第3話 月夜の密談

 セレーネはその光景に目を見開いた。


(腕が…ない)


 シモスは目を開けると、セレーネの目を真っ直ぐ見つめた。


「気持ち悪いか?」


 セレーネは首を振った。驚きはしたが、決してシモスのことを気持ち悪いとも不快だとも思わなかった。ただ、痛みはないのか心配になった。

 その肩口には明らかに手術の痕が残っており、それが生まれながらのものではないことを物語っていたからだ。いったい彼に何があったのか。

 その考えを汲み取るように、それまで黙っていたレスカテがゆっくり口を開いた。


「…セレーネ様には、不思議な力がありますね。殿下も、ある特殊な力をお持ちなのです。」


 レスカテはチラリとシモスを見た。その先はご自分で、と言わんばかりに。

 するとシモスがぽつり、ぽつりとこぼした。


「私は…人の考えていることがわかる……他人の考えていることが……声になって聞こえてくるんだ。以前は手で触れた時だけ聞こえていたんだが、馬鹿な貴族に腕を奪われた今は…この屋敷にいる者達の声がずっと聞こえている。レスカテと、お前を除いて。」


 あまりにも衝撃的な告白に、セレーネはただ瞬きするしかなかった。


(考えていることがわかる?貴族に腕を奪われた?私とレスカテさんはどうして例外なの?)


 聞きたいことはたくさんあるのに、声を出せないことがもどかしかった。レスカテは紙とペンをベットの横のサイドテーブルから取り出すと、セレーネに差し出した。これで筆談しようということなのだろう。セレーネはありがたくそれを受け取った。


「お前は、何故何も言わない。そういう病なのか?」

『病気じゃないです。でもわけあって、声を出してはいけないって言われてます。』

「言われている…お前にそう言ったのは親か?」

『私は生まれてすぐ捨てられたから親はいません。でも、私を拾って育ててくれた人がそう言いました。』


 シモスは 「捨てられた」という言葉に眉をピクリと動かし、「それは悪いことを聞いた」と申し訳なさそうに言った。

 セレーネ自身はソフィアから十分すぎる愛情を受けていたので、自分が捨てられたという過去を気にしていなかったのだが目の前の少年が自分のことのように心を痛めてくれていることが素直に嬉しかった。

 自分は大丈夫なのだと微笑んでみせると、シモスは少し頬を赤らめて目を逸らした。


「ではセレーネ様が男子の格好をしていらしたのも、その方の言いつけなのですね?」


 セレーネはレスカテの指摘に目を見開いた。


 レスカテは男子の「格好をしていた」と言った。それはつまりセレーネが少年を装った少女であるということがバレているということだ。実際レスカテの指摘は正しく、ソフィアが揃えてくれる服はどれも男子の服で、髪も絶対に伸ばさないようにと言い付けられていた。

 こくりと頷き『どうして私が男の子じゃないってわかったんですか』と尋ねると、レスカテは上品な笑みを浮かべ「こんなに可愛い男の子がいるわけないじゃないですか」などとのたまうではないか。

 しかしすぐさま一人思い当たる人物がいるセレーネは咄嗟にシモスを見た。それを見たレスカテは「ああ、一人いましたね」と言ってクツクツと笑いを堪え震えている。

 シモスは一連の流れで彼らが何を言わんとしているか察し、また顔を真っ赤にして怒り始めた。とうとうレスカテは吹き出し堪えようともしなくなった。

 はじめは口を引き結んでいたセレーネも次第にレスカテに釣られて笑みが溢れてしまった。



 レスカテは一頻り笑い終えると、仕切り直しとばかりに咳払いを一つした。その横でシモスはまだ不満げにぶつぶつと何か呟いていたが、レスカテは特に気にする様子もなく筆談を再開した。


「これまでのお話を伺う限り、その方がセレーネ様を本当に大事にされているということがよく分かりました。なのでこれからお話することに、恐らくその方は反対されるでしょう。」


 何やら深刻そうな雰囲気に、セレーネは身構えた。一体、これから何を話すというのか…

 シモスはレスカテに口を挟むことなく、反応を伺うような目でセレーネを見つめている。



「セレーネ様……いえ、天子様。貴女様にこの国を救って頂きたいのです。」


 シモスの目が一瞬見開き、すぐに何かを納得したような様子へと変わった。


「なるほど…天子か……」

(国を救う…? いや、そもそも天子様って?)


 セレーネは訳がわからずぽかんとしていると、レスカテが重々しく口を開いた。


「セレーネ様は、この国で伝えられている天子様のことはご存知ですか?」

『いえ』

「では、まずこの国で伝えられている伝説についてご説明致しましょう。」


 そうしてレスカテはゆっくりと語り始めた。



 ◆      ◆       ◆



 かつてこの世には神が住むという天界だけが存在していた。

 天界にただ独りだった神は己の髪を一本、光の湖に垂らし自分と同じ存在を生み出した。これが神の子、即ち天子というわけだ。

 神は一人目の天子を生み出した後も同様にいくつも自分の子を生み出した。天界には死も、病も、痛みもない。神は天子達と穏やかで幸せな日々を過ごしていた。

 しかしある新月の夜、一人の天子が神の目を盗み、世界を創造することのできるライラックの花を一輪盗み自分が創造主として君臨する新世界を作ってしまった。

 神はこれに大変腹を立て、その世界に死の概念をもたらした。そして裏切り者の天子が二度と天界に戻れないよう新世界に閉じ込め、彼の死後その魂が転生することの無いよう定めた。

