メイドさんは伯爵令息と婚約破棄したい!

灯倉日鈴

メイドさんは伯爵令息と婚約破棄したい!

「セシル様との婚約を取り消しなさい、マギー・ロア!」


 子爵令嬢のシャルロッテ様に指を差されながら怒鳴られたのは、王立学園の昼休みのことでした。

 セシル様とは、セシル・フィネガー。フィネガー伯爵家のご令息で、私がお仕えしている方です。


「マギー! あなたはフィネガー伯爵家のメイドの分際で、お優しいセシル様の弱みにつけこみ婚約者の座を手に入れたばかりか、善良なフィネガーご夫妻の好意に甘えまくって学費を出させて、平民のくせに貴族子女の通う王立学園にまで入学する始末! 上流階級の令嬢として、貴女の横暴は赦せない! これ以上フィネガー伯爵家から搾取しないで! 一刻も早くセシル様を解放してあげて!」


 柳眉を逆立て、精一杯怒鳴り続けるシャルロッテ嬢。その悲痛な姿に、私は肩を震わせて――


「……ですよねーーー!!」


 ――感極まってがしっと、彼女の両手を握ってしまいました。


「そうですよね? やっぱりそう思いますよね!? 私はセシル様にふさわしくありませんよね!」


 嬉しい! やっと話の通じる人に出会えた!


「そうなんです。私のような一介のメイド風情が旦那様と奥様の大切な御子息様と結婚なんて無理です! 常識的に考えて、許される行為ではありませんよね? 学園にも、私なんぞが通うのは申し訳なさすぎて、皆様に全力で土下座して回りたい毎日なんです。私も早急にセシル様に婚約を破棄して頂きたいのです。でも、私が何度婚約解消を申し出ても聞き入れてくださらなくて。シャルロッテ様、一緒にセシル様を説得していただけませんか!?」


 肩まで伸ばした髪を結いもせず頬に垂らし、涙目でぐいぐい迫ってくる私に、ご令嬢は「ちょ、ちかっ、ひっ!」と悲鳴を上げながら半泣きで仰け反っています。ごめんなさい、顔が怖くて。

 でも、こっちだって必死です。


「お願いです、シャルロッテ様。どうかセシル様の一時の気の迷いを断つお手伝いを……」


「……誰の気が迷ってるって?」


 ぽん、と肩を叩かれ、私は凍りつく。

 ギギギ、とブリキ人形のようにギクシャク振り返ると……。

 そこには、金髪碧眼の天使と見まごうばかりの愛らしい少年が立っていました。セシル・フィネガー様。相変わらず完璧なお美しさです。


「探したよ、マギー! 僕の可愛い子猫ちゃん!」


 セシル様はがばっと私を抱きしめるとにっこり微笑みました。


「今日は天気がいいから中庭でランチを食べよう。早くしないと昼休みが終わってしまうよ。君との逢瀬は僕にとって重要な時間なんだ。瑣末事に囚われて一分一秒も無駄にはしたくないよ」


 私の手を取り、ずんずん進んでいくセシル様。そして大分離れてからシャルロッテ様を振り返り、氷点下の眼差しで、


「愛し合う二人の邪魔をするのはいい趣味とはいないね、シャルロッテ嬢。文句があるなら、弱いマギーではなく直接僕に言って」


 ……ひぃぃぃっ!


 背景にブリザードが吹き荒れていましたよっ。

 泣き崩れるシャルロッテ様を置いて、セシル様は私を連れて優雅に歩いていきます。


 ……巻き込んですみません、シャルロッテ様。


 私は手を引かれるまま、セシル様に中庭に連行されました。


◆ ◇ ◆ ◇


 そよそよと優しい風が頬を撫でます。

 大きな楓の木の下で、私とセシル様は並んでランチボックスを開きます。


「んー! 今日もマギーのお弁当は美味しいね!」


 セシル様はキラキラな木漏れ日に負けない笑顔で私の料理を絶賛してきます。


「特にこの卵焼きは最高! ほんのり甘くて、でも甘すぎなくて僕好み!」


 それ、昨日も言いましたよね? 毎日言われるので、毎日お弁当に入れております。


「ああ、こんな美味しいご飯が毎日食べられるなんて、僕は幸せだなぁ!」


 毎日作りますよ。メイドなのですから。


「たまにはお友達と学食でお召し上がりになってはいかがですか?」


 一流ホテルの総料理長グランシェフを引き抜いてきたという学園の食堂のランチは絶品です。一度食べた時は腰を抜かすほどの美味しさで、思わずレシピを聞きにシェフを出待ちしてしまいました。(メイドの職業病)

