第1話 邂逅


 起きて………



 誰かの声が聞こえる。



 ねえ、起きて………



 まさか、俺は助かったのか?



 ねえ、起きてってば………



 いや、そんな筈は――――。



 瞬間、俺の意識は強制的に覚醒させられた。



「っ!?」


「あ、起きた。ハロー?私の事は見えてる?声は聞こえてる?意識は正常?」


 矢継ぎ早に、俺の顔を覗き込む誰かが話しかけてくる。俺はそれを茫然とした目で見つめていた。

 女は自分を見る俺の目を見て満足したのか。俺の顔を覗き込むのはやめて、立ち上がって背後の椅子に腰かけた。


「意識がはっきりしているようだね。良かった良かった」


 カラカラと、女は笑みを浮かべて未だに床に寝転がる俺を見る。勝手に判断して満足して、どういう訳か俺の意識がはっきりしている事を見抜いているようだった。方法は分からなかったが、今はそんな事よりも聞きたい事がある。


「俺は…俺は助かった、のか?」


 床から立ち上がり、恐る恐る自分の五体満足な身体を見て、女に尋ねる。しかし、女は面白がるように足を組み、顎に掌を載せてこちらを見据える。


「そんな訳ないじゃーん。クスクスクス♪」


 悪戯っ子のように、女は笑う。その言葉を聞いて、俺は察した。ここは、死後の世界か何かなのだと。あるいは夢なのかもしれないが、良い現実を想像するほど俺の頭はお花畑じゃない。


「あはっ、何か考えてるみたいだけど、ここは夢じゃなくてれっきとした現実だよ?ただ、死んだ君を僕がここまで連れ去ったってだけで」


「どういう、意味だ……?」


「まあまあ、まずは座って座って」


 女が指を振るうと、俺の目の前に椅子が現れる。前触れもなく、突然に。この時点で、俺は真っ先に夢を疑って頬をつねったが………残念ながら、つねった頬は痛かった。

 あの女の言う通り、信じがたい事が起きたばかりだが、ここはどうやら現実らしい。


 女の勧めるままに、俺は椅子に座る。僅かながらに緊張していたが、どちらかと言うと、今の俺は達観していた。

 どうせ、今の俺は死んだ身だ。どういう訳か、この身体には痛みがあり、無理やり現実だと思い込む事にしたが………俺自身の主導権をこの女が握っている事は間違いない。

 理由は想像なら思いつくが、何故だか、理由などなくても今の俺はすんなり納得できている。


 この女の言う事を聞かなければ死ぬ。そう、本能が訴えかけているような気がしたからだ。


「さて、と。■■■■くん。残念ながら君は死んでしまいました。でも安心して!私が次の人生を用意してあげるから。それも――――チート好きでね!」


「………言いたい事は色々とあるが……一つ聞きたい。あなたは何者なんだ?」


「神………みたいなもの、かな。概ね、君の考えてるもので間違いないよ。全知全能とはいかないまでも、人間より遥かに大きな超常的な力を私は持っている」


 神………そう聞くと。この理由の不明瞭な納得感に安心できた。確かに神であるならば、死んでいた俺を元に戻す事も出来るだろうさ。いや、正しくは神のようなものなんだろうが………。

 想像はいくらでも出来るが、いくら考えてもしょうがない面もある。なら、今はこの女の言う事を信じるしかないんだろう。

 どうせ、自分の命は諦めているんだ。なら好きなようにさせて貰う。そんな開き直りでもあるんだがな。


「ならもう一つ………次の人生って言ったな。それはどういう意味なんだ?」


「ああ、それは言葉の通りさ。死んだ君に次の人生を――――有り体に言えば転生させるっていう意味さ。あ、拒否権は無いよ。これは決定事項だから」


「じゃあ、なんで俺を転生させるんだ?」


「黙秘権を行使する!」


 いかにもドヤっとした顔で、女は腕を組んで俺を見る。

 ………なんかイラっとする顔だな。


「冗談だよ。まあ、強いて言うなら娯楽かな?」


「………娯楽?」


「ああ、君達みたいな生き物と違って、私はものすごーく長生きでね。それこそ永遠と言っていい寿命を持ってる。だから、生きている中で娯楽なんて殆どなくてね。新しい刺激ってやつを欲しているのさ」


