星のみぞ知るセカイ
色吐 しろ
✴︎
思春期には小さいことでも頭痛がするくらい悩んで、周囲との小さな隔たりで一喜一憂する。淡く根深い劣等感は思春期だけのものだと、じきに消えるものだと大人は言った。おかしなことばかり考えるのも、複雑な年頃だからだとも言った。
なら死を知りたがるこの気持ちもじきに消えてしまうの? 死って一体どんなもの?
私が何を喚こうが求める答えなんて返ってこない。わかりきっているのに。それでも誰かに縋りたくなってしまうのが嫌だった。どうせ笑い飛ばされるだけでも、話したくて、聞きたくて仕方なかった。
人で駄目なら植物は? そんな天啓めいた思いつきのまま、私は百均のサボテンを話し相手に選んだ。
しかしそれも長続きしなかった。一方通行な会話をやめてしまってからは、ベランダで日々白茶けてゆく彼を窓越しに眺めた。
部活に恋愛。私にとってはどうでもいいことにばかり興味を抱く友人に共感ができなくて、うまく相槌も打てなくて。日々生きづらさを感じた。
私と彼女たちはぴったりと隣にいるように見えて、透明な壁を隔てて存在してる。どうして、私も下らないことを楽しめないんだろうと懊悩を繰り返した。
死んじゃいたい、思いこそすれど、その先に何があるのかは誰も知らないから。私は死について淡々と妄想した。
私にとって死は星空。数多の瞳が宵闇に灯る。それが、私の思い描く死。飛び込めばぽちゃんと軽快な音を立てて私を迎え入れてくれる、そんな気がしてる。
気分が沈めば、私は決まって深夜に散歩する。宵の世界は私がどれだけ瑣末なのか教えてくれる。
星星は私を慰めるように煌々と光って。星には電池もバッテリーもない。電球みたくぷつんと途切れない煌きに私は焦がれている。亡骸は巡り巡って星になると云うけど、それは本当にお伽噺?
死んだ人間なんてこの世には存在しないのだから知りようも証明のしようもない。だから、死んだら宇宙の構成員になれるという仮説を私は妄信している。
そして思惟をめぐらせる。人は死んだら星という『目』になって、星は実は私達を監視している死人の瞳で。降りそそぐ流星は星星の涙。たなびく朧雲は衰えた死人の心を慰める。
「ね、素敵じゃない?」
「素敵、ねぇ」
相も変わらず、にべもない返事をするのはヨル。好きに呼べ、なんて言ったものだから私は彼をヨルと名付けた。彼こそが夜しか会えない変質者。大人が子供を夜遊びさせたがらない理由の一つ。四丁目の不審者には気をつけろというのはこの辺りでは良く知れた話だ。
そんな噂の渦中にいる人物と肩を並べてベンチに座り、天気について語るような軽やかな口調で私は彼に死を説いた。
「宇宙の一員になれば、極悪人の悪行も、天才の所業も見られる。誇張なしのドキュメンタリーなんて面白いに決まってる」
「それならどうして星には明暗がある?」
ヨルはまるで私を試すかのように不敵な笑みを浮かべる。
「一生を真摯に生きた人は明るい星に、アウトローな生き方をした人は闇に飲み込まれそうなちっぽけで暗い星になるの」
「緻密な妄想だ、気持ち悪いくらい」
私は頬を膨らませ、ヨルからの雑言を軽くいなすように言い返す。
「私の理想だもん。それに、火のない所に煙は何とかっていうじゃない」
「君がぶつくさ言ってるのは脚色増し増しの創作でしょ」
「宇宙は死人の特等席。其処は素晴らしい場所だから、誰一人として現世に帰ってこない」 なにそれ、と彼は嘆息混じりに破顔した。つられるように私の口角も少しだけあがる。私の話を真剣に聞いてくれるのは奇しくもこの不審者だけだ。
彼と話せば話すほど、日常から飛び出て頭上に広がる世界の一員になりたいという願いは強固になってゆく。
ヨルと出会ったのは言わずもがな夜だった。猥雑な街路灯だけが頼りになる夜陰。私は家を身一つで、しかも裸足で飛び出した。アスファルトで足を切ったけど、それでも犬みたくがむしゃらに走り続けた。夜の空を手掛かりにして。
星は道標みたいにポツポツと散らばってた。家に帰そうとする意地悪なフェイクもあったけど、私は自分なりの正解だけを辿って歩いた。精鬼みたいな仄暗いのでなく、真鍮みたく綺麗な光だけ繋いでいった。