 私も伯爵家の皆様に喜んでもらえるよう努めていますが、日々の家庭料理と外食とではまた違う味わいですよね。毎食同じ味を食べなくてもいいと思うのですが。


「だーって、僕にとってはマギーの料理が一番なんだもん」


 お弁当を食べ終えたセシル様は、ごろんと私の膝に後頭部を預けます。


「あ、でも、毎日お弁当作るのはマギーも負担だよね。週に三日は学食にする? 一緒に食べようよ。あーんしてあげる!」


 ……それだけは、ご勘弁ください。


「私にとってはセシル様のお弁当作りも職務の一環です。負担などではございません。同時に自分のお弁当も作れますので手間もありません」


 庶民の私が貴族学校の学食に入るのはなかなか勇気がいります。結局一度しか行ったことがありません。


「マギーは真面目だよね。そういうところ、好き」


 見上げる角度でニコッと微笑まれて、私は眩暈を覚えます。ああ。なんて眩しい笑顔。

 名門フィネガー伯爵家の一人息子として生を受け、成績優秀・スポーツ万能、幼い頃から神童と呼ばれてきたセシル様。どこをどうみても完璧な貴公子様です。

 慈悲深く、心根の綺麗なセシル様。

 ……だから、私を見捨てられないのは解ります。でも……。


「セシル様、もうお戯れはやめにしましょう」


 私は頬に落ちかかる髪を耳にかけ、膝枕の彼を覗き込んみました。


「婚約を破棄してください、セシル様」


 彼の顔が悲しげに歪みます。


 ……私の右頬には、大きな傷がある。


◆ ◇ ◆ ◇

 私、マギー・ロアは、庭師の娘として生まれました。

 父は腕のいい職人で、庶民としてはそれなりの生活水準だったと思います。

 転機が訪れたのは、私が五歳の時。

 母が真実の愛を見つけたとかで、どこかの男と駆け落ちしてしまったのです。

 真面目だった父は荒れに荒れて酒に溺れました。勤め先も解雇になり、母が家にあった金目の品を全て持ち出してしまっていたので、家計は火の車。住んでいた長屋を追い出されるまでに二ヶ月もかかりませんでした。

 家もお金も妻である母をも失った私達父娘は、為す術なく道端に行き倒れました。

 そこに通りかかったのが……フィネガー伯爵夫妻と、ご令息のセシル様です。

 伯爵家の皆様は、私達を介抱し、事情を聞いて涙してくれました。そして父をお屋敷の庭師として雇ってくださったのです。

 父は伯爵家の恩に報いるため、一生懸命働きました。でも……短期間の急激な不摂生が原因で臓腑を傷めていた父は、病に冒され三年ほどで亡くなりました。その父を手厚く看病し、治療費を出してくださった伯爵家には、感謝してもしきれません。

 そして父に代わり、今度は私もメイドとして働き始めました。

 最初は上手にできなかったけど、年嵩のメイド達や女主人である奥方様に丁寧に教えてもらい、拙いながらも精一杯努力しました。

 同い年のセシル様は大変お優しく、休憩時間や仕事終わりには毎日遊んでくださいました。

 それから数年は楽しく過ぎたのですが……。

 事件が起きたのは、十一歳の頃。

 お屋敷の馬車馬が暴走し、セシル様が轢かれそうになったのです。

 傍にいた私が咄嗟に彼を突き飛ばし、セシル様はご無事だったのですが……。

 私の頬には大きな傷が残りました。

 でも、私は全然気にしませんでした。だって、セシル様は無傷だったから。

 ご主人セシル様をお守りするのが、メイドわたしの役目。だからこの傷は勲章であって卑下するものではありません。

 でも……、セシル様にはそうではなかったようで。

 彼は十五の誕生日。この国で成人を迎えた日に、ご両親とご親戚、それに使用人の大勢いるご自身の誕生パーティーの席で高らかに宣言したのです。


「僕はマギー・ロアと婚約する! 学園を卒業したら籍を入れる!」


 ……と。

 そりゃあ、パーティー会場は大パニックです。

 呆然とする私に、質問攻めな使用人同僚達。でも、何を聞かれても答えられません。だって私は初耳でしたから。

 しかし、事前に知らされていたらしいフィネガー伯爵ご夫婦だけはのほほんと大慌てな人々を眺めています。

 旦那様は、


「社交界に慣れるために、マギーには王立学園に入ってもらおう」


 と言い、奥様に至っては、


「わたくし、娘が欲しかったのよね~。マギーちゃんなら文句なしだわ!」


 と大はしゃぎです。

 ……大丈夫ですか? このご一家。(不敬発言)

 そして、ご家族が納得しているのならと、ご親戚も折れて祝福ムードになってしまいました。

 ……いや、祝福しちゃダメでしょう。折れずにもっと頑張って反対してください!

