北へゆく電車にのって

くま田さとる

北へゆく電車にのって

 北から東へ電車の線路が引かれた街に、西日がさした。街が西日によって半分に分断される。西日で輝く線路見える窓ひとつしかないアパートの一室では、髭が生えだしたばかりの青年がひとり物思いに更けていた。

「なんで、願うも、願えど願いが一度も叶ったことのないのだろう」

 青年の物思いは、これだけ。別に、今日何か特別な出来事があったからってだけじゃない。悲しいから生じているのでもない。青年の分析からして、たぶん他人について意識するようになった頃から、唐突に起こってしまう。

 この物思い、青年はこれだけを繰り返しに繰り返し考えて、やがて夜がやってきて、眠くなって、ベッドへ入った。ベッドは昨日取り替えたシーツ、まだいい匂い。いい匂いが気持ちよくて、すぐに眠ってしまう。それからすぐ、青年は自身でも夢を見ていると分かる夢を見る。

 穏やかな日和の夢のもと、青年は公園にいて、ズボンのポケットに両手をつっこみ歩いていく。公園ではいっぱいこどもたちがいて、楽しそうに過ごしている。白髪頭のおじいさんが座るベンチの真横を通り過ぎようとした時、そのおじいさんから声をかけられた。

「おじいさん。何でしょうか」

「君の住む街にある駅から、北へ進む電車に三十分乗って辿り着く駅がある街の役所へいってごらん。その役所近くに植えてある、黄色い花が咲くキソケイに、君の聞きたいことを聞いてごらん。何でも答えはくれるから」

 おじいさんは、笑顔で優しく勧めてきた。

 青年はぶっ飛ぶ驚きに頭を打たれ、忽ち目を覚ます。静かな雨降る夜見せる窓が横、「これはただの夢ではなく、何かからのお告げ」と考えた。脳が興奮状態になり、寝れなくなる。

 雨降りつづく中、青年は早く朝にならないものか、電車が走りだす午前五時にならないものかと願いだす。願うに願えど、朝は早くはこない。午前四時頃に雨がやむ。やっとのことで、午前五時になる。

 駅で電車の待ちぼうけはしたくない。部屋の壁に掛かる時計の針が午前五時から一分過ぎたのを見届けてから、青年はアパートから飛び出した。灰色の曇り空覆われ、雨のにおい漂う街を駆けた。

 おじいさんに教えられた通りに電車に乗って、街に辿り着く。青年はこの街を知らない。この街も灰色の曇り空に覆われる。だけど彼の住む街に漂うにおいとは違い、甘い花を連想させるにおい。駅前に置かれた周辺地図を頼りにして、役所の前に辿り着く。役所の近くには、小さな黄色い花を散らばり咲かせた細い木が植えられていた。

 青年には、これがキソケイかは分からないが、キソケイだと信じられた。青年は細い木にむかって、声をかけた。

「すみません。質問したいことがあります」

「なんでしょうか」

 細い木から、若い男と思える声が発しられた。青年は驚き、飛びあがる。これはもうお告げで間違いない、と青年は確信して嬉しくなる。

「僕は今まで願いごとをしてきました。だけど、一度も願いが叶ったことがないのです。なんででしょうかね?」

「大きすぎる願いごとをしているからじゃないの」

 細い木があっさりと応え、青年ははっとさせられる。

「確かに。そういえば、大きすぎる願いごとですね。今まで気がつきもしませんでした。さすがな答えですね」

「ありがとう」

「哀しくて、切ないです。大きいけれど、悪い願いごとなんかしていないのに、叶えてくれないなんて」

「へぇ。例えばどんな願い事?」

「世界中のみんながいつでも笑って、幸せに過ごしますようにとの願いです。これを、よく願うのです。誰も怒っていない、哀しんでいない世界になったら、どんなにすばらしいかって」

「なるほどね。だけど、この世界にいるひとたちの中には、誰かが怒っていること、哀しんでいることに幸せを感じているひとがいるの。誰かが笑って、幸せに過ごしませんようにと願い、誰も笑っていない世界がすばらしいと考えるひとがいる。きっと、かみさまは、そんなひとたちからの願いも、君のようなひとたちからの願いも聞かされ悩んでいるね」

 風がないのに細い木が揺れ、いくつもの黄色い花を青年の頭へ落としてきた。青年は髪に入り込んだ花を手で払ってから、細い木を見つめて、何かつづきをいうのを待つ。待てども、細い木は何もいわない。

 青年はひと周り見る。瞳には、ひとがひとっこひとり入ってこなかった。とても静かな街にいる。ズボンの後ろポケットに入れてあるライターを取り出し、細い木の茂る緑の枝へ着火させた。枝が燃えだしてから一分も経たずに、一気に燃え広がり、細い木全体が燃えだす。

 細い木が火柱となる。燃えてゆく音を背に、青年は北へゆく電車に乗るために、駅を目指して歩きだした。


 終

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