もらうひと

常陸乃ひかる

もらうひと

 おとついは消費期限が切れた弁当をもらった。

 昨日は食べかけの小さなアメをもらった。

 そう言えば三年前に、表に出せない一億円をもらったこともある。

 ――私の職業は、人からものをもらうことだ。

 周りの人間は、それをとしか考えておらず、あらゆる物を私に貢いでゆく。私は生きる術としてそれを受け入れていた。


 ある昼下がり。びょうびょう――と、雨音混じりに、野外から犬の吠える声が聞こえた。今日もまた人がやってきたのだ。私の眼前には扉があるが、一部が格子状になっており、外の様子が窺える。

 どうやら、大きな風呂敷を抱えた女のようだ。女の相貌は、生き物が一体も近づいてくれなさそうな悲愴感があり、挙動はたどたどしかった。

「どうぞ、もらって、もらってください」

 体内から絞り出したようなかすれた声量は、東からの風が彼方に運んでしまった。女の必死な目は、私を唯一の解決策と定めているようにも見えた。

 すぐに『要らない』と言葉を返そうとしたが、女は抱えていた物を手放し、もう背を向けていた。私は扇子のように手を仰いだあと、眼前の扉を開けて風呂敷に手を伸ばした。感触は柔らかく、温もりがある。

 冷や汗に通ずる緊張を覚えながら包みを解くと、中型犬よりも小さな赤子が呆然とした面持ちで私を見据えているではないか。


「うわあ……」

 一年前、無言のまま放りこまれた九匹の猫よりもタチが悪い。――あの時は大変だった。三匹が糞尿を撒き散らし、二匹が鳴きわめき、二匹がどこかへ逃亡し、一匹がすぐ死んでしまい、一匹がよく見たら犬だったのだ。

 追想していた私を現実に引き戻したのは、まだ人語として成り立たない不平不満だった。顔をしわくちゃにし、私のメンタルを鷲づかみにしてくるのだから、焦燥しょうそうは禁じ得なかった。

「オマエ名前は?」

 私が喉の奥から捻出した質問は、嗚咽おえつになって返ってきた。クレーム対応をしたことがないので、納得してもらう手立てが思い浮かばない。

「性別は? 待て、当ててやる。女だろう?」

 私が小一時間も考えたベストな質問も、大きな反感になって返ってきた。桃色のべべを着ているので、女の子で間違いないと思ったのだが。

「わかったわかった。弁当食うか? 四日前のだけど」

 ――今度は無視された。私は四の五の言うのをやめ、赤子を必死にあやした。慣れない手つきで、ただあやした。我が子のようにあやした。数分もすると飽きた。

 怪獣映画さながらの泣き声が、降っている春雨と似た性質であれば、聞き流すのもラクだったろうに。拡声器に匹敵する音量は、とにかく体育会系である。

 それでも私は黙って耐えた。最寄の道路から聞こえる騒音に比べれば、比較にならないくらいマシだったからだ。――私は迫る年末、迎える新年に弁解もせず、翌年も、そのまた次の年も、淡々と新しい時代を迎え続けた。


 ――九匹中、三匹が生き残っている昨今。

 二匹の猫と一匹の犬が、外でふらふらしている。保健所に連れて行かれないか心配していたが、今はそれぞれの首に黄色い紐が巻かれている。そんな律儀な真似、私は国に命令されてもしない。

 思い当たる人物は、

「おなかすいた。オジサンつりしよう、つり。おさかなたべよう」

 歳を取らない私とは異なり、ぐんぐん成長した例の赤子である。

 出会いから五年が過ぎると性別が判明し、言葉もしっかりしゃべれるようになっていた。誰が言葉を教えたのだろうか? そういえば、私だったかもしれない。

 名もなき女児は先日、壊れたラジオをボロボロの工具で修理し、下界の情報を仕入れるようにした。毎日一品、料理番組を聴くのが日課になっている。時刻は正午前、本日も約十分間のクッキング番組聴き終え、『魚』のワードを口にしたのだ。

「だーれがオジサンだ。私は料理なんてできん」

「だってマンサツまずい! おさかなたべたいの!」

「お金はばっちいから、勝手に食うんじゃない!」

「じゃあオジサン、ここからでて、かわ? とかでなんかとってきて」

「私はここから出れん、オマエが行ってくれ。あと『お兄さん』だ」

 仮に『家』という表現を使うならば、ここが私の家なのかもしれない。生を享けてこの方、『家』から一歩も外に出ていない私は、人から物をもらうことで生計を立てている。

「おにーさん? なんでここからでれないの?」

「私はここの警備員だ。ここから離れちゃいけないんだ」

 女児に複雑な話をしても理解できまい。私は子供の扱いに慣れておらず、お茶を濁すのが精一杯だった。女児の頭上にクエスチョンマークが見えるたび、自分の不甲斐なさを感じる。

