表面張力の迷路 Ⅳ

 今日の目標枚数は書き上げた。先月と違いスケジュール的に余裕がある。晩酌もしやすい。興も乗ったので、スパゲッティを茹でた。

 鶏胸肉をひと口サイズに刻む。フライパンにオリーブオイルを引く。そして塩と黒コショウで炒めた。皿に取り出す。ニンニクの乾燥チップと輪切りの唐辛子を入れ熱しておく。出来上がったスパゲッティの水をよく切る。それをフライパンに入れて絡めた。最後に鶏胸肉を乗せてある皿にぶちまける。

 出来上がったペペロンチーノをソファーのサイドテーブルに置く。キッチンに戻り、冷蔵庫から缶ビールも持って来る。喉越しで流し込んで、料理を半分ほど平らげる。後はちびちびやる。

 気分よく過ごせるのはここまでだ。悪い習慣だ。酒が入ると、ついN代議士について調べている。憤りを反芻するような行為だとは分かっていた。その結果、政務官を経て過去に二度、大臣を務めている事は知っていた。

 スマート・グラスを取り出し、動画共有サイトにアップされたニュースを検索する。このところは、数度一緒に映った秘書らしき男性が気に掛かっていた。何処かで見た気がしてならない。

 

 翌日の昼過ぎ、仕事の気分転換で駅前のコンビニに行く。最近、一回の酒量もつい増えていた。なので缶ビールを補充する機会が多い。

 帰宅して今週の経済誌を確認する。峰岸の記事にも目を通した。気乗りしたので誉めてやろうと「アストラル・コネクト」を利用して通話をつないだ。 

〈おはようございます。川浪さん〉

〈お久しぶりです。私はお邪魔にならないように引っ込んでいますね〉

 如月クリスが気を利かせて消える。机の前に座る峰岸の目の前に写真が宙に浮いて整列していた。AIと写真を見て話していたのを想像すると滑稽に思える。気付かれないように次の言葉を選んだ。

〈資料の整理か?〉

〈彼女、急に写真を見ようと言い出したんです〉

 峰岸がはにかんで笑う。

〈しかし、なんでもスマート・グラスを使うんだな〉

〈彼女とならこの方がやりやすいんです。友人とでも、直接会わなくても同じものを目の前に置いて作業できますしね。〉

〈PCの画面をビデオ通話で共有して話すだけで十分だと思うんだけどね。古いかな〉

 そう言いながら拡張現実で峰岸を訪ねている自分に気付く。その矛盾を頭から追い払う。気を取り直した瞬間、ふと思い立った。

〈ちょっと俺にも見してくれないか。一緒にいた時に撮影したものだけでいいから〉

〈ええっと、いつ頃のですか?〉

〈今年の初めからでいい〉

 半ば強性的ではある。だが峰岸は大量に保存している画像を快く見せてくれた。普段から整理している様だ。見られては不味いものは分けてあるのだろう。

 土浦で話題にした、二月中頃に撮影した写真に目が留まった。そうだこの時だ。資産形成の企画だった。個人投資家のインタビューを終えた後だ。彼が住居として使っている都内のホテルの一室を出る。廊下を歩きながら、峰岸はスマフォを袖口に隠して廊下をスナップしていた。エレベータ・ホール手前で、別の通路からきた男性客二人が写り込んだ。

 今みると、二人とも仕立てのスーツを来ている。その一人が気にしていたN代議士の秘書であった。峰岸の興奮気味の声が被る。

〈見てください。これミーティス社の専務ですよ〉

〈本当か?〉

 俺はそう言って見入った。エレベータの前だ。専務から秘書に黒のアタッシュケースが渡る瞬間が収められている。もう一枚は二人がこちらを睨みつけた一瞬である。その後は互いに知らぬ顔のままエレベータで一階まで降りた。相手は峰岸の隠し撮りに気付いてないだろう。今回の裏が読めたような気がした。


 今日は俺がマミカの住まいを訪れる。ボストンは朝の九時半のはずだ。スマート・グラスが視界に合成するメッセージ・ウインドウ。そこに準備が出来ていると折り返しの文面が届く。〔アストラル通話〕をタップした。

 俺の部屋が消えていく。オレンジ色の壁紙で上書きされる。正面に二人掛けのソファーが現れた。マミカが腰かけている。隣にはハウスシェアしているアシュレイ。肩に手を回していた。弁護士をしており、オレンジに近い金髪。痩身で背は高い。何か耳打ちして立ち上がる。日本人では、あるいは男性同士ではあまり見ないしぐさ。女性同士の親密なそれ少し驚いた。