 ………長生きだからこその悩み、か。俺には想像もできない世界だな。


「まあ、そんな私の娯楽というか、欲望を叶えて貰う為に君を選んだわけ。どう?これで満足?」


「ああ、一先ずは。次にチートってなんだ?」


「え、君って若いのにそんな事も知らないの?ゲームとかラノベとかで楽しまない系?」


「………生憎と、娯楽とは無縁の人生を送って来たからな。そんなもの、欲しくても手に入れた事なんて一度もない」


 暴力なら、いくらでも与えられてきたがな。


「うわぁ………心から君の境遇に同情するよ。娯楽のない人生なんて無味無臭と変わりないものね………あ、ああ、チートだったね。これは超能力というか………神話は分かるかい?」


「ああ、大抵のことは」


「なら話が早い。チートっていうのは、神話の中に出てくる現実にはあり得ない力みたいなものさ。ゲームの中じゃあ、ズルって言い換えられたりもする」


「それは………例えば、撃った弾丸が全て望んだ通りに命中する、とかか?」


「そうそう!理解が早くて助かるよ!」


 女は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「まあ、詳しく言えば、これは等価交換みたいなものさ。君は私に娯楽を提供する。私はそのお礼として、君に次の人生と力を与える。これを条件にする事で、私はこの長い人生において刺激を得る事ができる!ほら、Win-Winでしょ?」


 女は両手を広げて無邪気な少女のような顔で、こちらに笑みを向けていた。ああ、確かにそれは凄いな。とてもすごい。まさに神様にしか出来ない事だ。

 だが………。


「悪いが、俺はあなたに娯楽を提供する事なんて出来ないぞ?」


「あ、難しく考えなくてもいいの。君は次の人生を好きなように生きて。私は君の人生を見て楽しむだけだから」


「でも――――」


「勘違いしないでよ」


 続きを言おうとした言葉を遮るように、女が喋る。否、強制的に口を閉じさせられたと言うべきか。今、この瞬間、俺は口を開いてはいけない。そういう本能に駆られてのことだ。


「これは私の娯楽。君の意見なんて求めてないし、君に拒否権なんて無いんだよ。君のやるべき事は黙って力を受け取ってさっさと転生して、次の人生を好きなように送ればいいの。だからつべこべ言ってないで――――――」


 気づいた時には、顔のすぐ目の前に、目覚めたときと同様に俺の顔を覗き込む女の顔があった。

 その目はどこまでも暗く、深く、光なんて飲みこみそうな程に黒い。


「君の〝欲望〟を教えろよ」


「っ!?」


 奇妙な感覚が、俺の全身を走った。水面に腕を埋めるように、女の腕が俺の胸の中に入っていく。それは、比喩でも何でもなく俺の心臓を掴んでいた。

 痛みはなく、ただ奇妙な快楽にも似た感覚が、俺の全身を駆け巡るのみ。


 心臓を掴みながら、なお何かを探るように女の腕が動く。もはや、俺に自由に動く権利など無かった。ただ、彼女の行動が終わるまで、じっとしている事しか、俺には許されていないのだ。


 やがて、何かを見付けたのか。彼女は満足したように熱い吐息を吐く。


「ああ――――――それが君の〝欲望〟か」


 ずるりと、彼女の腕が俺の身体から引き抜かれる。身体の自由が戻り、落ち着きを取り戻そうと、呼吸をしようと口を開いたが、しかし――――――息をする間もなく、俺の意識は急速に遠ざかっていく。

 まるで、何かに引っ張られるように。


「力は与えた。さあ、次は転生だ。次なる世界へと、次なる身体へと宿るがいい」


 視界が昇っていく。眼下に彼女の姿が見える。


「次なる人生、二度目の生で君がどんな風に生きるのか………私に魅せておくれ」


 その顔は、どうしようもなく心底から楽しそうに笑っていた。その顔を見るのを最後に、俺の意識は今度こそ眠りにつく。

 次なる人生………二度目の生を送る身体に宿る、その時まで。



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欲望ブリリアント 猫空和 @nekokaranyagomu

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