「けーび? どういうことする?」

「ここでじっとして、この辺を守るという仕事さ」

 私の自信を持った答えに対し、

「まもる? すごい、こと?」

 女児の首が斜めに傾く。子供の怪訝そうな様相は、無垢ゆえに見ているのが辛い。

「ああ、もちろん!」

「やっぱ、すごいんだ! オジサンすごい!」

 私の掃いて捨てるような万言に、女児は目を輝かせながら笑った。

 あなどり、さげすみ、揶揄嘲弄やゆちょうろう――含まれたものはない。あゝ、実に心が痛い。


「じゃあ、あたしがなんかもってきたげる! なにたべたい?」

「おっ、本当に行ってくれるのか? それじゃあ久々にヤニを吸いたいな」

「なにい? どんなの?」

「こう口に咥えて、息を吸ったり吐いたりするやつだ」

 細い物を握る親指と人差し指、すぼめて呼吸する口――ふたつのボディランゲージのあと、気になる間が生まれたが、小さな体が大きな声で「わかった!」と言った。

 私は知っている――女児はまるっきりわかっていないということを。

「いってくるね!」

 女児は、ここから何分ほどでタバコ屋に着けるかも知らない。それどころか、どこに川があり、どのように海につながっているかも知らない。

 一万円札を一枚も持たずに、左右あべこべの汚いサンダルを履き、元気一杯の姿で『はじめてのおつかい』へ向かう彼女の双眼には、どのような世界が映るのだろう。

「はあ……」

 風、葉、風、人、車、風。

 それから、どれだけの音に耳を貸し、どれだけの時間が過ぎたか。こんなことならば、あの神童しんどうに時計の修理も頼めば良かった。


 日が落ち、茜色あかねいろも町から消えようとしていた。

 それなのに女児が一向に帰ってこない。

 見慣れたはずの、ちんちくりんが目に入らない。

 掃溜はきだめで拾ってきたような小汚い服を着た、幼いシルエットが私の住処にない。


「あーあ。外を出歩ける神が羨ましいぜ」

 それでも私は、女児を心配する微塵の思いを胸に、木製の床に寝転がった。体は痛いが、その体勢が最も落ち着く。この住処――やしろでひたすらにゴミが捨てられるのを待っていれば、なにかしらの生活の糧が転がってくる。

「善良な神が居れば、あの子も助かったのか」

 この世には様々な神が存在するという。よそさまは知らないが、私はその端くれである。

 ずっと昔、町外れにあった村は廃村はいそんとなり、当然神社も潰れ、私が引きこもっているこの社を残して人々が消えた。そんな過去のビジョンも、もう思い出すことが少なくなった。

 本日も日が沈む。これといって、めぼしい不法投棄いただきものがなかった。虫の声がやけに耳に残るのは、住人がひとり減ったからだろうか。


 それから。

 一日が経過――げついた鍋をもらった。

 三日が経過――3ドアの冷蔵庫をもらった。大物である。

 一週間経過――女児は戻らなかった。

 一ヶ月経過――今日は雨が降っていた、犬が外ではしゃいでいる。

 しゃべることがないと母国語を忘れかける。が、これを『日常』と言えば、それはそれで――

 はて。女児は託児所たくじしょにでも預けられたのだろうか? 

 あるいは不審者に連れ去られ、丸裸にされているのだろうか? 

 ろくでなしの親が改心し、我が子をふたたび育てているのだろうか。


 ふと雨の音が消え、視線を上にやると七色のアーチが見えた。

 感動も束の間、私の心を破壊する、砂利と靴の摩擦に交じった水音が近づいてくると、外で走り回っていた犬が吠え出した。ほどなく社に張りついてきたのは、生気が食い尽されている死相しそうだった。

「すみません、もらって、ください」

 動物どころか微生物すら寄りつかなそうな女は、コミュニケーションが人生においての短所であるとひけらかすように、たどたどしくつぶやいた。よく見るとこの女、死神を背負っている。

 ――時に、女にいていた死神と目が合うと、私は思わず社交的な会釈をした。死神もすぐに一礼を返してくれたが、気まずくなって互いに顔を逸らした。

 ほどなく社に放りこまれたのは男の赤子だった。

 ――誰だ、社の扉に『里親はじめました』の貼紙を貼った奴は?

「二度目の捨て子か……憤りを通り越して、別の感情が湧き上がってくるな」

 まだ忘れきれないがあるというのに。

「はぁ……おい、オマエ名前は? 男か?」

 母の手を離れるなり、ぎゃんぎゃん泣き出してしまった赤子に私は詰問した。もちろん、返事なんてあるわけがない。

 この世はまるで、無責任で成り立っている。惨憺さんたんたる浮世で暮らすくらいなら、いっそなにも知らないうちに死を選ぶべきではないだろうか?

「……はあ」

 そのうち私は言い訳のように、慣れた手つきで赤子の世話に取りかかった。

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