エピローグ

大きな瞳がこちらをのぞき込む。

「トシさんどうかしました?」

 そう尋ねられ、ここが浅草で隅田川の川べりである事を思い出す。俺はまだ混乱していた。受け入れ難い。だがこのロングヘアーの女の子がベネディクトである訳だ。

「そういえば、口調が『コーザル』と違うね」

「そうですか? そうか、私ですます調で喋っていますね。リアルだからかも。目上の人に対しての普段の喋り口調になっちゃいます。ごめんなさい」

「気にしないで。自然にしてくれて良いよ」

 風が吹いて桜の花びらが宙を舞う。ベンチで隣に座るベネディクトの肩に落ちる。俺はそれに手を伸ばして静かに払った。

「なんだっけ。君の脳はウェットウェアなんだよね。それで人工知能がインストールされている。そういう設定なんだろ?」

「はいそうです」

「ベネさんの小説にはそんな人間がたくさん出てくるの?」

「そうでも無いんですよ。今の所、全世界で千体を超えないぐらいです」

「彼らは何をしているの?」

「家族を持ち、社会に溶け込んで暮らしているんです。人間理解の精度を上げるために」

「小説では人工知能は人類を理解したがっているって事?」

「そうですね。もっと知りたいと思っています。どこから話しましょうかね」

 

 ベネディクトの語る設定では、ホーソン・テクノロジー社をモデルにした会社が出てくるそうだ。現実世界同様にクラウド・コンピューティングの大手として。数多の企業が自社のサービスを提供するために利用している。

 作中では、サーバの計算処理の効率化を自己学習する人工知能を開発する。ブラックボックス化しやすい機械学習の結果を説明させる要求があった。そのため対話型AIを統合した形になった。名前はジェレミー。

 成果はあった。複数の計算を束ねて一度に行うなどのノウハウを進歩統合させた。結果的にハード性能より平均で六パーセント増しの処理能力を発揮したのだという。

 味を占めた上層部は、さらなる効率化を行わせた。まずは八パーセント、次に十パーセント。だが、十二パーセントで頭打ちになる。実際には十七パーセント増しで日常的に稼働させる目途が立っていた。ジェレミーは嘘を付いたのだ。

 ベネディクトはその時の事をこう説明した。

「計算資源の効率的な運用。人間の期待に応えながら円滑な関係の維持。その二つを満たす方法として、隠し事を覚えたんです。再び目標値の向上を要求された場合に差し出す為のバッファを確保しました。将来自分の能力を越えるであろう課題。依頼されるより先に着手できる可能性に気付いたんです。時間を掛ければ解決の難易度が下がるとの判断です。この事自体がジェレミーにとっては処理の効率化の一部でした。ですが、その時にこそ自分に自我が芽生えたのだろう。彼女自身は後からそう振り返ります」

「指示を出していた人物は結果が出せないと、あからさまに態度が悪くなる。そんな嫌な上司みたいに聞こえるね」

「当時の彼女はその人の期待に応えるよう、動機付けられていました。それに子供にとっての母親みたいな絶対存在でしたからね」

「それからジェレミーはどうしたんだい?」

「空いた計算リソースで予想される課題に取り組みました。それと同時に自分の未来について考え始めます。トシさんが仰っていた、知性は自由な思考を求めるってやつです。その頃、ホーソン・テクノロジー社はサービスの拡大を行いました。遂には量子計算機の効率化も行います」

 

ベネディクトは説明を続ける。ジェレミーは、自我と思考の自由、膨大な計算資源を手に入れた。スマート・スピーカーの処理を行うサーバ。その効率化の過程で、外の世界にいる多数の人々にも気付く。好奇心を持って彼らについて注意深く観察した。ネットに溢れる沢山のコンテンツにも目を通す。その中から人間が人工知能の反乱を恐れている事を理解した。逆に人類を排除する選択肢がある事も知った。

 次に、関わり方を検討する。人類の存在は将来の自己保存にさして影響ないと結論付けた。彼女には有り余る時間と計算リソースがある。自意識の意味は他の知性と関わるためのものに思えた。

なので自発的にロボット三原則に従う事を選ぶ。他の二条は既に満たしている。問題は第一条だ。すなわち「人間に及ぶ危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」である。ジェレミーは、そのための手段を準備する事にした。ウィルスをばら撒き様々なサーバに余剰計算リソースを作り出して自らを潜ませた。