 天子は悲しみに暮れ、唯一天界と繋がっていた湖で涙を流し続けた。するとその涙から新しい生命が生まれた。その生命こそが人間である。

 天子は彼ら人間を自分の子として愛し、彼らが病に苦しめばその病を取り除き、怪我をすればそれを癒した。そして天子は己の最期の時、愛する彼らに自身の力を分け与え、彼らがその力で幸せに生きていけるようにと願った。



「この新世界が私たちが生きる世界、そして天子様から授けていただいた力即ち魔力によってこの世界に建てられたのが魔法国キュベルネーシスなのです。魔力を使った魔術では様々なことができますが、怪我や病を癒すことはできません。それができるのは、天子様だけなのです。」

『だから、わたしのことを天子様だと言ったのですね。』


 レスカテは一つ頷くと、そのまま続けた。


「はい。ですが、セレーネ様が天子様だという理由は他にもございます。この国の民は皆、青い瞳を持って生まれます。そして天子様の血が濃い人間は金色の髪を持って生まれます。王族の方は例外なく金色の髪をお持ちです。金は高貴にして神聖なのです。では何故金なのか。それは天子様の瞳が月のような金色だったからなのです。」


 そこまで聞いて、セレーネは愕然とした。レスカテが語る「天子様」の特徴があまりにも自分に当てはまりすぎている。


「お前は今、栗色の髪に青い瞳というこの国では至って平凡な色を身に纏っている。だが、本当は違う髪色に瞳なのではないか?」


 シモスは不敵な笑みを浮かべ、さあ白状しろと言わんばかりである。その様子はもはやセレーネが白状するまでもなく、既に確信を得ているかのようだ。


「殿下、素直に仰ったらどうです。私達は見てしまったのだと。」


 何やらレスカテに指摘されたシモスは、「ちっ」 と一つ舌打ちをすると不満げな様子で続けた。


「はあ…そうだ。お前は眠っている間、髪が銀色になっていた。眠っていたので瞳の色は確認していないが、起きてまた髪の色が戻ったのを見て確信した。そういう魔術がかかっているとな。恐らくお前の保護者がかけたものなのだろう。そして極め付けは心の声が聞こえてこないことだ。この国の民であれば例外なく聞こえるはずなのにお前からは一切聞こえてこない。だがそれも、この世界の住人ですらないなら納得のいく話だろう。まさか、天子だとは思わなかったけどな…」


 眠っている間はソフィアの魔術がかからない。そもそもセレーネが眠る場所はあのソフィアと暮らしている古屋と決まっているのだから、眠っている時も魔力を消費してまでかける必要はないという前提があったのだ。そして見事にその例外が起きて、現在に至る訳だが…


 本来の髪色がバレてしまっている以上、もう筆談を続ける理由はセレーネにはなかった。セレーネは持っていたペンと紙をレスカテに渡し、人生で初めてソフィア以外の人間に声を発した。


「騙していて、ごめんなさい」


 緊張で少しばかり掠れたその声を皮切りに、セレーネの身体の内側から僅かな風が吹き始めた。揺れる髪は水が溢れるように徐々に銀色へと変わっていく。そして瞳は昼の晴れた空のような青から、夜空に浮かぶ月の色を現した。

 レスカテとシモスはその何とも神秘的な光景に目を奪われた。

 銀の髪に金の瞳、そして月の光を淡く反射している真っ白な肌は、その透明度の高さ故に僅かに発光しているようにも見えて。


 目の前の少女が、確かにこの世界の人間とは異なる存在であるということは誰が見ても明らかだった。



「……あの…」


 沈黙に耐えきれず、セレーネが口を開くとレスカテがはっとして元の穏やかな笑みを取り戻した。その横でシモスはまだ硬直しているが。


「すみません。あまりにも美しい光景でしたので…やはりセレーネ様は天子様なのですね。騙していたなんてとんでもございません。むしろ国の庇護下ですらなかったのですから、保護者の方とセレーネ様がされていた対策は至極真っ当なものなのです。」

「国の庇護下か…ふん。そんなものの下にあったら、今頃テンシサマは殺されてただろうがな。」


 シモスが忌々しそうに皮肉を口にするのをレスカテは咎めず、ただ深刻な顔つきになるばかりだった。

 セレーネにはシモスの皮肉が理解できなかった。外界との繋がりを遮断してきた彼女にとって、この国には王族という偉い人がいてその人達が民を守ってくれるのだくらいの認識しか持ち合わせていなかったのだ。

 

「セレーネ様、先ほどこの国を救ってくださいとお願いしましたね」

「はい」

「この国の王と王妃、シモス様の兄である第一王子がある者の手によって倒れようとしているのです。表向きは病とされていますが、決して病などではありません。陛下たちは強力な闇魔術に侵されてらっしゃるのです。」


 赤い瞳には怒りの炎が揺れていた。セレーネは洞窟でのことを思い出した。

 消えようとする命と、救いたいという意思。国の事情は正直よくわからないが、自分が救える命があるのなら救いたいと思う。


「私なら、治せるんですね」

「はい。セレーネ様にしか治すことはできないかと。」

「…わかりました。やってみます。」



 それから三人は今後の計画を話し合った。漸く二人が部屋を出たのは空ももう白み始めた頃だった。

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