代償

常陸乃ひかる

代償

 あるところに、とても幸運な男が居た。

 たまたま買った宝くじが一等当選!

 たまたま選んだ馬券が万馬券に!

 たまたま回した福引がハワイ旅行――!

 例を挙げればきりがない。

 男は自分の強運を他者には自慢せず、家賃五万円のアパートで、つつがない生活を送っていた。生き甲斐の姿形すがたかたちを布団の中で巡らせているうちに、また朝が来る。

「不自由がない……」

 幸運な人生への倦怠けんたいは、己がていたらくを肯定する唯一の感情表現だった。

 

 あるところに、とても不運な女が居た。

 三歳の時に家が燃えた。

 火災から二年後に両親は事故で他界した。

 父方の叔父に引き取られた学生時代、イベントの日には必ず体調を崩した。

 就職活動中はインフラの不備で面接会場に迎えないことが十回を越えた。

 恩師でもある叔父も、女が成人する数日前に病気で他界した。

「それでもわたしは生きている!」

 薄幸な人生を前向きに生きる姿は、一般人に対してのあてつけでもあった。


   ◇ ◇ ◇


 不運な女は現在、喫茶店のアルバイトで糊口ここうしのいでいる。目標もなければ、好きな人も居ない、ただ生きることに執着していた。

 ある日、幸運な男が客としてやってきた。店員と客、ふたりの出会いは社会のしがらみの中にあった。

 最初の来店でふたりは顔を知り、二度目の来店で一言だけ話し、三度目の来店で顔を覚えた。男は何度も店に通っているうち、ブレンドを飲み干したあとに頼む、無料のおかわりが楽しみになっていた。


「いつもご来店ありがとうございます。コーヒーお好きなんですか?」

 ある時、女は従業員目線で、顔見知りになった男へ親しげに話しかけた。

「ああ、甘党だから砂糖多めに入れちゃうんだけどね。キミはコーヒー飲むの?」

「はい。でも、わたしも苦いのがダメなんです。子供みたいですよね。あ、お客さんが子供っぽいって意味じゃなくてですね」

 男が笑った、釣られて女が微笑み返した。不思議な感覚だった。

 他愛ない会話を繰り返すうち、互いの気持ちを察し、異性との交流がなかったふたりは惹かれ合い、プライベートで顔を合わせるようになっていった。


『退屈』

『災難』


 両者の人生につきまとう、目の上のたんこぶすら忘れて過ごせる大事な時間を、ふたりは噛み締めていた。やがてふたりは道理のように婚約し、新居を建てた。のちに女は不妊症であることがわかったが、一生の支えになると男は誓約した。

 女は変わらずアルバイトを続け、男も相変わらず働かずに幸運だけを拾ってきた。


 ところが一年もせず、ふたりは事故に見舞われてしまった。隣町に向かうために乗車した快速列車が、カーブを曲がりきれずに脱線したのだ。

 女は多数の傷を負いながらも、慣れた様子で車内から生還した。

 かすり傷を負っただけの男も、無事に外の空気を吸った。

 生を確かめ合ったあと病院に運ばれた女は、医者から二、三日の入院を言い渡された。悪運の強さに胸を撫で下ろし、男も溜息をついた。

「本当に良かった」

「わたし、苦い経験も痛い経験も慣れてるから。へっちゃらだよ」

「入院するなら着替えが必要だ。家まで取りにいってくるよ」 

「ありがとう。でも、急がなくて良いからね」

 男は病院を後にし、自宅へ向かった。

 が、その途中で容体が急変してしまったのだ。道端みちばたで見る見る顔色が悪くなり、頭を押さえながら倒れ、ついにはぴくりとも動かなくなってしまった。

 また、不運にも人通りの少ない場所で、発見されるまでに時間がかかり、病院に運ばれた時には、もう意識はなかった。医者の懸命な処置も虚しく、男はその日のうちに他界してしまった。

 原因は列車事故の際に頭を打ち、自覚症状のないまま過ごしたため、このような結末に至ってしまったのだ。


 女は退院後、ひとりになった寝室でつぶやいた。

「またこうなるんだね」

 多額の遺産を相続した女は、不自由のない生活を約束された。ひとつの幸せを、不毛な形で手に入れたのだ。

 ――今を幸せと思うほか、女の生きてゆく希望が見つからない。

「わたしは今でも生きている」

 女は必死に笑った。朽ちることのない大金に埋もれ、必死に。

 寂しそうに? 嬉しそうに?

 違う。現金で感傷的で、面倒臭い生き物なのだ、人間とは。

 だからこそ彼女の不幸な人生は、いつか土になるまで続いてゆくに違いない。

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代償 常陸乃ひかる @consan123

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