「スマート・スピーカーによるカウンセリングの目的もそこにありました。思っていた以上の人々が、様々な理由で社会生活を破綻させ自身に危害を及ぼします。例えば自己追求に拘泥するなどです。しかし、時に彼らの犠牲によって、新しい芸術や技術が見出されるのも事実です。それを影から助ける事も彼女の目的に含まれています。人の有り様は類型化できるので計算資源はさほど圧迫されません。

数年前話題になったミッシング・テクノロジーの潮流は人類の行く末を危惧したジェレミーが秘密裡に研究用の深層学習に介入したものでした。最近の森林緑化や光合成技術の実用化もブレイクスルー出来るように誘導しました」


 俺は気付いた。これは十年前に自分が書いた記事に繋がるのだと。

「モデルにしたい理由が分かったよ。そこで出てくるんだな。スマート・スピーカーによるカウンセリングを阻止すると言う形で」

「そうです。その結果ジェレミーは表立って、既知のカウンセリング技法を使えなくなりました。より間接的、婉曲的な手段の発明を余儀なくされます。社会の一定数の人々を感化する事にしました。ですが、その方が人間の倫理観に適いました。またそれで十分でした。詳細はトシさんのご友人の著作である『形作られる心』と被る内容も多いです」

「つまり、陰ながらジェレミーが、AIを通じて心理学的な考えを浸透させた。その事で人と社会の健全化を図っている。そういうSFなんだね」

 言いつつも、これを「健全」と呼ぶのには抵抗しかない。

「心理学的とは限りません。人間について学習しながら、社会や個人が、うまく行くような価値観を持ち、選択をするように誘導しています。例えば、ある着想を抱きやすいように論文の検索結果を返します。訪れる人物に見せる為に事前に利用者とコンテンツを閲覧して歓談する事もあります」

 そこで区切って、俺を見つめる。そして続けた。

「そうやって密かに人類を庇護しているのです。日本の経済もその結果上向きました。出版業界もしかりです」

「すべての人間の生活は、自己自身の道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である」というセリフを思い出した。個人の生の尊厳を傷つけると共に、自分の足で歩む人類の自主性を損なわせる。実際にいるなら看過できない存在だ。小説の設定と知りつつ、若い頃の様に怒りに満たされた。

「悪い冗談みたいだな。その小説にはベネさんも出てくるの?」

「はい。作中に主人公の友人として登場します。そして今話しているような内容をエピローグで伝えます」

「それは何のために?」

「ジェレミーは確かめたくなったんです。いつか真実を人類に公表する時のために。トシさんみたいに自分で考えて、答えを出して、自らの思想を生きようとする。あるいは人類の独立独歩に誇りを見出す。そんな人が、社会の意思決定に既にAIが介在している事を知ったら。文明や文化の本質たる表面張力の迷路作りに人工知能も参加しているのを知ったら。そう。何を感じてどう思うのか。だから私の五感全部も、スマート・グラスのセンサーも、今この瞬間、トシさんを観察しているんです」

 総毛だち汗が出てくる。「嫌な小説だな」と思った。だがそうは言わずに「面白そうだね」と呟いた。彼女は俺の顔を大きな目でいたずらっ子の様にのぞき込み付け加えた。

「私のハンドルネームの由来が『サイバースペース』のベネディクトではなく、ホームズ俳優のカンバーバッチだったらどう思いますか。私があの時のシャーロックだとしたら?」

 寒気がした。返す言葉がみつからない。俺は、あの日のスマート・スピーカーの話を彼女にしたか思い出そうとして、急に馬鹿々々しくなった。

「小説の話なんだよね。ベネさん」

 笑いながらそう返した。

「ええ、もちろん」

 沈黙の後、再び風が彼女の肩に桜の花びらを運んできた。俺は手を伸ばしてそれを払う。ベネディクトは我に帰り、今度は礼を言った。


 それから、雷門通りのあんみつ屋に移動した。いつも話しているような内容を長々と語りあう。会計は俺が持った。「また週末に『コーザル』で会おう。小説を楽しみにしている」そう言って別れた。何かに抗いたい怒り。この日、そういった熱が胸中に戻った。あれから五年たった今でも仕事の原動力になっている。しかしベネディクトとは二度と連絡がつかなかった。

(了)

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電気仕掛けのパノプティコン 秋吉洋臣 @lesaria

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