第2話 亡くなったもの、喪った痛み

 三人はクレータの底に座っていた。何もない直径10キロの巨大な穴の中から見える光景は今までに見たことのないものだ。地面がえぐられなだらかな斜面になっている。まるで水を抜いた湖のように見えたが、草一つないのでそのたとえは適切ではない。


 何もない。


 それが僕の内から出てきた感想だ。それ以外は何も出てこない。空白。空っぽ。何もないふわついた感じは、落ち着かない。そして、出会ったばかりの三人には何の絆もない。ただ、偶然で出会っただけのこと。だから、父を目の前で亡くし、泣いているロイエの背中をさすってやることも、抱きしめてやることもできない。それをすればはただの安い同情になってしまうからだ。彼女の本当の悲しみなんてわからないのだから。僕と彼女は吐き気に、ロイエは父を亡くした痛みに耐えながらうずくまることしかできなかった。


 そうしている間に日は落ち、あたりは暗くなってきた。夜の訪れだ。星々が顔を見せ始めた。やがて、現代では見れないような満点の星空になった。邪魔する明かりは一つもない。夜の暗闇の中、星の明かりだけが僕たちを照らす。藍色の空にどこか悲しげで、星は空の涙のように見えた。そして、今日死んだ人々の魂にも見えた。世界の悲しみを凝縮し、絵の具にして塗った絵のような空を


「美しい」


 と思った。


「そうだね」


 自分が独り言を言ったことも気づいていなかったし、話しかけられたことにも驚いて、焦って寝返りを打つと目の前に彼女の顔があった。初めて彼女を見た時と同じだ。違っているのは、目を開けているかということだけだ。黒蝶パールのような瞳が僕をとらえ離さない。僕はあまりの美しさに目を離すことができない。心臓がどくどくと高鳴る。息苦しくなり、固唾を呑む。僕たちは何秒見つめていたのだろうか。1秒かもしれないし1分かもしれないし、1時間かもしれない。時間間隔が一定でなく伸びたり縮んだりを繰り返して正常な感覚はどこかに行ってしまった。


 ぐぅぅぅぅぅ


 彼女のおなかから巨大な音が鳴った。顔を赤らめる姿は可愛くて、愛おしい。今日初めて僕たちは笑った。召喚されてから、人の生首を見せられ、訳の分からないまま、何もかも消え去った。現実の退屈であくびの出るような平和な日常も、楽しい異世界ライフも、町も、城も。ただ一つ失わなかったものは彼女である。まだ、名前も知らない黒髪の少女。僕は彼女いるだけでなんだか体の奥底から生きる力が湧いてくるような気がした。


「これ食べる?」


 僕が取り出したのは、ポケットの中に入っていたブラックサンダー。激甘のチョコレート菓子。


「うん」


 僕は彼女にブラックサンダーを手渡した。彼女はそれを三等分にした。だが、開けてみると、大きさはバラバラでとても等分とは言えなかった。彼女は苦笑いする。


「ごめんね。私がこの小さいのを食べるから」


「いや、おなかを鳴らしていたのは君のほうなんだから僕がその小さいのを食べるよ。」


「でも……」


 このままだと、不毛なやり取りがいつまでも続く思った僕は一番小さなかけら素早くとった。


「ありがとう」


 僕はなんだか照れくさくてそっぽを向いてしまう。たかがブラックサンダーでいい思いをしたものだ。心の中ではにやけが止まらない。


「ロイエにも渡しに行こう」


 ロイエは少し離れたところで三角座りをしていた。華奢な体付きでまだ、14、か15歳というところだ。その背中には負のオーラが視認できるほど漂っていた。人を寄せ付けない強力なものだったが、放ってはおけない。ロイエも人……だと思うし、食べると思う。いつもより密度が3倍くらいある空気を肺に取り込み、気合を入れる。


「た、食べる?」


 ロイエは振り向くと、長い栗色の髪の間から顔が見えた。少したれ目で瞳は青い。目が真っ赤になっているが、涙はない。もう出尽くしたのだろう。からからに乾いた青い目は涙目よりも僕の心をえぐる。ロイエは少し目を逸らした後、軽くうなずくと、一番大きなかけらを手に取った。僕も彼女もどこかほっとする。ロイエは強いな・・・・・・。心の底からそう思った。


 三人肩を並べて、不細工に割られたブラックサンダーを食べる。猛烈で暴力的な甘さは今までの体の疲れと精神的疲労を飛ばしてくれる。真ん中にいるロイエは一口食べるとあまりのおいしさに目を丸くしている。