〈久しぶりねトシ。元気だった?〉

 英語で話しかけて来る。俺もそれに応じた。

〈おはよう。そこそこって所だよ。アシュレイはどう?〉

〈聞いているわよ。ジャーナリストはどの国でも大変ね。私は至って順調〉

 そう言ってウィンクする。

〈それは良かった。この前の訴訟はどうなったの?〉

 破顔して口に手を当てて笑い出す。

〈ねぇ、聞いてそれがまだ続いているの。私そんなにお金もってなさそうって言ったじゃない。なのに上訴したのよアイツ〉

 あらましを面白おかしく話してくれた。守秘義務に触れないよう、仔細はぼかしているようだ。その後で邪魔だろうから自分の部屋にいると立ち去った。

 俺たちが残されて、少しの間の沈黙。アシュレイと話していた時の余韻で笑いながら自然にだが、つい尋ねた。

〈二人で何を話してたの?〉

〈食事や、掃除の当番とか、週末の予定よ。そんな事より、残念だったわね〉

〈電子版を見たのか〉

〈自分が情報を提供したんだもの。何があったの?〉

 おれは深く一息吸ってから吐きだす。そして出来るだけ冷静に状況を伝えた。だが、九月の忙しさがこの結果である事の愚痴がつい混じる。マミカは相槌を交えて最後まで聞いてくれた。

〈大変だったわね。何か私に出来ることはある?〉

〈大丈夫。聞いてもらって鬱憤は少しマシになったよ〉

 マミカは目線をそらせたあと、戻して口を開いた。

〈考えてたんだけど、俊くん。あのネタを自分で記事にする事に、こだわりがある?〉

〈どうするつもりだい?〉

〈私が書いて投稿しようかと思っているの。日本のWEB系メディアに〉

 彼女の言葉で思い出した。自分にだって、まだ迷路の壁が作れるであろうその事を。


 ペルガミノ社内で行われる特集企画のコンペ。佐伯が同席するのは二回目だ。前回は小坂編集長の話の後、ネット越しでの参加であった。今回は直接こちらに出向いている。形ばかりのお目付け役だ。忙しい中、損な役回りであろう。だが、本人は明るく発言する。

 誌面を良くしたいと言う気持ちが伝わって来る。あまり喋らない峰岸もつられたのか心なしか発言が増える。だが、澤口も俺も、批判的なトーンの企画案は控えていた。佐伯もそれを分かっているようだ。そこには、強い表面張力が働いていた。

 終わってから会議室を出ると、打合せブースから出て来た武藤と鉢合わせした。彼女は。専属契約を解除し、他社とも仕事をしている。ペルガミノ社でも精力的に記事を担当していた。予定と違い、仕事が減った気配があまりない。いまでも牽引役の一人だ。

「おや、川浪くん。丁度いいね。今終わったのかい」

「はい、そうです。そちらも大丈夫ですか」

「用事は一通り済んだよ」

 そこに執務エリアに戻り掛けの澤口が珍しく冗談を飛ばす。

「付き合いのある他社に引き抜いたりしないでくれよ」

「自分が相談に乗ってもらうだけですよ」

 俺がそう応じる。そこにトイレから戻ったらしい小坂が手を拭きながら乗っかった。

「武藤くんに倣ってフリーに転向とかは、やめてくれよ」

 さらにまだその場に居合わせた、佐伯がさらに被せた。

「それなら弊社で専属契約したいですね」

 その瞬間、何故か場がわいて皆が笑った。


 ペルガミノ社を後にして、武藤と駅の方向へ向かった。裏路地にある珈琲店に入る。出来るだけ奥の席に座った。平日のこの時間は空いており閑散としている。ウェイトレスにブレンドをホットで二つ頼んだ。

「それで、呼び出したって事は、社内でもチャット上でも話せない内容ってことかい?」

 そう尋ねられた。

「ダイレクトメッセージで話しても良かったんですけどね」

「内容によっては勧めないよ。管理者権限があれば閲覧は不可能じゃないらしいからね」

「ええ、そうじゃないかと思いました。実は見せたい写真があるんです」

「他の人に見られたくないんだね」

 実際は、いつものメッセージ・アプリでもよかった。だが率直に言うなら、直に会って反応を見て話したかったからだ。もちろんそんな事は口に出さない。

「田所さんを頼りたいんですよ」

 真顔になった武藤に俺は続けた。

「先月のゲラ刷り直後の原稿差し替えの件、お聞き及びですか?」

「理由以外はね。そうは言っても察しは付くけど」

 戻って来たウェイトレスが二人分のコーヒーを机に並べる。

 小声で、小坂から説明された内容を話した。カップを脇に避けて、ノートパソコンを取り出して机に置く。峰岸から共有された写真をモニターに映した。それから俺の考えるあらましを伝える。

