闇落ち令嬢とパンドラの箱

青葉 ユウ

闇落ち令嬢とパンドラの箱


 藁にも縋る思いだった。

 幾度となく繰り返した、私が死んだ後の世界がどうなっているのかは知らない。知る術がない。


 それならば――

 私は自分自身の望みのために動いても許されるのではないだろうか。

 誰も私を許さなくとも良い。恨んでくれていい。

 もし、その結果が私の極刑だったとして、今までの人生で何度か辿った結末だ。

 様々な死を遂げたことで、既に恐怖すら薄れている。

 つまり、私を制するものはもう何もない。


 何故この方法を今まで考えもつかなかったのか。

 今ではそのことのほうが不思議に思えてくる。

 私は公爵家の地下で厳重に管理されている、開けてはならないパンドラの箱を開けることにした――


◆◆◆


 父であるオーブリー公爵が出張で屋敷を離れる今日、この日を私は長らく待っていた。

 何度も望んで繰り返したループの中で地道に探りをいれたことで、既に手筈は整っている。

 屋敷を巡回する多くの使用人に気づかれることなく書斎へと侵入し、とあるカラクリによって隠された鍵を手に入れる。今度は書斎の本棚をゆっくりとずらして隠し扉を潜った。

 石畳のひんやりとした空気を肌に感じながら、手に持った小さな蝋燭の光を頼りに、階段を下っていく。この地下通路にも侵入者を防ぐ仕掛けが数多く用意されている。

 それらによって何度も死んでは発動条件や道順を覚えたのだ。


 ようやくだ――


 前回の人生では、「これで遂に……」と期待しながらパンドラの箱をしまい込んだ宝箱を開錠した瞬間に、天井から降ってきた重量のある大きな斧によって死んだ。

 どれほど私を殺せば気が済むのだろうと憤りが強く残った。

 けれど、それも今日までだ。

 そうだと信じたい。


 前回死んだ場所でもある宝箱の前に立つ。

 苦しみながら感じた絶望が生々しく蘇る。

 あの時は錠の開け方に手間取って前かがみになっていたのだ。

 今度は手がギリギリ届く位置で、距離を取りながら鍵を開けていく。

 こうすれば、犠牲になるのは私の右手だけになるはずだ。

 運が良ければ切断とまではいかないかもしれない。


 ガチャリ、と鈍い音がした。

 同時に、目の前を勢いよく通り過ぎたものによって、地面を揺さぶるほど大きな振動が走る。

「うぅッ……」

 錠へと伸ばしていた右手は切断こそされていなかったが、刃がかすったことでざっくりと肉が裂けて血が滴っていた。その痛みに意識が朦朧としながらも、石畳の繋ぎ目に突き刺さった斧の横を通って、鍵の開いた宝箱の蓋を開けると、その中の中央に鎮座した、手のひらに収まる小さな箱に手を伸ばす。


 全面が黒曜石でできているような、漆喰の闇と輝きを放つこの箱は、過去に大災害をもたらした死神が封印されていると言い伝えられている。

 当時この国の筆頭魔術師であったオーブリー侯爵家当主がその死神を封印し、それ以降は、公爵邸の地下で厳重に管理されてきたのだ。


 何度も死んでは繰り返したこの『生』を、それほどまでに巨大な力を持つ死神なら、変えてくれるかもしれない。

 私を、本当の意味で『死』に導いてくれるのかもしれない――



 生きたいと望むことはとうに諦めていた。

 私は必ず、18歳の誕生日を迎える前になんらかの形で死んでしまうのだ。

 そうして、17歳の誕生日を迎えた日へと巻き戻る。


 たった1年を何度も繰り返す人生は、途方もなく長かった。


 初めのころは生きるために必死だった。

 何度も生き続けるために何をすべきかを足りない頭で考えて、多くの行動に移してきた。けれど考え得る選択がどれも意味がないと知った時、私はもう死んでしまいたいと思った。

