第65話 終楽章は紅薔薇を添えて(最終話)
半袖ブラウスの背中から、汗をじんわりと感じる季節。
私は夏服をクローゼットから引っ張り出しては手前に並べ、ニットやマフラーなどの冬服を衣装ケースへとしまい込む。
ゆっくり休みたいのが本音だが、じっとしていると仕事での出来事や今後の不安を考えてしまうから、あえて忙しく動くのだ。
真人さん別荘での火事の後。
消防隊の素早い対応により、残された由香さんの身体は救出された。
脈をとったところ、なんと彼女は生きていのだ。
宮古さんが彼女を泣きながら迎えに来た。
由香さん曰わく、火事のショックで身体に負担がかかり、魂が戻ったらしい。
彼女が生き返ったので、幽霊保護課が懸念していたあの世とこの世の魂の誤差はなくなった。
真人さんが死体遺棄を行った件についても、死亡届も出されていないどころか死亡の診断もなされていないため、由香さんが生き返ったことにより、なかったことになった。
由香さんとしても、一度惚れた男を罪人にしたくなかったのだ。
彼女はルカさんに見立てた青いコンタクトレンズと長い黒髪のウィッグをやめた。メイクは相変わらずギャルメイクだ。
「整形してかわいくなっても、アタシはやっぱりこれが好き」と言う由香さんの笑顔は、今まで見たこと無いくらい自信に溢れていた。
ただ、整形をするとメンテナンスが必要になる。それについては、真人さんを脅して今後一生無償でやらせることになったらしい。
真人さんも、自分の行動に責任をもち、彼女をサポートすると誓った。
恋人とは違うものの、2人は秘密を抱えたパートナーとなった。
あのとき、燃える別荘にやってきたのはやはり田中様だった。
彼らは親子だったのだ。
言われてみれば、きりりとした流し目に、格好の良いシャープな輪郭、唇の形がそっくりだ。
ルカさんの話から、どうやら親子間でいざこざはあったらしい。
今は心と身体の傷を癒すためにシドニーで過ごしたいという田中様に付き添い、真人さんもシドニーに行っている。
田中様は、あれだけ拘っていた棺コーディネートを「もう完成でいい」と言った。
麗を息子の様に接していたが、実の息子とすれ違った心を通わせるのに夢中なのだろう。
彼女を疎ましそうにしていた麗も、肩をすぼめて少し寂しそうにしている。
ルカさんはあの後、権田原さんと共に自分の両親に会いに行った。
その様子を、陰でこっそり麗が見守っていた。
彼女は今までの自分の気持ちをぶつけた上で、「会うのはこれで最後にする」と言って泣きながら一人で家を飛び出したらしい。
両親は彼女を止めなかった。両親も涙しながら、「ルカの最初で最後の反抗期だ」とだけ呟いたそうだ。
そして、権田原さんには「あの子は我が儘な子だから、君が愛想を尽かしたらいつでも戻ってくる家があると、いざというときに伝えて欲しい」と告げた。
権田原さんは、「僕はこの筋肉が脂肪に変わったとしても彼女を守りマッスル」と言ってルカさんを追いかけ、2人を安心させたらしい。
ちなみに、彼はどこかでルカさんと生活しながらも、週に一度は戻ってきて、アルバイトとしてせっせと執事業務に携わっている。
帰ってくる度に、家事が得意でない散らかった屋敷を見ては「やりがいがありマッスル」などとため息をついている。
ジュディさんは、この夏こそはオーストラリアの実家に顔を出す決意をした。
その際は、彼がまた逃げないように夏休みを幽霊保護課の皆で合わせ、彼の家に押しかける計画をたてている。
白亜さんは、幽霊保護課の仕事をやりつつもバーデンダーの仕事をこれからも続ける予定だ。
麗は、ずっと思っていた姉であるルカさんの件が一段落し、強い意志で行っていた棺コーディネートの事業や幽霊保護課の仕事に対してやる気が起きず、一時的に燃え尽きたようになった。
両親は麗にホテル事業を引き継がせようとしていた両親も「無理はしなくていい」と弱気になっていたが、麗は新しいことにも挑戦したいと、今はやる気になっている。
夏物の服の整理も終わった。
時刻も19時を僅かに過ぎたところ。
