お城とお塩
白里りこ
お城とお塩
電車の窓の外に、女の顔が見えた。
電車は通常通り走行しているはずなのに、その女は窓にぴったりと張り付いてついてきていた。
しかも、顔だけ。
「なあ、トニー」
僕は同行者に声をかけた。
「ちょっと窓の外を見て欲しいんだけど」
「は?」
トニーは怪訝な顔をした。
「地下トンネルの暗闇なんか見てどうしろってんだ」
「いいからいいから……あ」
もう一度僕が振り返って見た時には、女の顔は消えていた。
「やっぱいいや」
「いいのか。よく分からん奴だな」
トニーは言った。
僕は今、ロンドンの大学の友人トニーと出かけるために、
トニーは自他共に認める
そんなトニーが何故、僕と一緒にこの小さな旅に出ているのか?
それは先日、トニーに妙な手紙が届いたからだった。
***
「なあ、タナカ。今度一緒に郊外まで観光に行かないか」
トニーに声をかけられたので、僕はランチに買ったフィッシュ・アンド・チップスに塩を振りかける手を止めて、トニーを見上げた。
「ケチなトニーが観光だなんて、どういう風の吹き回しだ?」
「お前、いつも俺を誘うだろう。いつもは断っていたが、今回たまたま俺の方で用事ができたから、ついでについてこないかと言ってるんだ」
「ほおー。で、その用事とは?」
「これだ」
トニーは一通の手紙を取り出した。
「手紙? 文通相手なんていたのか」
「いない。これは事務連絡だ」
「事務連絡を手紙で? そりゃまた古風なことで」
「そんなことはどうでもいい。まず差出人の名に見覚えがない。にも関わらず相手の住所は、俺の所有している郊外の土地のものなんだ」
はあー、と僕は感心した。
「さすがトニー。大学生なのにもう自分の土地を持っているんだね」
「驚くところがそこなのか? あそこの土地はほとんど手付かずだよ。手入れも何もしていない。税金を払うだけ無駄になっているから、建物を取り壊して売ろうと考えていたのだが……そんなところに何故か知らんやつが勝手に住み着いてる。意味が分からん」
「確かに」
「で、手紙の内容がこうだ。『ご主人様、もう時代は二十一世紀でございます。そろそろ奴隷労働はおやめくださいませ』」
「……何のことだ?」
「さあな。そこで、様子を見に行くことにした。どうせ売る前に状態を確認する必要があるしな。その時に不法侵入者がいないか確認しておこうと思った」
「なるほど。その面倒くさそうな用事に僕も付き合えと?」
「嫌か? なら来なくても構わん」
「いや、行くよ」
僕は再び、塩を振る手を動かし始めた。
「せっかくの君からのお誘いだ。断るなんて無粋というものだろう。君とのお出かけ、楽しみにしてるよ」
「そうか。感謝する」
「どういたしましてー」
「それと、忠告だ。自分用の塩を持参して無闇に料理に振りかけるのはやめろ。健康に悪い」
「それなら僕からも忠告しておくよ。僕が『イギリスの飯は噂通り不味い』ことを証明する前に、全イギリス人の料理の腕を上げておくことだね」
「……」
トニーは僕を無視して行ってしまった。
***
そんなわけで僕たちは地下鉄を降りててくてくと歩き、目的の場所に到着した。
周囲に観光名所などは存在しない。住宅街の中に広々とした庭があって、それがトニーの持つ土地だった。そしてそこに建っている家は、何だか妙ちくりんな格好をしていた。
「変な建物! 中世の古城みたい」
「変とは何だ、変とは。これは十八世紀ごろに流行った様式『ゴシック・リバイバル』の建物だ。わざわざ中世風の造りにするのが好まれたらしい」
「へえー」
「さっそく入るぞ」
トニーは鍵を開けた。
城の中は薄暗くて、ぞくっとするような雰囲気があった。そして思ったよりも使い勝手が良さそうに見えた。十八世紀ごろの人が建てたのだから、中世の時代よりは文化が発展しているのも当然であった。
そして何より意外だったのは、床も壁も天井もぴかぴかに磨き上げられており、玄関の棚にある花瓶には花まで活けられていることだった。
「トニー、あのさ」
「何だ」
「ここの土地、手付かずって言ってたよね」
「ああ、言った」
「さっき庭を見た時も思ったんだけど、随分と念入りに手入れしてあるんだね」
「さては不法侵入者の仕業か」
トニーは息を吸い込んだ。
「おーい! 出て来い! 俺はここの持ち主だ。勝手に住まうことは許さんぞ!」
すると、はーい、という女の声がした。
僕たちはすっかり驚いて顔を見合わせた。
そして、玄関に立つ僕たちの前に、一人の若い女性が現れた。
さっき電車で見た顔だ。
肌はぱきっとした黒色で、背が高く、瞳は虚で、ボロボロだけれど動きやすそうなメイド服を着ていた。そして、足が無く、直立した姿勢でふわふわと浮遊していた。つまり、彼女は幽霊だと推察できた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
幽霊は疲れ切ったような声で挨拶をし、優雅にお辞儀をした。僕は「おおお」と言った。
「メイドさん本場の国でこのセリフが聞けるとは……」
僕はトニーの方を見た。
「ね、この幽霊さんが、手紙の差し出し人じゃないかな」
トニーは、後ずさって、口をぱくぱくさせていた。
「トニー?」