 どんな形でもいい。

 悪女と罵られてもいい。公爵家の恥だと蔑まれようが、どうでもよくなってしまったのだ。

 どのような死に方であれば私は死ねるのだろうか、と再び考え得る多くの方法を試してみた。

 それは、辛く苦しい日々だった。

 死ぬ時に痛みを感じないわけではない。

 安らかに死ねたことは、数多く経験した『死』の中で数えられる程度だ。


 それでも死ねなかった。

 私は、私自身の運命に絶望した。

 このまま、何度も死んではリリー・オーブリーとしての1年間を繰り返すのか。

 一体『17歳のリリー・オーブリー』を何十、何百年と生きれば、神様は許してくれるのだろうかと。


 そうして、ようやく気付けたのだ。

 私が救いを願うべきは『神様』なんてものではなくて、『死神』なのではないかと。

 何百年も昔に国を壊滅状態にまで追い込んだ死神が、私の『神様』なのではないかと。


 どうせ死んだところで、再び繰り返す人生だ。

 それなら、開けてはならないパンドラの箱を一度開けてみたところで罰は当たらないだろう。

 たったそれしきのことで罰が当たって、本当の意味でこの世から消え去ることができるのならば、願ったり叶ったりだ。

 私は諸手を挙げて喜んで見せようじゃないか。


 そんなささくれた感情が、私をここへと連れてきた。


 ドクドクと高鳴る鼓動を抑えられない。

 手のひらにのった黒光りする小さな小箱の蓋に指をかけ、恐る恐る留め具を外して蓋を開けた――。


◆◆◆


 大きく膨れ上がる期待とは裏腹に、小箱から何かが飛び出すわけでもなければ、箱の中身を覗いても何もない。

「なにこれ……」

 どこからどう見ても、ただの空箱だった。

 こんなものを公爵家は何百年と昔から必死に封じ込めてきたのか。

 こんなものを守ることが、国の重鎮である公爵家の使命だと嘯いてきたのか。


 一気に全てが馬鹿馬鹿しく感じた。

 こんなもののために、私は何を捧げたのだろうか。

 何十回と使用人に見つかっては戻ってきた父に説教をされ、時には監禁されたまま死を遂げた。この地下通路へと入れるようになってからは、毒や硝煙、槍や斧、そして落とし穴等によって殺されながら必死にこの場所へと繋がる唯一のルートを探り当ててきた。

 だというのに、苦労して手に入れたものが、開けてはならないパンドラの箱が『ただの空箱だ』という真実である。


 やるせない気持ちでいっぱいだった。


 けれど、もうここではすることがない。

 かといってトラップの仕掛けられた道を手ぶらで戻るのも癪だった。

 どうせまたループするのだから、この場で自殺してもいいか。

 そんな思いから懐にしまっている小さな薬瓶を取り出した。

 ガラスの透明な容器に入った、これまた透明な液体は即効性の毒だ。睡眠薬の効果も多分に含まれているため、飲んでしまえばいつの間にか死んでいる、という私にとってはこの上ない代物だ。

 何度も死を経験しているからといって、苦しみながら死にたいとは微塵も思わない。

 だから、この薬の存在を知った人生以降は、ループ後に真っ先に裏取引で仕入れてはこうして持ち歩いているのだ。


 小瓶の蓋を外して、容器の縁に唇をつける。

 そのまま一思いにあおろうとした、その時だった――――


「おい、女。俺様を目覚めさせておいて死ぬ気か?」


 どこからともなく、地を這うような声が降ってきた。

 驚きのあまり身体がびくりと反応して、小瓶が指先から滑り落ちた。

 パリンッと石畳の上でガラスが砕け散る音が聞こえる。


 誰の声だろうかと辺りを見回そうとするが、何故だか体が石にされたみたいに動かない。ぬるりと、背後から私の首に何かが纏わりついた。

「なぜ、こんなことをした?」

「…………ッ!」

 声を出そうとするが、はくはくと口が動くだけで声がでない。全身から鳥肌が立ち、汗が流れ出て気持ちが悪かった。

「ふむ……、お前は恐怖を感じているのか。それなら、これでどうだ」

 その一言によって私の首元に触れていた何かは消え去り、代わりに目の前に銀色に輝く艶やかな髪を揺らす、男にも女にも見える眉目秀麗な人物が現われた。


 ――『人』と言っていいのかもわからないが。


「女。なぜ、封印を解いた」


「おい、聞こえているのか」


「おい、いい加減なにか言え」


「ぁッ……ええと……」

 その神々しく光を纏っているようにすら見える麗しさに思わず見惚れてしまい、思考回路がどこかへと飛んでいた。

 封印を解いた、ということは、この人が『死神』なのだろうか。

 もっと黒くて禍々しい不気味な存在だと思っていたので、呆気にとられながらも喉を震わせる。

「私、死にたいの。……死神様ならそれができるのではないかと思って」


 そう口を開く私に、目の前の人物は眉を寄せて「はあ?」と素っ頓狂な声をあげた。

 誰もが心を奪われる整った容姿と、身体が快感を感じてしまうほど甘く響くテノールの声音には、似合わないはずなのに。

 とてつもなく様になっているのだ。

 元が良ければ何でも合うものなのだな、と感心してしまう。

「お前は馬鹿か。勝手に死ねばいいだろう」

 誰もが思う感想だろう。

 それは私自身わかっている。

 けれど、『死神』も私達と同じような感想を抱くのだと知ると、笑いそうになって慌てて気を引き締めた。


「死ねないからこうして貴方の封印を解いたの。私、死んだら必ず17歳の誕生日に戻ってしまうの。そして、18歳の誕生日を迎える前に必ずなんらかの形で死が訪れる。もう、嫌なの。苦しんで死んで、また17歳の私を繰り返すのが……。だから、貴方なら私をこの世から消し去ってくれるんじゃないかと思って」


