグラウンドでスパイクすら履いていないけど。


「瞬介、お前と走れて嬉しいよ」


「本番走ってから言って」


 こそばゆそうに瞬介は笑った。

 なんだか幸せな気分になった。


「一成、目指すもんは1番だからな!」


「歩頼がフライングしたら全部おじゃんなんだからねー?」


「ばかばか、プレッシャーかけんなよ」


「せっかくアンダーハンドパス練習したんじゃん。路風やべぇって思わせなきゃ」


 せっかくだから新しいチーム、新しいことに挑戦してみた。やってる学校は少ないけど日本代表と同じバトンパスだ!

 運動会、大会よく見かけるのはオーバーハンドパス。

 俺もこれしかやったことなかった。

 自分から十数歩離れた位置にマークを置き、受け取る走ってきた相手が踏んだ瞬間にダッシュ。近付いた時に「はい!」の掛け声がしたら手を伸ばして、手のひらにバトンが押し付けられたら強奪!


 そんなパスがだよ?


 アンダーハンドパス。

 受け取る側の手は下を向いています。もうここで意味わからん。渡す相手はバトンを下から上にバトンを入れます。すくう様なイメージだろうか。

 バカ難しい。パス練だけで何日かけたのやら。ところがどっこい、走ってるフォームがブレないのだ!


 タイミングが合わずにバトンが転がる。

 甲高い音がグラウンドに響く。

 金色だった容姿は何度白い砂にまみれたのだろう。

「もう1回」も「もう1本」もきっと人生で1番多く叫んだことになると思う。


 それでも「やめよう」を誰も言わなかったのは、俺らなりの意地で、最高の舞台を用意するため。


 瞬介、お前に託すから。


 ゴールまで連れて行ってよ。

 バトンと共に全部、全部。


「さぁ、気合い入れて練習しよう! 最終調整だ!」


「「「おうよ!」」」

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