息が切れていたものだから喉の奥がきもちわるかった。僅かに鉄の味も口の中に広がって、白い息と一緒に夜に吸い込まれていった。
気づいたら公園にいた。小学生以来、気にもとめなくなっていた場所に私は導かれた。
ベンチには真っ黒なパーカーを着た蠢くなにかがいた。目をこらせば、パーカーの下にもニット帽を入念に被っている生粋の不審者。恐らく、そう見えるのがヨルが長身痩躯というのもある。あまりにも宵の刻に溶け込み過ぎていた。人とは思えないくらい。
私は、それでも躊躇わずに話しかけた。これも星空の思し召しだと思ったから。
私がヨルと言葉を交わす仲になれたのは裸足だったから。だってあのときの私は紛れもない不審者だった。言うなれば、夜を尋ねた迷い子。
「お前、死後行きつく先は本当に星空だと思うか?」
ある日、ヨルが突拍子もないことを聞いてきた。私は面食らって言い淀む。
「なに、いきなり」
「星ってそんなにいいもンかな……」
ヨルは私とは目を合わせずに呟いた。堂々と面罵してくるのがヨルの性合だったのに。彼は星の海の碧落に何かを見出したのだろうか。柄にもなく。
「もう馬鹿にされるのにはなれたよ。それに私は何を言われようが信じてるからいいの」
私も空を見ながら呟いた。彼が何を見つけたのか、何に魅了されたのか。答えがそこにあるような気がしたから。
「もう、お前と会えなくなるかもしれない」
私はそのまま息が止まってしまいそうな錯覚を覚えた。目の前がぐらりと歪んで見えたからだ。唇だけでヨルの言葉を鸚鵡返しする。会えなく、なる?
「自殺でも、するつもり?」
戦慄く唇で紡げたのはそんな問いとも呼べないふざけた疑問だけで。
「違う」
「じゃあ殺されるの?」
未だ遠くを見つめている彼が私と目を合わせて冗談だと言ってくれるのを期待していた。それなのに、そんな期待をよそに彼は残酷な現実を突き付けてくる。
「そうじゃなくて、手術」
ヨルの口ぶりからするに嘘や冗談の類でないのはもはや明確だった。学校にいても、夜に逃げても、苦渋の波は私を追いかけてくる。これなら、裸足で家を飛び出したあの日、大人しく家に帰る道をたどればよかったんだ。私は唇を噛み締めた。
「そんなの知らなかった。でも、またすぐに会えるでしょ?」
最後の頼みの綱の言葉。口先だけは一丁前なのに、脳内は日常の喪失する気配にけたたましい警鐘を鳴らしている。吐き気が身体を取り巻いて苦しかった。
ヨルは物思いに耽るような素振りを見せ、いくばくかの逡巡の後に首を横に振った。彼のパーカーの袖の中、夜目に慣れた私にはくっきりと注射跡が見えた。
「……ごめん」
私がやっとの思いで舌上に乗せたのは謝罪だった。私が星について、死についてあんなにも嬉々として話さなければ。彼も、私も、こんな思いをすることはなかった。
「やめてくれ、らしくもない」
「もしも、星になれたら何か私にサインを送ってよ。それが楽しくても、退屈でも」
咄嗟に平生を装い私は口の端を吊り上げた。本当に伝えたい言葉は奥歯につっかかったままの、臆病な自分に嫌気が差したけど。
「星になんてならねぇよ」
こりゃ簡単に死ねそうにない、とヨルは笑った。私は拳を握りしめる。
「また此処で会おう、なるべく早く。約束だからね」
「相も変わらず荒唐無稽だな……まぁ。約束、果たせるように頑張ってくる」
彼は微笑を浮かべたままベンチから立ち上がる。それは暫しの別れを意味していた。
異様なまでに痩せこけた彼の身体が闇に飲み込まれてゆく。私を腕を伸ばしたけど、呆気なく空を切った腕には闇がまとわり付くだけ。
込み上げてきた涙を堪える。だって泣いたらもう会えないみたいじゃないか。
そうだ。私はいつか彼と一緒に宇宙に逝く為に、星々と共に日常を生きるのだ。
次に会えた時名前でも尋ねてみたら。君は、どんな顔をするのかな。
微笑みの光が瞬いた。抱いた願いの行く先は、煌めきの群れだけが知っている。
星のみぞ知るセカイ 色吐 しろ @IROTSUKI463
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