 ミーティス社の専務は、献金で自社のシステムの口利きを頼んだ。N代議士はそれを裏金として受け取った。これはその現場なのだ。見送りがてら、エレベータ前まで現ナマの入ったアタッシュケースを運んで渡した。俺たちは別れる所に行き合わせた。

 例の記事が出ていれば、顔にドロを塗られ、受け取った金の義理も果たせない。その為、記事を揉み消したのだ。そう話した。

 聞き終わると武藤は腕を組んで押し黙った。

「それが本当だとしよう。君はどうしたいんだい」

「この件、田所さんに、記事にしてもらえないかと思っています」

「なるほど、そんな所だよね。でも、この内容だと弱いと思うんだ。中身だって私物かも知れない」

 正直なところそれは理解していた。一種の腹いせに過ぎない。まともに取り扱ってもらえない可能性は重々承知だった。だが何かせずにはおれない。

「自分なりに調べました。N代議士に関係する団体の前年度の政治資金収支報告書には、ミーティス社も七菱重工も記載がありません。裏金じゃなくても、あんな場所で会っていたんです。何か知られては不味い件にちがいないです」

 武藤は探るようにこちらの顔を覗き込む。

「それで、どう話を持っていくべきか、助言を頂きたくて。あと田所さんの連絡先も教えて頂けると助かります」

 俺が続けると溜息をついてから言った。

「預かっていいかな。こちらで話してみるよ」

 この時は期待うすだなと、諦め半分だった。


 十一月末頃。マミカの書いた記事は、リベラル系ニュースサイト、アリアナ・フィードの日本版に掲載された。タイトルは「ウェットウェア技術に暗雲」である。名義はショウコ・ブラッドリー。

 マミカの話だと、半年前にジャパン・フェスティバルで知り合ったらしい。国際結婚してボストン住まい。米国のニュースを日本語で紹介しているそうだ。検索すると彼女の過去記事が幾つかのニュースサイトに上がっている。その寄稿先の一つにねじ込んでもらったそうだ。

 結局、SNSで一部の人間が言及して、それなりに拡散された。残念ながら、それ以上の注目を浴びる事は無かった。 

 十二月末、今年最後の打合せをペルガミノ社で行った。月一の企画会議と違い、佐伯はネット越しの参加だ。年明けの新年号の原稿で忙しい。だが神保町まで来たついでだ。珈琲店に腰を落ち着けた。ドリップを飲みながらノートパソコンに向かう。ノマド・ワーカーらしい仕事の仕方をして気分転換と言う事にした。

スマフォに通知が入る。横に脱いであった、ダウンジャケットから取り出す。開けてみれば武藤からのメッセージである。

〔田所から、年明けの新年号を読んで欲しいと言って来たんだ。多分、例の件だと思う〕

 N代議士を巡る黒い金の疑惑。翌年、田所の週刊誌にはそう文字が踊った。見開きには、峰岸が取った写真が載った。過去の経歴や噂話。数年前の不倫。それらに触れて素行の悪さを印象付けてあった。そして最後に、新しいスキャンダルとして、秘書とミーティス社の専務の密会について言及してある。記事は「つづく」と結ばれていた。

 俺はこれだけでも随分と胸のすく思いがした。だが、通常国会が始まった翌週の新年第二号は予想外だった。まず、関連する団体の政治資金収支報告書に記載が無い事を指摘。次にミーティス社の専務が代議士に「口利き」を頼んだ背景についての推測が述べられていた。ショウコ・ブラッドリーの記事にも振れられる。専務は国際生命科学倫理条約機構の動きを予想していた。その為、七菱重工のミーティス社への出資を早期回収する為に焦ったのだろうというものだ。次いでN代議士本人と、専務の会話の録音と称した内容が紹介された。結果として、翌日から国会で、野党からの激しい追求が始まった。

 そもそも田所はN代議士を吊るし上げる準備をしていたらしい。結局、俺の打った手は、記事の構成にうまい具合に取り込まれただけだ。結果いい様に使われた訳だ。自分から頼んだ事ではある。なのに癪には触った。そうである自分には笑えた。


