第4話 登城

 一定のリズムで伝わってくる揺れと少し開けた窓から入ってくる風に、セレーネは思わずあくびを噛み殺した。初めて乗る馬車に酔わないか心配していたのだが、流石王族が乗るものだけあって睡眠不足のセレーネにはさながらゆりかごのようだった。

 向かいに座るシモスとレスカテの目の下にもしっかりクマが出ているのだが、二人は今後の事を思案しているのだろう。どこか一点を見つめるその表情は固い。

 セレーネも二人に倣い、昨晩の談合で講じられた計画を頭の中でなぞった。


 一行を乗せた馬車はまず、屋敷から30分程行った場所にある転移ゲートを通る。転移ゲートは商業地区ファノスへ通じ、そこで更に王都に繋がる転移ゲートを潜る。

 レスカテの魔術で一気に王都まで転移することも考えたが、三人を屋敷から遠く離れた王都まで運ぶとなると魔力の消費が激しい。万が一城内で一悶着あった際に、頼りとなるレスカテの力が奮えないのでは危険だ。

 これを憂慮し、少々時間はかかるが転移ゲートと馬車を使うという話に落ち着いた。


 そもそも『城内での一悶着』なんてものは本来あるはずないことなのだが、もう既に状況は来るところまで来ている。

 療養として王都から離れていたシモス達は、宰相であるクローロンからの魔法鏡による一報が無ければいよいよ王が倒れた事すら知り得なかっただろう。

 至急王都へ向かうこととなったシモス達の屋敷に襲撃があったのは、その連絡を受けた翌朝のことだったという。



◆   ◆   ◆



『……んとに効くんだろうな』

『………だし楽勝そうだな』


 シモスは聞き慣れない男達の『声』で目が覚めた。時刻を確認し、訝しむ。

 腕を失い療養として王都から遠く離れたこの屋敷に来て1年、絶え間なく『声』が聞こえてしまうシモスには屋敷内の使用人達が起きている間眠る事が困難だった。

 そんな彼を慮り、『声』が聞こえないレスカテを除く屋敷の使用人達は指定の時間より早く起きることはないのだ。


(嫌な予感がする)


 シモスの頭に腕を失った時のことが過ぎる。両肩を走る激痛と血の匂い、意識を手放す直前に聞こえた「メンダークス」という『声』……

 シモスは聞こえてくる声に耳をすました。


『さすがオウジサマの屋敷だな、ちょっとくらい拝借してもバレやしねえだろ』

『へえ…意外と綺麗な顔してんじゃん。ほんとにこいつが強いのかよ』

『毒魔法って、こうやってかけるんだな。魔法陣書くとかじゃねえんだ』

『魔族っつっても見た目は人間と変わんねえな』


 シモスはベットの天蓋から垂らしてある紐を口に咥え、力の限り引っ張り、叫んだ。


「レスカテェ!!!!!」


 直後、屋敷内に爆音が鳴り響いた。次いで使用人達が慌ただしくドアを開閉する音、廊下を走り回る音、男達の怒号が聞こえてくる。


「シモス様!!」


 シモスが侵入者達の『声』を聞き分けようと集中していると、専属騎士のジンが部屋に飛び込んできた。彼はシモスがどこも怪我をしていないことを確認すると、ローブを手に取りシモスに被せた。


「ここは危険です。一旦避難しましょう。」

「危険なのは僕じゃない。奴らの狙いはレスカテだ!」

「ええ、ですが貴方は王子なのです。誰よりも先ず安全を確保されるべき存在だ。」


 シモスは悔しそうに顔を歪め、俯いた。


「……ああ。」

「それに、心配しなくともあの人はこの屋敷内で一番強いですよ」


 ジンはにやりと笑うとシモスを抱き抱え、転移の魔術を発動した。



「ここなら大丈夫でしょう」

 ジンは辺りに敵がいない事を確認すると、そっとシモスを下ろした。二人が転移した先は屋敷から離れた森の湖の辺りだった。

 過去に襲撃を受けたことのあるシモスらは、万が一同じようなことがあった時に備え、落ち合う場所を予め定めていた。レスカテ達が無事屋敷から抜け出した折には、ここで合流する予定だ。


 二人は目の前の景色を見渡した。

 先程までの喧騒が嘘だったかのように森は静寂に包まれている。陽光がキラキラと反射し水面そのものが発光しているようにも見えるその景色は、伝説で語られる天界の光の湖を思わせた。