 斯くして私は、セシル様の婚約者として王立学園に高等部から入学してしまったわけですが……。

 同じ学び舎で過ごしていると、よく解ります。

 眉目秀麗で成績優秀なセシル様は、幼稚舎から学園のアイドルでした。

 人柄も家柄も良く、誰からも愛されるセシル様。

 いずれ伯爵になる尊きお方が、庶民のメイドなど娶ってはいけないのです。

 私は……セシル様の足手まといにはなりたくないのです……。


◆ ◇ ◆ ◇


「セシル様が私の顔の傷の責任を取ろうとしてくださっていることは解っています。でも、私は傷のことは気にしていません。こんな小さなことで、セシル様の一生を棒に振ってほしくはありません」


「マギー……」


 セシル様は私を見上げる瞳を潤ませます。


「僕のこと、嫌い?」


「え?」


「嫌いだから、婚約破棄したいの?」


「い、いいえ! 滅相もない!」


 私はブンブン首を振りました。


「ただ……セシル様と私では釣り合いが取れませんから」


「どうして?」


「だって、私は庶民でセシル様が次期伯爵様で、周りには素敵なご令嬢もたくさんいて。だから……私なんかを選ばなくても」


「他にたくさんの人がいても、僕が生涯を共にしたいのはマギーだけだよ」


「でも……一緒にいるだけなら、結婚しなくてもいいじゃないですか」


 私はぽつりと零します。


「私はフィネガー伯爵家に大恩があります。それを一生かけて返していくつもりです。私はずっとメイドとしてセシル様にお仕えします。だから、伴侶にならなくても、今のままで十分なのです」


 母が父と私を捨てて出ていったことから、私は真実の愛や永遠なんて信じない。恋愛はいつか壊れてしまうかもしれないけど、主従関係なら続けられる。だから、今の関係を維持していきたいのに……。


 切実な私の言葉に、セシル様は上目遣いに考えて、


「……それってさ、結局僕のことは好きってこと?」


「へ!?」


「だって、結婚してもしなくても、一生僕の傍にいるってことでしょ?」


 ……えーと。


「そう……ですね」


 私は真っ赤になって俯いてしまうけど、膝の上にセシル様の顔があるから丸見えです。

 ……セシル様を好きにならない人なんて、いるわけない。だってこんなに素敵なんだもの。

 彼は「よかった」と微笑みました。


「マギーが僕を好きでいてくれて。嫌いって言われたら、泣くところだった」


「そんな……」


 ……いえ、冗談ではないのでしょうね、さっき涙目でしたから。


「マギー、僕は君が好きだよ」


 セシル様は手を伸ばし、私の右頬に触れます。


「この傷は、悔やんでも悔やみきれない。確かに責任を感じている。でも……それだけじゃないんだ」


 彼は愛しげに頬を撫でました。


「あの時……。馬車に轢かれそうになった僕を助けて、君がはねられてしまった時。何も出来ずに震えていた僕にマギーは笑ったんだ。自分が血だらけで死にそうなのに、『セシル様がご無事で良かった』って」


 ……それはホラーだったでしょうに。

 当時の自分にドン引きな私に、セシル様は宝物のように大事に言葉を紡ぎます。


「あの時、僕は君をすごいなって思った。命をかけるほど僕を大切にしてくれているんだなって。そんなマギーを、僕が愛さない理由はないだろう?」


「セシル様……」


 胸がいっぱいで、苦しいです。

 私が想っているのと同じくらい、セシル様も私を想ってくださっているなんて。


「だから、ね。僕と結婚しよう。マギー」


 そうは言われても、やっぱり身分が……。

 答えられない私に、天使のセシル様は小悪魔な笑みを浮かべました。


「ま、マギーに拒否権はないけど」


「……え?」


 何故ですか?


「君は一生フィネガー家に仕えたいって言ったよね?」


「はい」


 確かに言いました。


「でも僕、父と母に宣言しちゃったんだ。『マギーと結婚出来ないなら、この先誰とも結婚しない』って」


 ……へ?


「父も母も僕が頑固なのを知ってるから、すんなり承諾してくれたよ。二人共、マギーのこと気に入ってるし」


 ……ええと、どういうことでしょう?


「つまり……。マギーが僕と結婚しなかったら、君が一生仕えたがっているフィネガー家は、僕の代で終わるってこと」


 ……。


「えええぇぇえええぇ!?」


 私は盛大に仰け反ってしまいました。


「そ、そ、それは困ります!」


 大慌てな私に、セシル様はにっこり微笑んで、


「でしょ。だから結婚しよう」


 彼の手が、私の後頭部に回されます。


「でも……私なんかが……」


「『なんか』はナシ」


 頭を引き寄せられて……セシル様の端正な唇に、私のそれが触れました。

 ひ、恐れ多い! でも……もう少し、このままでいたい。

 長いキスの後、唇が離れると、


「愛してるよ、マギー。君が僕を愛しているくらい」


 吐息のかかる距離で囁かれます。

 もう、何もかもお見通しですね。


 ……降参です。


「私も愛してますよ、セシル様」


 私達は昼休み終わりのチャイムが鳴るのも気にせず、何度も口づけを交わしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

メイドさんは伯爵令息と婚約破棄したい! 灯倉日鈴 @nenenerin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