第6話 屋上

真依は笑っていました。

なぜ笑っているのだろう、と僕は真依に近づきました。近くで見てみると、真依の姿はふだんとはまるで違っていました。

ブラウスはところどころ破けていて、フレアースカートはしみだらけなのです。

全体的にとても汚れていて、そして裸足でした。

「真依!ちょっと落ち着いて話そう」

僕は真依の腕をつかみました。振り向いた彼女の目は僕を見ているのかいないのかわかりませんでした。酔っ払っているような、身体中の力が抜けているようなぐらつきがありました。

「もがり笛!わたしに伝えてきたわ!!」

真依は大声で叫ぶと、また笑いだしました。

「わーっはっはっは!」

真依の髪の毛はベトベトしていて、身体からは脂くさいような、むっとする体臭が漂ってきます。

きっとしばらくお風呂に入っていないのでしょう。

以前の彼女からしたら、こんなに服も髪も汚れていて悪臭を撒き散らすなんて、自分自身で許せないなずです。

「もがり笛よ!ちゃんと聞いてるの!?」

真依は僕の胸ぐらをものすごい力でつかんで睨み付けてきました。さっきまでの酔ったようなぐらつきが嘘のような力強さです。

「ちゃんと聞いてんのかって言ってんのよ!」

いきなり平手打ちが飛んできました。

「あはははは!ありがとう!ありがとう!」

真依は風上にむかって両手を上げ、何かに感謝しているようでした。

「・・・わたしの赤ちゃんは、もうすぐここにきますか?まだですか?」

「真依、危ない!」

僕は真依をつかまえました。屋上の柵を跨ごうとしていたのです。

「離せ!離せーっ!」

真依は鼻の穴をふくらませてふんっ!ふんっ!と息も荒く、指をチョキの形にして、僕に目潰しを食らわせてきました。

「真依、何かあったんだね。僕が全て悪かったんだ。真依を悲しませたのは僕だ。しっかり話し合うために来たんだ。これからのことを落ち着いて話そう!真依!」

「離せ!誰だお前は!」

真依は見たこともない獣じみた表情で僕を突飛ばし、柵を乗り越えました。

僕も慌てて柵を跨いで向こう側に行きました。

「真依!落ち着いて!僕だよ。戻ろう」

真依は動きを止めてふっと鼻で笑い、僕の顔を上目遣いで見つめました。

二人は柵の外側の屋上の縁に立っていました。

縁といってもごく狭いわけではなく、端まで1メートルはありました。彼女を落ち着かせれば無事に戻れる状況です。

「もがり笛はわたしに伝えてきました」

「真依、ゆっくり戻ろう」

僕の片手は真依の腕を掴み、もう片方の手は柵へ伸ばしてあと少しで届くところでした。

「もがり笛はわたしに伝えてきました」

その瞬間のことははっきり覚えていません。

胸にドンッという衝撃を感じたあと、身体がふわっと浮いたような気がして、真依のフレアースカートが風でふくらんだのを下から見たのだけは覚えています。真依はずっと笑っていました。


その後のことはよくわかりません。

身体が浮いて景色が変わったと思ったあと、どのくらいの時がたったのかわからないのです、

僕は色々なところにふっと移動して、まるで夢の中のように、手応えのない世界にいます。

夢の中では、走ろうにも走れなかったり、殴ろうにも空振りしたりしますよね、そんな感じです。

誰に話しかけても、誰も気づいてくれないし、なんだかいつも頭の中がぼんやりしていて、自分で何をやっているのかよくわかりません。

真依の姿はたまに見かけます。

そしてふと気づくとまた屋上で薄汚い服を着た真依と小競り合いをしているのです。そしてまたふわっと身体が浮いて。

いつもそれの繰り返しなのはなぜなのでしょうか。

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虎落笛(もがり笛) 大神田サクラ @sakura-ohkanda

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