第2話 出会い

 セレーネはたった今吐血した青年に駆け寄ろうとした。


 突然暗闇から現れた人間に驚いた男達は咄嗟に剣を抜き、セレーネはたちまち彼らに囲まれてしまう。


「誰だ!!」

「お前もメンダークスの刺客か!」


 先ほどまでの諦念はどこへやら、彼らの瞳には怒りの炎が宿っていた。セレーネは初めて向けられる殺意にたじろいだ。

 暗闇の中で冷たく光る剣は、セレーネをぐるりと取り囲んでいる。


 けれどもセレーネはその剣の鋭さが何故か恐ろしくなかった。それよりも、あの青年が間もなく死ぬであろうという事実にひどく焦っていた。

 時間との戦いだ。彼らの信頼を今すぐ得るには・・・


 俯いていた顔を上げ、深く被っていた帽子を外す。そして目の前の壮年の騎士らしき男を真っ直ぐ見つめた。周りの男達が息をのむのが聞こえる。


 セレーネは自分の目の前に向けられた剣をゆっくり指でなぞった。騎士は不可解なものを見る目でこちらを見ている。

 なぞった部分が綺麗に切れ、ぷつりと血の玉が浮かぶのを確認する。セレーネは指の傷を周りを囲む男達に見せつけた。


「なんだ、いったい何がした


 騎士が言い終える前に、セレーネの指が光に包まれた。光が数秒の後にゆっくり消えると、先ほどまであったはずの傷は綺麗になくなっていた。

 騎士の目が大きく見開かれ、周りの男達も一体どういうことだとどよめき出す。


 セレーネは騎士を見つめたまま、横たわる青年を指差した。


(お願い・・・伝わって!)


「・・・・・・治すというのか?」


 セレーネが何度も頷くと、騎士はゆっくりと剣を下ろした。周りの男達もそれに倣うかのように剣を下ろす。


 セレーネはすぐさま青年に駆け寄り、グッタリと地面に置かれた手を両手で包み込んだ。

 すると瞬く間に青年の身体が温かい光に包み込まれた。光は徐々に明るさを増し、真っ青だった青年の顔に生気が戻り始める。

 やがて光は徐々に小さくなっていき、洞窟内はまた暗闇に飲まれた。荒かった青年の呼吸は穏やかになり、ゆっくり目を開けた。真っ赤な瞳とセレーネの目が合う。


「・・・・・・あれ・・・」

「レスカテ!」


 青年が口を薄く開くと、心配そうに様子を伺っていた男達が一斉に彼を取り囲む。セレーネは彼らの邪魔にならないように脇の間をすり抜けて男達の輪から外れた。

 男達は皆口々に青年を労る声をかけている。なかには涙を流している者もいた。セレーネは青年が彼らの声に答えている様子を見て、もう大丈夫だとほっと胸を撫で下ろした。そうして青年が少し羨ましいと思った。

 すると先程の壮年の騎士が男達の輪から抜けてセレーネの前に跪いた。


「先ほどは疑ってすまなかった。レスカテを救ってくれたこと、心の底から感謝する。」


 いつのまにか騒がしかった辺りはしんと静まり返り、レスカテと呼ばれていた青年を含む男達がセレーネの前に跪いていた。

 セレーネは初めて見る騎士の礼に戸惑ったが、自分が誰かの役に立てたのだという実感が沸々と沸き上がるにつれて喜びに頬が緩むのを感じた。

 そして跪いている彼ら一人一人の手をとり、先ほどと同じように彼らの傷を癒していった。


 最後の一人を治療し終え顔をあげると、ふと、強烈な視線を感じた。視線の主はセレーネのすぐ真横の洞窟の壁際にもたれて座っていた。まわりの男達より明らかに身体が小さく、隠されるようにローブのフードを深く被っている。


(あの人はまだ治療してない)


 怪我の様子を確認しようと立ち上がると、目の前の地面がぐらりと揺れた。受け身をとる余裕もなく、そのまま倒れようとするセレーネの身体を誰かが支えた。ローブの人物が何か言った気がしたが、強烈な眠気がセレーネを襲い抗う術もなくそのまま目を閉じた。



 ◆      ◆       ◆



 目が覚めると、見慣れた古木の天井ではなく細美な金の模様が施されている天井が目に入った。ここはどこだろうとまわりを見渡すと、部屋内は見るからに高価そうな家具が美しく配置され、壁にはどこかの有名な画家が描いたのであろう天使の絵画がかけられている。

 いったいあれからどれくらい眠っていたのだろうと窓の外をちらりと見ると、真っ黒な夜空に煌々と輝く月が見えた。古屋を出たのは昼前だったはずだが・・・


(ソフィア・・・心配してるだろうな)


 結局またソフィアに迷惑をかけている自分に嫌気がさした。こんなはずじゃなかったのに。


「目が覚めましたか・・・?」


 開け放たれていた扉から執事服を身に纏った青年がするりと入ってきた。浅黒い肌に白髪のコントラストが美しい彼は赤い瞳をこちらに向けている。そうだ、彼はあのとき洞窟で死にかけていた青年ではないか。

 

 洞窟内では暗闇でよく見えなかったが、青年は恐ろしいほど美しい顔立ちをしている。堀の深い顔立ちを彩る赤い瞳は神秘的な宝石のようだ。ソフィアも美丈夫だが、彼とはまた違った不思議な魅力を放っている。