〈それで、あとは報道されている通りって訳だね〉

〈N代議士は、党内部からも批判する声が上がって四面楚歌さ。決まっていたミーティス・システムの導入も白紙に戻った〉

 ベネディクトの言葉に俺が答える。外は夜だ。繁体字で書かれた赤や黄色の看板。それにネオン。派手に狭い路地の上を飾っている。飲食店の机や椅子が路上を侵食していた。沢山の人々が席にひしめき、酒や料理を堪能している。点心、排骨、拉麺や火鍋もあった。箸と食器の触れ合う音や広東語らしき会話が喧噪となっている。合間に漢方薬舖や偽物らしいブランド品を売る商店などが並ぶ。

ここは、ネオ・クーロンと呼ばれるサーバで「コーザル」の中では観光名所の一つとなっている。雰囲気を味わいたい。ベネディクトはそう言って路面店の一つに腰を落ち着けたがった。だがNPCのモブがひしめくのだと思うと、名物の喧噪も好きにはなれない。なので、俺は静かな場所で落ち着きたいと主張したのだった。今は、赤を基調としたありふれた内装の飯店に居た。

〈野党議員が国会で、二人の会話を読み上げたでしょ〉

 ベネディクトはグラスに注いだ老酒を空にする。だが現実では、いつもの炭酸水だろう。

 机の上の飾りに点心の蒸籠が三つ。それに重ねられた取り皿に箸が二膳ならぶ。

〈でっち上げだと騒いでいたな。けれど、後から生音声が公開されて目を白黒させていた。痛快だった〉

 動画サイトでそのニュースを見た率直な感想だ。裏ですべてを繋げた七菱重工が上手くすり抜けたのは癇に障る。そこまで上手くは行かないものだ。とはいえ結果には満足している。

〈でもなんで、裏金として受け取ったんだろうね。献金なら追及される心配はないのに〉

〈政治家だものな。何かと監視されず自由に使える金が欲しいんだろ。ミーティス・システムを採用する収賄に使ったのかもしれない〉

〈なるほどね〉

 長く酔っていられるよう、缶ビールを少しずつ口に入れる。

〈そう言えば彼女さんの事は残念だったね〉

〈いや、これで良かったんだ。関係の区切りとしては。互いに惰性だったしね〉

 マミカの婚約の報告があったのは一月末だ。相手はアシュレイ。養子を迎えて育てると聞かされている。祝福は述べて変わらぬ友情を約束した。ビバ・アメリカ。自由の国。だが、複雑な心境だ。

〈ところで、今日は、どうして九龍なんだい?〉

〈ここの路地は入り組んでいて、迷路みたいでしょ。トシさんが以前、社会はそんな感じだって言っていたのを思い出した。そこから連想したんだ〉

 長年付き合ってはいる。だが酒は飲まない。イジっても動じない。それだけじゃなく、こんな事を言い出す。だから時々食えないやつだとも思う。だがそれはそれで少し愉快だ。

〈それに、最近は思うんだ。人の間で隣近所を見回してしか、人は人として生きていけないんじゃないかって。トシさんは環境に自己を決定されたくない。内から自ずから出てくるモノに従いたい。そう思っているんだろうけど〉

 社会は、いや人類が総体として自立して意思を決定している。俺も一個の人間として悩んで結論を出す。表面張力の迷路でそのように惑う。その事が全体の独立独歩を部分的に支えている。そう考えて自らの自尊心を満たした。だがそれとは裏腹な返事をする。

〈確かに、他人の顔色を窺う事で自分のあるべき姿を決めたくなんてないな〉

 こんな風に言う事が、俺らしいと思ったのだ。そんな内心を隠そうとまた話題を変える。彼の小説について尋ねた。

〈それで、どうなんだい。作家さんの進み具合は?〉

〈色々、考えていたんだけど、多少まとまって来たよ〉

〈シンギュラリティ物なのは変わらないんだろう。どんな話なんだい〉

〈そう言えば、その事で、相談があったんだ〉

〈なんだい?〉

〈トシさんを主人公のモデルにしたいんだけどいいかな?〉

〈俺を? またどうして?〉

〈詳しくは会って話すよ。設定とかいろいろ〉

 出会った当初に何度か、こちらから誘ったが応じなかった。だから現実での対面の急な申し出に驚く。

〈リアルでって事?〉

〈うん、物理現実で実際に〉

〈いいよ。一度ベネさんには会ってみたかったんだ〉

 俺は快諾して尋ねた。

〈いつ頃がいい?〉

 そして、ベネディクトの丸眼鏡。その奥にある細い目を覗いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る