「ゆ、ゆ、ゆ」
「ゆ?」
「幽霊さんだーっ!!」
彼は喜色を隠しきれない声で叫ぶと、ドタドタと家の中に上がり、彼女に握手を求めた。
「本物? 本物の幽霊さんか?」
「ご主人様、汚れた靴で家に上がらないで下さいませ」
「うわー、握手できるんだね。じゃあ壁をすり抜けたりとかできないのかな?」
「できますよ。高速で飛行することも」
「ウワーッ、ウワーッ、すごいや!!」
興奮しまくっているトニーに対し、幽霊は「ゴホン」と咳払いをした。
「私はファーマ・ジョップ。手紙の差し出し人にございます。この度はご主人様に労働の対価をお支払いいただきたく」
「労働って、この家を綺麗に保ってくれていたのはやはり君なのか」
「そうです」
ファーマはふわふわと天井近くまで舞い上がった。
「私はかつて奴隷としてこの地に連れてこられ、過労で死にました。運悪く地縛霊となってしまい、ここでえんえんと仕事をする羽目になったのです」
「何で? 仕事しなくてもよかったのに」
「私だって嫌でしたよ。でも体が勝手に……仕事をしてしまう……。クソッ。これが私を縛る呪いなのです」
「そりゃ、可哀想に。死んでまで仕事するなんて」
トニーは心の底から同情している様子だった。
「しかも誰もお給金を払ってくださらない」
「ああー。そりゃひどい。で、これからは僕に払って欲しいと? いいよ、別にお金くらい。その代わり……」
「お金! 私は金など使いませんよ。ものも食べないし、ここから出られないから遊びにも行けない」
「うーん、じゃあ、どうしようもないなあ」
「そんな。私は……私は……」
ファーマの前身から得体の知れない紫色のガスのようなものが漏れてきた。
「無賃労働なんて……二度と御免なんだアーッ!!」
充満したガスがボボンッと爆発して、僕たちはドアまで吹っ飛ばされた。僕は後頭部を打ってしまった。地味に痛い。
それにしてもファーマは、何と気の毒な幽霊だろうか。生前に奴隷という身分にさせられたことだけでも充分以上に不幸なのに、若くして過労死、その後も無賃労働を強いられるなんて。大英帝国の負の遺産というものは実におぞましい。
「アハハハハハハハ!!」
ファーマは狂ったようにそこら中を飛び回って、シャンデリアを揺らし、棚を倒し、花瓶を割った。
それからしゃがみ込んで、花瓶のかけらを拾い始めた。
「ううう……拾いたくもないのに拾ってしまう……この身が恨めしい!」
ガスはまだまだファーマの前身から出続けている。また爆発が起きたらたまらない。僕は少し思案してから、カバンから塩の瓶を取り出すと、ザザッと辺りに振り撒いた。
お清めの塩の要領だ。
効果は覿面。
ガスは瞬く間に薄くなって消えた。
「え……?」
「あ、ファーマ、ごめん。体にかかっちゃった?」
「これ……使える……」
「ん?」
「疲れが消えてゆく……私の中の負の感情が、消えて無くなってゆく……!!」
「それ大丈夫なの? 塩なんだけど」
「塩!!」
ファーマは叫んだ。そしてトニーを振り返った。
「ご主人様、お給金として、私に充分な量の塩を用意して欲しいです!!」
「そんなものでいいのか? 安上がりで何よりだ」
「よっしゃああああああ!!!」
「その代わり」
トニーは付け加えた。
「君の仕事がちょっと増えるぞ。俺はこの建物を改装してホテルにしようと思うんだ」
「何ですって?」
「幽霊のいるホテルは、みんな大好きだからね。本物の幽霊が働いているところを見られるなら、ここは大人気になるだろう」
「……つまり、私に客の世話をさせると?」
「そういうことだ」
「はあー。まあ、構いませんよ。どうせ仕事はやめることができませんし。ずっとここに一人で、退屈してましたし」
ファーマは床に散らばった塩に触れながらうっとりとした。
「塩さえいただければ、仕事をするのもそれほど苦痛ではありません。ああ、こんな簡単な答えが身近にあったなんて。嬉しい……心が落ち着く……しょっぱい……」
「じゃ、話は決まりだね。よし、ガツガツ稼ぐぞ」
トニーも満足げだった。
***
数年後、この郊外にあるゴシック・リバイバル様式の城は、国内で一番人気のホテルになった。国中から観光客が殺到するそうだ。それから、多くの歴史学者も訪れて、彼女が生きていた時代のことを色々と質問するようになった。メディアもことあるごとに訪れて取材をしていくそうだ。
ファーマは、あの厄介な労働体質に悩まされながらも、塩のおかげで何とか元気にやっているらしい。彼女の計り知れないほど大きな不幸が、多少なりとも報われるのなら、それはよいことだ。
僕はその頃には日本に帰ってしまっていたから、ファーマのホテルには行っていない。
だが、トニーには定期的に大量の塩を売りつけている。
どうやら、日本で作られた塩が一番のお気に入りらしいのだ。
塩で邪気を祓うという文化が日本発であるせいだろうか。
何はともあれ、あの手紙の一件が、丸く収まって良かった。
次にロンドンに行くことになったら、僕もファーマとトニーの経営するホテルに泊まるつもりでいる。
おわり
お城とお塩 白里りこ @Tomaten
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