 見惚れていると、セレーネの額に青年の手が触れた。突然のことにびくりとする。


「失礼。先ほどまで熱を出されていたようなので・・・・・・ですが、もう大丈夫そうですね。」


 額から手を離すと、青年はにこりと微笑んだ。


「挨拶が遅れました。私は、我が国の第二王子シモス・フォン・キュベルネーシス様に仕えているレスカテと申します。貴女のお力で命を救われた者です。改めてお礼を。」


 レスカテは右手を心臓の辺りに当て、跪いた。セレーネはまさか王子様に仕えている方だとは、と驚きを隠せず狼狽える。自分も名乗らなければ失礼に当たるのではないかと思うが、声を出すわけにはいかない。暫く考えた末、レスカテの手をとり「セレーネ」と指で書いてから自分を指差した。


「セレーネ様・・・ですね?」


 セレーネは声が出せない代わりに、何度も頷いた。その様子を見たレスカテは「ふふ」と笑みを漏らす。


「セレーネ様、お腹が空いてはいませんか?実は夜食用に作ったサンドイッチがあるのです。」


 サンドイッチと聞いてセレーネの目が爛々と輝く。言われてみれば、約半日何も食べていなかったのでお腹がぺこぺこだった。セレーネが頷くと、レスカテはすっと立ち上がり一礼して部屋から出ていった。

 

 することも無いのでセレーネはもう一度部屋の中を見渡した。なるほど、どうりで豪華なわけだ。貴族に会ったことすらない自分がまさか王子様のお屋敷で眠るだなんて・・・・家に帰ったら、ソフィアに自慢しよう。

 そう考えて、今頃とんでもなく心配しているであろうソフィアを思い罪悪感に苛まれた。


 ふと、扉の方から視線を感じ目を向けると金髪碧眼の少女がこちらを伺うように立っていた。少女はブランケットを頭から被り顔だけ布の隙間から出している。洞窟で意識を失った時、壁際にもたれていたのは彼女ではないかと直感で感じた。


「お前、何者だ」


 愛らしい顔の割には少し低い声で問いかけられるが、そこには敵対心というより寧ろ好奇心の色の方が強く含まれている。セレーネがどう答えようか逡巡していると少女が一歩部屋の中へ進む。


「なぜ答えない。お前何を隠している。洞窟でのあの力はなんだ。お前は私の味方なのか。なぜお前からは声が聞こえないんだ。」


(声が聞こえないのは喋ってないからじゃ・・・)


「殿下、あまり矢継ぎ早に質問してはセレーネ様が困ってしまいますよ」


 サンドイッチを載せたトレーを持ったレスカテが少女の後ろから助け船を出してくれた。セレーネはほっと胸を撫で下ろす。


 ・・・ん?殿下?


 セレーネは殿下と呼ばれた少女とレスカテを交互に見た。恐らく頭に?が浮かんでいたのだろう、レスカテはくすりと笑って「可愛いですよね、これでも王子様なんですよ」なんて適当にも程がある紹介をしてくれた。


「ぶ、無礼者!僕は可愛くなんかない!!」


 顔を真っ赤にして叫ぶ少女・・・否、王子はプンプン怒りながらレスカテの背に着いてセレーネのすぐ側へやってきた。金色の長い睫毛で縁取られている碧眼は溢れ落ちてしまうのではと思うほど大きくて、少しつり気味の目尻はまるで猫みたいだと思った。肩につくより少し長い髪も相まって、言われなければどこからどう見ても美少女だ。


 背後で怒る王子をさして気にする素振りもなく、レスカテはセレーネのベッドの上にトレーをそっと載せると、どうぞと食事を促した。


(お言葉に甘えて・・・)


 セレーネは手を合わせ、食前の祈りを捧げ終えると皿の上を眺めた。ハムチーズと、卵のサンドイッチに果物が美しく添えられているそれらは、何だか場所も相まってとても高級な料理に見えた。

 卵サンドを手に取りパクリと齧り付く。卵のうまみに程よい塩気が絶妙だった。二人の存在を忘れ夢中で食べていると、またしてもレスカテに笑われてしまった。なんだか恥ずかしくて頬が赤らむ。


「そんなにうまいのか?」


 レスカテの後ろから顔だけ出した王子がサンドイッチを不思議そうに見つめている。セレーネはコクリと頷くと、同じものを一つ手に取り王子に手渡そうとした。彼は見つめるだけで手に取ろうとはしない。そうしてサンドイッチからセレーネの瞳へ視線を移した。次第に王子の顔が赤らみ、その目は何故か潤んできている。

 セレーネは王子の碧い目を真っ直ぐ見つめた。


「その・・・私は・・・・・・」


 雫が一つ、王子の目から溢れ落ちた。セレーネはサンドイッチを置いて手を伸ばし、彼の頬を優しく拭った。今にも壊れてしまいそうな少年に、大丈夫ですよと微笑んでみせる。

 すると王子は覚悟を決めたのか、ゴクリと一度喉を鳴らすと目を閉じた。


「レスカテ、頼む。」

「殿下、いいのですか」


 セレーネはただならぬ雰囲気に息を呑む。


「ああ、いいんだ。」

「では、失礼します。」


 そう告げると、レスカテはゆっくり王子のブランケットを外した。


 月明かりに暴かれた少年の身体には、肩から先が無かった。

 腕があるはずの場所には、虚空があるのみだったのだ。



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