デートプランは変更しない

忍野木しか

デートプランは変更しない


 梢の先。透き通る山の空。

 佐久間大志は緩い山道の傾斜をズンズンと登った。風に靡く茶色いハット。パンパンに膨れた青のリュックサック。ゆっくりとその背中を追う三月静香は、木々の間で揺れる白い花を見つけて立ち止まった。

「静先輩、大丈夫?」

 泥まみれの足で駆け戻る大志。新品の登山靴が腐葉土を跳躍する。そんな彼がなんだか可愛らしく思えて、静香はクスクスと笑った。

「大丈夫だよ、ゆっくりでごめんね?」

「ぜんぜん、遅くても良いよ! 静先輩、もしも荷物が重かったら僕が持つから、遠慮しないでね?」

「ありがとね、大志、頼りにしてるからね?」

「えへへ、昼頃には山頂に上がれるから、頑張ってよ! 景色が凄く綺麗で、空気も凄く美味しいんだ!」

「おおー、それは楽しみだね」

 大志はニッと笑った。額を流れる汗が煌めく。その爽やかな笑顔に、静香は顔を近づけたくなった。

 枝の隙間を伸びる影。薄い木漏れ日。枯れ葉を踏みしめる軽快なリズムは途切れない。

 順調だ、と大志。嬉しそうに静香を振り返ったその時、大粒の雨が彼の頬を掠めた。驚いて空を見上げると、雲の傘が山を覆っている。いつの間にか青空は南に押し流されていた。

「ありゃ、雨だね?」

 静香の呟きに呼応するように、ポツポツと雨粒が青葉を叩き始める。大志は慌ててレインコートを取り出した。

「て、天気予報では晴れだったんだけど……」

 露骨に肩を落とす大志。静香は微笑む。

「山の天気は変わりやすいっていうからね、しょうがないよ」

「あの……すいません」

「大丈夫だって、がんばろ!」

「はい……」

 落ち込む後輩を励ましながら、静香は前を向いた。

 雨足はそれほど強くない。ただ、枝から垂れる水滴が大きい。山道は湿り、踏みしめる靴が土に滑る。

 下を向く大志。そのリュックの背を元気よく叩いた静香は、段差で転んでしまう。

「だ、大丈夫ですか?」

「あはは、大丈夫だよ」

「あの、本当にすいません、俺のせいで……。その、危ないんで今日はもう帰りませんか?」

 フードから流れる雨が大志の目の横を伝う。呆れるほどに打たれ弱い後輩。静香はやれやれと立ち上がった。

「山頂まであと少しでしょ? 行こうよ!」

「でも……」

「ほら、大志クン、今度は先輩がリードしてあげる」

 大志の腕を掴んだ静香はズンズンと前に進んだ。そして、またバランスを崩す。

「うわっ」

「ああ! 危ないですよ、静先輩!」

「大丈夫、大丈夫」

「やっぱり帰りましょう。先輩が怪我したり、風邪を引いたりしたら大変です」

「大丈夫よ、あたしには大志が付いてるからね?」

「いえ、でも」

「だーめ、デートプランは絶対に変更しません!」

「……うん」

 やっと笑った大志。静香の手をギュッと握ると前を向いた。

 流れる低い雲。霧で覆われた山。大志は灰色の景色に落胆して目を伏せる。そんな年下の彼氏に微笑む彼女。静香は頂上でやりたい事があったのだ。

「ねぇ大志? ここまで連れてきてくれて、ありがとね?」

 俯く大志の顔を覗き込んだ静香は、そっと濡れた唇を近づけた。

 

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