 こうしてやってきたのだと訴える。

 どうか殺してくれ、と願いを込めて。死神様に祈るように。


「ふぅん? 馬鹿が馬鹿みたいな話を始めたかと思えば……なるほどな?」

 上から下へと品定めするように動いた視線は、私の胸元でぴったりと止まった。

 体の奥を、私の心の奥底を見透かされているような気がして、恥ずかしくて両腕で胸元を隠す。

「なんだよ、恥ずかしいのか? まあいいさ。お前の願いはわかった」

「それなら……!!」

 願いを叶えてくれそうな雰囲気を感じ取って、破綻した笑みを浮かべて顔を上げた。

 今すぐにでも私を殺してくれ、と口にしようとした。


「けどなぁ、久しぶりに外に出れたんだ。この世界を満喫したいが、話し相手がいないとつまらん。だから、俺様に付き合え」

「え……、でも、貴方のその容姿ならきっといくらでもいるわよ?」


 話し相手だなんて、ただ立っているだけで多くの者が群がるはずだ。

 わざわざ私が生き続けてまで話し相手になる必要があるのかと首を傾げる。


「はぁ? 自分を殺せと言いながら、俺様には付き合えないってのかぁ? お前は俺様に命令する立場じゃなくて、媚びへつらってお願いする立場だろうが」

「でも、貴方の封印を解いてあげたでしょう?」

「はんっ、勝手にしておいて偉そうに言うな」


 先ほどは封印が解かれたことを嬉しそうにしていたじゃないか、と心の中で反論しては口を尖らせる。

 しかし、私には『死神様』しか頼む相手がいないのだ。

 だからしょうがない。

 既に17歳に巻き戻ってから4ヵ月が経っている。

 たった8ヶ月。

 その間、死神様の娯楽に付き合って満足させればいいだけのこと。


「――わかったわ。貴方に付き合う。だから、私が18歳の誕生日を迎える前日までに、必ずその手で私を殺して。そして、私をこの世界から消し去って」


 これはお願いであって、契約だ。

 私と『死神様』が対等な関係でいるための――


「お前、名は?」

「リリー・オーブリーよ」

「ほお? 俺様をまんまと罠にかけて封印までしてくれた、あの憎き魔術師の子孫か。……確かに、同じ血が流れているな」


 余程恨んでいるのだな、とその口調から伝わる。

 心底恨んでいる魔術師の子孫をその手で殺せるだなんて、目の前の死神様にとっては、この上なく嬉しい筋書きではないだろうか。

 これなら、私の願いが叶う日は近いかもしれない――。


 死神様のひんやりと冷たい手が私の額へと触れる。


「私、セスト・イシュタリム・デ・ラスカロスは、汝、リリー・オーブリーと誓約を交わし、リリー・オーブリーが18歳を迎えるその前日までに、その魂をこの世から消し去ることを誓う。そして、願いを叶える代償として、この身を私に捧げることを命ずる」


 唱えられた契りによって、触れられた額がじんわりと熱をもつのを感じる。

 そこに死神様のキスが落ちたと思ったら、今度は頬に手を添えられて唇が重なった。

「んッ……!?」

 予告もない突然の事態に離れようと暴れるが、死神様の右手が腰をホールドしているため、身動きがとれない。

「んぅッ……やッ……」

 抗議しようと開けた口に侵入してきた長い舌は私の舌を絡めとって離さなかった。


 何分も止むことなく続いた甘美な接吻が終わる。

 力が抜けてだらりと死神様の胸にもたれかかった私が荒い息を吐き出しながら見上げると、私を見下ろしている死神様が薄くすっきりと整った自身の唇をぺろりと妖艶に舐め上げた。