メイク直しをしようとして、お気に入りの真っ赤なリップを塗ろうとするが、ほとんど無くなりかけている。
メイク道具は、私の命。
自分が自分であるために、必要なもの。
おかしいかもしれないが、私はジュエリーや印鑑レベルの大切なものを入れる引き出しに、新しいメイク道具を保管している。
そっと引き出しを空けると、麗と交わした契約書が目に入る。
ドクドクと心臓の鼓動が早くなる。
最初は闇雲にサインした契約書だが、幽霊保護課で法律や手引きを駆使した今なら、すらすらと読めるのだろうか。
赤坂に来て、麗と過ごして一年、本当にいろいろなことがあった。
棺コーディネートや幽霊保護課での仕事を通して、生きている、亡くなっているに限らず様々な人間の感情に触れてきた。
そこで意識するようになった、大切な人や私自身の最期の姿。
幽霊保護課はさておき、棺コーディネート華菱で好きな蒔絵の仕事を続け、このまま仕事に一生を捧げる人生は悪くない。
しかし、この契約書はあくまでも契約結婚を交わした内容が示されている。
私は麗のことを、仕事上の最高のパートナーだと思っている。
同時に、最期まで添い遂げる相手であってほしいと思っている。
はじめは条件が良いからといった理由だが、今は違ってしまっている。
私は、麗を愛している。
彼は、未だに自分しか愛せないのだろうか。
だとしたら、悲しすぎる。
大好きな相手と結婚しても、最期に自分が目を閉じるとき、見守られていたのだとしても、麗の心に私はいないのだから。
部屋のドアをノックする音が聞こえ、麗が入ってくる。
赤いポロシャツを来て、スーパーの袋を掲げている。
「葵さん、今から2人で屋上で敷地内バーベキューしましょうか」
話し方が、どこかぎこちない。
屋上に上がり、バーベキューの機材に火を着ける。
炎が穏やかに広がる。
火事の時とは違った、優しいオレンジ色の光。
網に肉を乗せると、油がじんわりと滴る。
こうしていると、本当の仲の良いカップルみたいだ。
無言でいると気まずいために、不安をかき消すように話す。
「髪に臭いがつくとか、焦げが苦いとか言ってた麗がバーベキューだなんて」
「あの、話がありまして。いや、話すようなことではないのですが」
麗は挙動不審になりながら、ビニール袋から何かを取り出す。
私と交わした、麗が持っていた側の契約書。
「あの日から、一年でして。当時、僕はキザにプロポーズしたのを覚えていますか?」
こくりと頷く。
あんなの、忘れるわけがない。
「あのとき、華麗にプロポーズできたのはどこか他人事でしたし、プロポーズする僕は美しいと思っていたから。パフォーマンスなので。でも、今のあなたを前にすると、同じことはできない」
麗は、視線を合わせない。
美しい横顔を、夜風が撫でる。
彼は顔を上げて、しばらく私を見つめた後、契約書を炎のなかへと投げ入れた。
あっ、と声を漏らす私。
麗は早口で、耳まで赤くして告げる。
「契約結婚は破棄で。そのかわり、恋愛結婚と考えていますが受け入れてもらえますか?」
背中に隠し持っていた、私の分の契約書を炎へと放り投げたのがプロポーズの返事だ。
希望にも、恐怖にもなりうる炎をもたれ合いながら、2人でいつまでも見つめる永くて幸せな夜。
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最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございましたm(_ _)m
後半、私事で更新が遅れてしまって申し訳ございません。
応援コメントをくださった皆様、いつも楽しく読まさせて頂いております。
この後執筆を続けられるのか悩んでおりますが、もし新しい作品に手をつけた際には遊びに来てくださると嬉しいです(*^^*)
終楽章は紅薔薇を添えて🌹 うぱ子 @upaupa0810
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