第17話 女将の話を聞くのよ
「なんとか落ち着いたよ」
階段を降りてきたのは、スカーレットたちが泊まる宿屋の女将だった。
「大丈夫なの?」
『誰が』と主語をつけくわえなくとも、この場の全員に伝わる問いだ。
「ああ。ぐっすり眠ってるよ」
苦々しい微笑みと共に返ってきたのは、気休めの一言だった。
(それでも、良かったとは言えないわね)
目を覚ました彼女が、泣き叫びながら男の行方を問い続ける姿は痛々しく、スカーレットの胸を締め付けたことは記憶に新しい。
「あんなことがなければ、あの娘たちもこの日常に溶け込んでたはずなのにねぇ」
窓の外を眺めて女将は言った。
騒ぎが起きたのはほんの三十分前だと言うのに、往来の人々は日常を送っている。すっぽりと彼女たちの存在が忘れ去られたようだ。
「あんたたち、勇者と騎士団員なんだろう」
「ええ」
「ヒルデを助けてやってくれないか」
女将の懇願を断る理由などない。
ミーシャは胸をとんと叩いた。
「もちろんだよ。勇者も騎士も臣民の困りごとを解決するのが仕事だから、ね」
「ええ」
同意を求めたミーシャに、スカーレットは大きく頷いた。
「だから聞かせてもらえませんか。彼女に何があったのかを」
スカーレットは女将を真っ直ぐに見つめる。その視線を女将は受け止めた。
「あの子の名前はヒルデ。この町で生まれ育った、ごく普通の町娘さ」
「口論になっていた男性は」
「旦那のヴェルナントだよ」
『出て行く夫を必死で引き留める妻』の構図を思い出しながら、スカーレットは違和感を抱いた。
(本当にただの痴話喧嘩?)
立ち昇る疑問の煙を裏付けるように、女将は言葉を続ける。
「仲睦まじい夫婦だったんだよ」
「仲睦まじい? 仲が良かったなら、旦那さんあんなに怒るかな」
「私もさっきの光景が信じられないくらいさ」
女将は沈痛な表情で言った。
つまり何かきっかけがあって、夫婦の関係が変わったということだ。
「怪我のせいかねぇ」
眉尻を下げた女将は、しみじみと呟く。
「怪我……?」
「ヴェルナントは怪我をしていたんだ」
女将の視線を、スカーレットも追った。
棚の上にヒルデとヴェルナントの写真が、かわいらしいハートの写真立てに飾られている。その隣にはペアのマグカップが寄り添っていた。写真に写る二人の表情は穏やかで、まるで別人だ。
その下の段には包帯の塊が入っている。乱雑に放り込まれたそれは、彼の傷の深刻さを物語っていた。
「まさか、それがきっかけで夫婦仲が崩れたって言うんですか」
「最近じゃよくある話だよ」
ため息まじりに女将は言った。
「シェルジンの薬草不足は知ってるかい」
「そのことで私たち調査に来たの」
「そりゃちょうど良かった。その影響で薬が入手できないんだよ。だから怪我や病気で薬頼みのやつは、痛みから心を病んじまうんだ」
女将の話に耳を傾けていたスカーレットは、心中で否定の言葉を投げた。
(あれは心を病んだなんてものじゃない)
ヴェルナントの異様さが目に焼き付いて離れない。
魔物のように真っ赤に染まった瞳と、操り人形のようにうわ言を呟きながら立ち去る背中が、スカーレットの脳裏で何度も繰り返されていた。
「ヒルデが心配しているのも、ヴェルナントの怪我が心配なんだろうよ。何かあってからじゃ遅いからね」
「早急に彼を探さないとだね」
ミーシャの言う通りだった。どちらにせよ、スカーレットがやることに変わりはない。
「今日は一泊してくだろ。せっかくだから宿の飯、食べていきな。せめてそれくらいはさせてくれ」
「ほんとに!」
「飛びつくな」
女将の提案に飛びついたミーシャに、すかさずスカーレットは突っ込んだ。女将は口元に手をあてて笑う。
「あんたたちのおかげで、私も気がまぎれたよ。最近変な客ばっかりで気が詰まってたからね」
女将は席を立った。ヒルデの様子を確認しに行くのだろう。
この家に居続けても仕方ない。申し合わせたように、三人は席を立つ。
椅子を引いた拍子に、何かが転がった。足に当たったそれを、スカーレットは拾い上げる。
「これは……」
それはガラスの小瓶だった。
ただの小瓶ではない。ぐるりと瓶を覆う蔦と、薔薇の装飾。
中に赤い液体は入っていなかった。恐らく飲み終えた後なのだろう。
(痛み止めの麻薬だったわよね……)
薬が手に入らない彼が、痛みを抑えるために麻薬に手を出した。辻褄はあう。
「スカーレット」
「ひいっ」
突然耳元で響いた声に、スカーレットの体は跳ねあがった。
ばくばくと鳴る心臓を抑えながら振り向くと、黙りこくっていたアシュレイが覗き込んでいる。
「なっ、なによ」
「質問があるんだけど」
「し、しつもん」
復唱したスカーレットに、アシュレイは至極真面目な表情を向けた。
「教会に行けば回復できるんだろ。なんで彼は駆け込まないんだい」
「あんた、なにも知らないのね」
スカーレットは大げさに肩を竦めると、アシュレイに訝し気な視線を向ける。アシュレイはにこりと笑い返すだけだった。それがスカーレットの苛立ちの火を、さらに過熱させる原因になると知らないのだろうか。
「教会で生き返るには、大金が必要なのよ。タダで助けてもらえるのは例外だけ。冒険者ですら、早々生き返れるもんじゃないんだから」
「金取るのか。教会のくせに」
語気を荒く、スカーレットは言い放った。
「命一個分の値段と思えば安いわよ。それに慈善事業ってわけじゃないんだから、仕方ないじゃない」
「へー、なるほどね」
「それに一回絶命しなきゃいけないのよ。殺してって他人に頼むわけにもいかないし、そもそも死にたくないじゃない」
つらつらと説明したが、アシュレイの顔は理解できていないようだった。
「ああ、もうっ。やっぱり魔族にはわかんないのよ。人間の気持ちなんて」
腕を組むスカーレットはずかずかと外へ向かう。彼女の頭の中には、小瓶の存在はすっかりと抜け落ちていた。
奴隷のお兄さんを買ったら、魔王の息子でした 春埜天 @haruno_ame342
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