「何これ、すごくおいしい。すごく甘くて、でも優しい味・・・・・・。うぐっっっ」


 ロイエは泣き出してしまった。僕たちはただ何も言わず、満点の星空を眺めながらブラックサンダーをゆっくりゆっくり味わいながら食べていく。


「ごめんなさい。急に泣き出して。迷惑だよね?」


「そんなことないさ。悲しいのだったら無理してこらえることなんかないさ」


「そうよ。私にはいい言葉も思いつかないし、身内が死んだ経験なんてないから何も言えないけど・・・・・・、ただ、あなたのそばにいる」


 僕と彼女はロイエの顔を覗き込む。両手でごしごしと涙をぬぐうと、笑った。出し尽くしたはずの涙が流れ続けている。悲しい顔をしていたって何か解決するわけでもない。だから、笑ったのだ。涙を流しながらでも、心の傷が癒えていなくても、前に進むために・・・・・・。


「ありがとう」


 小さいブラックサンダーをちょびちょびと時間をかけて食べる。多分僕はこのブラックサンダーの味を永遠に忘れないだろう。




 あの超ハイカロリー菓子を食べるとどんな疲れも3分の1くらいは軽減される。やっぱり人間は食べることでエネルギーを得るという根本的なことを実感させられる。だが、3分の2の疲れは巨大でドロドロした今までにないものだった。


「いや、この菓子は今まで食べたどんな宮廷料理よりもおいしかった。私はこれでも様々な国のものを一級品を食べつくしたと思っていたのだがな。まあ小さい頃の話だが。まだ私に衝撃を与えてくれる食べ物が存在していたとはびっくりだ。ありがとう、えっと……」


 ロイエの言葉が不自然なところで止まる。目は盛大にクロールし、言葉にならない声が漏れる。


「そういえば、私たちまだ自己紹介していなかったね」


 ロイエが名前を思い出せずにいることを察した彼女はフォローを入れた。


「出会ってすぐにえらいことになったから言える時がなかったもんな。じゃあ僕から」


 僕は咳ばらいをし、気合を入れる。なんだか自己紹介といわれると緊張してしまうのだ。こういう時最後になるより最初に行ってしまったほうが気が楽だと知っている。


「僕は……。奈狼、奈狼ケイ」


 彼女は不思議そうな顔をしている。それはそうだろう。急になろう系なんて言い出すのだから。


「そ、それって本名?」


 彼女は聞きづらそうに尋ねる。もし本名だったらなんだか、馬鹿にしているようにも感じられる質問だからだ。


「なあ、ロイエ。僕たちは元の世界に戻れないのか?」


「多分戻れない。アストラル王国は消滅してしまった。それにより、勇者召喚の魔法陣は消え去った。それに、わが王国に集まってきた文書の中で勇者が元の世界に帰ったと書かれたものはは一つたりとも存在しない。まあ、どの文書もあいまいで、勇者の生死すらに書かれたものないがな」


「だと思った。だから、前の世界の名前は使わない。未練を断ち切るためにあえて、違う名前にした。それに、せっかく異世界転移してきたんだ。第二の人生として再スタートしたいじゃん。何事も名前からっていうじゃないか」


「それは形からでしょ。そうね、もうお母さんにも会えないのね……。今日から異世界で人生再スタートっていうわけなんだしね。それにしてもなんでその名前?」


「なんだ?その名前は何か呪われたものなのか?」


「そんなんじゃないよ。まあ、おまじないみたいなものだ。僕にはありえない力と都合のいいことだけが起こるようにっていうおまじないだよ」


 さっきは甘い考えは捨てるべきだなんて言っていたけど、楽はしたいし、力がなかったら死活問題だ。矛盾していることは承知だが、人間はそういうものだろ。


「そうね。じゃあ、私も何か考える」


 彼女はうんうんとうなりながら自分の名前を決める。数分は悩んでいた。多分、RPGとかでも真剣に名前を決めるタイプなのだろう。やるのかどうか知らないけど。


「決めた。私は、霧崎タマキ」


「次は私だな。私はロイエリア・フォン・アストラルだ」


 これで全員の自己紹介が終わった。僕の記憶に二人の名前が刻まれた。この世界で名前を知っている人間はこの二人だけだ。そう思うと、ひどく寂しいような気がする。だが一人じゃない。今の僕にはそれだけで十分だ。


「よろしく。タマキ、ロイエ」


 











 

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なろうケイ 愛と正義の美少年戦士 @cfghjjflkwjsipfj

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