『可哀想に…何故シモス様ばかりこのような目に遭われるのか……この湖が天界へと通じてるなら今すぐ神に慈悲を乞うのだが…』

「おい、余計な事を考えるな。伝説なんぞくだらない。そもそも神がいるならこんなことにはなっていないだろう」


 シモスは苛立ちを隠さず言い放ったが、ジンから聞こえてくる憐憫の声は止まなかった。


 それからどれくらいの時間が経ったのか。時が経てば経つほど二人の頭には悪い想像が浮かんでいた。

 いよいよジンが痺れを切らし、街へ移動することを切り出そうとした時、目の前が薄水色の光に包まれた。そして光の中から続々と屋敷の使用人達が現れた。

 彼らはシモスとジンを見つけるやいなや、無事で良かったと涙を流した。二人も彼らが負傷を抱えつつ一人も欠ける事なく合流した事を確認し、ひとまず胸を撫で下ろした。


 するとレスカテが彼らのうちの一人に肩を借り二人の前に歩み出た。


「…殿下、ジン。ご無事で何よりです……申し訳ございません。敵に不覚を取られ、隙を見て逃げ出すことしかできず…」

 レスカテの顔は真っ青だった。先程から目の焦点が合わず、立っているのがやっとという様子だ。 


「いや、お前達が生きていてくれて何よりだ。それよりもレスカテ、お前毒魔法をかけられたな?」


 「毒魔法」という言葉に、男達がざわつく。


「は…い…」


 答えると同時に、レスカテはぐったりと項垂れた。ジンは意識を失った彼を担ぎ、シモスに向き直った。


「殿下、毒魔法は時間との戦いです。確かこの辺りに毒魔法の治癒を得意とする魔術師が住んでいたはずです。彼の元へ向かいましょう。」

「ああ、だがその男が住んでいる場所は分かっているのか」

「この先の洞窟近辺に住んでいると聞いております」

「分かった。ではその洞窟へ向かおう」


 そうして辿り着いた洞窟で、彼らは奇跡の少女と出会う事になる。

 セレーネが洞窟内で意識を失った後、万全の状態となった男達は屋敷へ反撃に向かった。

 毒魔法さえかかっていなければレスカテの魔術は桁外れに強く、彼一人でものの10分もかからず侵入者達は捕らえられた。



「くそっ! お前らどうして戻ってこれた……毒魔法は魔族には効かねえのかよ!」


 レスカテが侵入者達の収容されている地下牢へ入ると、一人の男が忌々しげに吐き捨てた。男の腕を拘束する魔術制御の鎖がカチャカチャと音を立てている。

 レスカテは男を冷ややかな目で一瞥した。


「…いいえ、しっかり効いてましたよ」

「はっ!ならどうしてピンピンしてんだよ」

「はて、どうしてでしょうねぇ……教える前に、まずこちらの質問に答えて頂きましょうか。貴方達、誰の差し金ですか?」

「馬鹿が。言うわけねえだろうが」

「……そうですか。手荒な真似はしたくないのですが……致し方ないですね」

「ひぃっ!」


 レスカテは大仰に困った素振りを見せ、いつの間にか手に持っていたペンチを男達に翳した。

 薄暗い檻の中光るそれに、男達はガタガタと震え出した。


「お、俺達は雇われただけなんだ!!」

「ええ。だから誰の差し金だと聞いてるんです」

「それは……」


 煮え切らない様子の男達に、レスカテはペンチを檻に叩きつけた。


「わ、わかった!話す!話す!……俺たちは…っ」


 続けようとする男の口から、どす黒い血が流れ出した。ガクガク震える男の足元に血溜まりが広がっていく。

 するとその男を中心に波紋が広がるように、周りの男達も苦しみ出した。


「おまえっ、話そうとしてたじゃねえか!」

 レスカテに抗議している男もまた吐血し、身体を痙攣させている。レスカテは呆然とその男を見つめた。

 男は這い蹲りながらもレスカテを睨んでいたが、一際大量の血を吐いたかと思うと二度と動かなくなった。



「……私じゃないんですよ」 


 地獄絵図と化した牢の中、独り立ち尽くすレスカテの声は誰にも聞かれることなく消えていった。



◆   ◆   ◆



「さあ、行きましょうか」


 セレーネはレスカテが差し出した手をとり、馬車を降りた。


「うわぁ…」


 目の前には白と青を基調とした巨大な城がそびえ立っている。セレーネはその圧倒的な存在感に感動を覚えた。

 三人が城門を潜り城内へ入ろうと歩を進めていると、目の前が薄水色の光に包まれた。セレーネが眩しさに目を瞑っていると、低く落ち着いた声が響いた。


「皆様、道中ご無事で何よりです。お待ちしておりました。」


 シモスは恭しく頭を下げている深緑の髪の男性に近付くと、セレーネを紹介した。


「クローロン、彼女が例の天子様だ」

 

 深緑の男性はセレーネを見ると一瞬目を見開いたが、すぐにまた厳粛な表情へ戻った。レスカテとシモスはその様子をじっと見つめている。


「この国の宰相を務めております。クローロン・アリストスです。」

「初めまして、セレーネです」

「セレーネ様、お話はレスカテ様から伺っております。早速ですが、王の寝室へ案内させて頂きます」


 三人はクローロンの後に付いて長い廊下を進む。

 等間隔で壁に立つ護衛兵の他にほとんど人影はなく、シモスは久々に帰る城の変わり様に顔をしかめた。

 

 ある一室の扉の前で、クローロンが立ち止まる。


「こちらです。」


 セレーネは目の前の扉を見つめると、その先にいるであろう威厳溢れる王の姿を想像した。そして自分に託されている事の重みを再確認し、唾を飲み込んだ。


 クローロンが扉をノックし声をかけるも、返事はない。意識が無いという王には意味のないものだったが、形式に則って行っただけなのだろう。彼はそのまま扉に手をかけた。



 静まり返った城内に、ゆっくり開かれる扉の音だけがやけに大きく響いた。



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隠された神の子 アルテミス @ararartemis

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