 ぞくり、とこれまでの人生で感じたことのない感覚が背筋をはしる。


「さて。この世を満喫した後、俺様の手で滅びゆく様を特等席で見させてやろう。必ずや、封印を解いたことを後悔するだろう」

「そうね。でも、後悔してもいいの。私の望みが叶うのなら――」


 さも愉快そうに口角をあげる『死神様』に、私も同じように笑い返して、その手をとった――



◇◇◇


「それで、貴方は一体いつになったらこの世界が滅ぶ様を見せてくれるというの?」

「お前はまだネチネチとそんなことを覚えていたのか」

 そう言っては鼻で笑う死神様は、なんとも憎たらしい笑みを浮かべている。

「そんなことって、貴方ねぇ……。もう約束の日よ? 契約した内容すら忘れてるのではないでしょうね?」

 既に私の18歳の誕生日は明日に迫っていた。

 まだ、時計の針が0時になるまで8時間残っているが、その間に私は何らかの状況に陥って死ぬのだろう。そして再びループする。


 今日こそは一刻も早く私の願いを叶えてもらわなければならない。

 だというのに、私は後ろから抱き着いて離れてくれない死神様に強く言えないまま今までの時間を過ごしてしまった。

「ねえ、お願い。私、もう17歳になったばかりの私に戻りたくないの」

 お願いだから、と上半身をねじって死神様を見上げては訴える。


 私はもうループをしたくない。

 今、目の前にいる『死神様』がいない人生を一人で生きていたくはないのだ――


「お前のそばにはこの俺様がいるんだぞ? 何を心配する必要がある」


 その堂々とした自信はどこから出てくるものなのだろうか、と疑問に思う。

 私は既に数え切れないほどのループを繰り返しているのだ。

 理解のできない戯言に付き合っている時間は既に残されていなかった。


「――セス。私は死ぬの。そして、貴方と出会う前の私に戻ってしまうのよ? 貴方は私の願いを叶えてくれるって、そう誓約を結んだじゃない」


 滅多に呼ばない名前を呼んで、真剣な話をしているんだと意志を伝える。

 今を逃すとまたずるずると流されるように残りの余生を過ごしてしまうことが簡単に想像できてしまうからだ。 

 そんな私を見下ろしては「だぁ~」だか「う~」だかよくわからない声をあげた死神様は、真剣な眼差しで口を開いた。


「この際だから言っておくが、そもそもが違うんだ。お前は死なないし、ループもしない」

「……貴方に私のなにがわかるの?」

「俺様は死を司る神だからな。なんでもわかるさ。――確かに、お前は呪われていた。お前を憎む誰かがそれを望んで、叶えた阿呆がいたんだろうよ。けどな、今のお前は呪われていない。何故だかわかるか?」

「……わからないわ」


 死神様の言うとおりに私がずっと呪われていたとして。

 なぜ、今になって解けたというのだ。

 死神様なら呪いを解けるとでも言うのか。今更、それを言ってしまうのか。


「そもそも、だ。お前がこの俺様と誓約を交わした時点で呪いなんて無効になっているんだ。くだらん呪いなんかよりも、俺様の誓約の方が数万倍勝るからな」


 声が出なかった。

 目の前の死神様から言われた言葉の意味は理解できていた。

 けれど――

 今日この日に呪いの存在とその結末を知らせた上で、目の前にいる死神様は私を殺すのか。

 この8か月間、私を振り回して、私を甘やかして、私が死神様に溺れていく様を眺めて。そして、最後の最後で誓約で定められた『死』を私にくれるというのか。


 なんてむごい。


「おいおい、泣くなよ。お前、誓約の内容一字一句間違えずに言ってみろ」

 いつの間にか音もなく涙が頬を伝っていた。

 私の瞳から溢れる涙を乱暴に指先で拭いながら、死神様が私に命令する。

「一字一句なんて、無理よ。もう8ヵ月も前の話なのよ?」

「俺様は言えるぞ。『私、セスト・イシュタリム・デ・ラスカロスは、汝、リリー・オーブリーと誓約を交わし、リリー・オーブリーが18歳を迎えるその前日までに、その魂をこの世から消し去ることを誓う。そして、願いを叶える代償として、この身を私に捧げることを命ずる』」

 誇りながらすらすらと言い放つ目の前の死神様が憎い。

 それが一体何だというのだ。


「お前は誓約の通り、この世から魂が消えてなくなる。そして、リリー・イシュタリム・デ・ラスカロスとして、私の住処へと連れ去ってやろう」

「――セス、それって」


 続く言葉は声にでなかった。

 死神様の薄くすっきりと形の整った唇が、私のそれと重なる。


 リリー・オーブリー、享年17歳。

 私は目の前の死神様の手によって、望んでいた『死』を迎えた。

 そして、愛しい死神様との新たな『生』を授かった――


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