第3話

 どうやら俺は、すでに失恋したあとだったみたい。

 即席そくせきながらいとしいニカくんに気持ちをつたえられたと思ったさき、綺麗にるはずだった俺の恋は、散ることもなく吹き飛んでいた。それも一週間も前に。


「知ってる……って、ん? ……知ってる? 知ってる、の?」

 俺は強制きょうせいてきに我に返った。全身からちょう高速こうそくが引いていく。

「光が言ったんだ。先週、ベッドルームで。『ニカくん、らいしゅき』って」


(……は? 俺ぇ?) 

 身に覚えなど全くない。俺が覚えているのは、朝になって目が覚めると、この家のニカくんのベッドの中で、ニカくんの服を着ていたことだけ。

 その他は、よい夢を見たあとのいんが残っていたぐらい。そう、よい夢の……。

(あれ? もしかして、夢じゃなかったの? ていうかニカくん今、『光』って言った?)

 ニカくんが言うには、酔い潰れていた俺は彼の家にお持ち帰りされたあと、みずか丁寧ていねいにも着ていた服をハンガーに掛けてから彼の服に着替えて、さらには彼のベッドをせんりょうした挙句あげく、一緒にようと彼におねだりをしながら抱きつき、それから『ニカくん、らいしゅき』と言い放って、彼にくっついたまま朝までじゅくすいした、……らしい。

(ん? 今、『お持ち帰り』って言った? えっ? ニカくんが俺をお持ち帰り?)

 ニカくんのしょうさい説明せいめいを受けてもなお、俺は頭の中がだい混乱こんらんしていた。同時に、なぜニカくんは今日までそのことを俺にだまっていたのだろうと思った。

 俺は心を決めて、ニカくんに問いかける。

「ニカくん、……なんで言ってくれなかったの? っていうか俺に、『男』に告白こくはくされるとか、迷惑だよね」

 言い終わった途端とたんに、俺はニカくんの顔が見れなくなって両目をかたく閉じた。

 ニカくんの溜め息が一つ聞こえた。

 俺はさらに目を開くのがこわくなる。

 今、彼は困惑こんわくしているのだろう。それもそうだ、男である俺に『らいしゅき』などと言われてこまらないはずがない。

 俺の胸は失恋の余波よはめつけられる。


「初めから、手放すつもりなかったから」

 ニカくんの声がした。

 俺は思わずニカくんの顔を見た。俺はとうとうげんちょうまで聞こえ出したのかと思ったけれど、当の彼はグラスを持ち上げてルームライトへとかざしながら、どこか微笑んで見える。

 俺がその横顔を見つめていると、急に彼がこちらを見た。

おどろいてる顔も、可愛いな」

 その言葉の直後、俺の唇の上にあたたかく柔らかいものがいついた。それが離れたかと思えば、再びまた吸いついた。

 俺はかすかに残ったせい手繰たぐり寄せて、目の前でちょう拡大かくだい表示ひょうじされているニカくんを両手で押す。

「な、何! なんで!」

 部屋中に、俺の声が響いた。

 俺の上にいるニカくんは、俺を見つめている。まるで愛しい人に向けるような眼差まなざし。

 今度は、俺の左頬が温かくなった。

「もう一週間も自分の恋人に触れられなかったんだ。限界げんかいだ」

「どういうこと? なんの話?」

 俺が間髪かんぱつ入れずに問うと、ニカくんは再び微笑む。

「『愛してる』って言ってるんだよ。光」


 俺は全身がふるえ出す。ここ数日、ニカくんがいつも以上に俺に優しい気がしていたのも、はたまたニカくんが今年のクリスマスを一緒に過ごす相手も、すべては『恋人の俺』に対する態度たいど言動げんどうだった。

 俺は右手のこうもとを押さえた。自然となみだあふれて止められない。


 その時、俺の右手が持ち上がった。

 その先には、微笑むニカくんがいる。

 彼が俺に近づいてきて、ひたいに再び温かく柔らかいかんしょくがした。

 次には左のまぶたに、そして左頬と降りてきて、ついには唇へと重なる。


 頭の奥からしびれてとろけていく。からだぢゅう神経しんけいびんになって、ニカくんに触れられるところ全てが過剰かじょう反応はんのうする。

 その時、俺は頭の片隅かたすみにあった思いが口から零れた。

「ニカくん、彼女は……? あの可愛い女の子……」

 ニカくんの動きが止まる。

 俺はおそおそるニカくんを見た。けれどニカくんは俯いていて、表情が分からない。

 俺にはニカくんが今、その可愛い彼女への罪悪ざいあくかんさいなまれているように思えた。

 俺はニカくんのその姿に、胸がけそうになる。

 その時、ニカくんに左肩を掴まれた。

「なんで今、元カノの話になるかな……」

 そう言い終えたニカくんの顔は、微笑みながらも目が完全に座っている。

「や、あの、……えっ? 元カノ? えっ?」

 俺は混乱のあまり、頭を抱える。

 ニカくんの大きな溜め息が聞こえた。

 俺は頭を抱えていた手で両目をおおう。ニカくんをちょくするには、まだ勇気が足りない。

「彼女とはもう、一年以上も前にわかれてる」

(……別れた? なんで?)

 ニカくんは俺の心の問いに答えてくれた。

「光が好きだから」

 ニカくんは両目を覆った俺の両手を静かに外す。そこには、眉を寄せて少しれたように口角こうかくを上げたニカくんがいた。

 ニカくんは親指で俺の残っていた涙をぬぐう。

「光、大好き。光は?」

 唇が勝手かってに震えて、俺は再び涙が溢れ出す。

「おっ、俺ぇ、俺もぉ、ニカくんっ、がぁ、らいしゅきぃ」

「うん、知ってる」

 そう言ってニカくんは微笑んだ。


 ニカくんの綺麗な顔が近づいてくる。俺が自然と目を閉じると、ニカくんはそれが当然かのように俺の頬に触れて、俺の唇に唇を重ねる。

 唇がかんしたニカくんの熱が脳へと突き抜けて、あし爪先つまさきまで駆けめぐる。

 自分で言うのもなんだけれど、俺は経験けいけんひとみに、いや、かなりほう。だけどその俺が、ニカくんに触れられるだけで、心臓が尋常じんじょうではないそくみゃくつ。こんなことは初めて。

 

 俺は涙が止まらない。けれどその度、ニカくんが親指で俺の涙を拭っては微笑み返してくれるから、俺は息が詰まるほどに愛しさが込み上げる。

 ニカくんが俺の首を唇でんだ。それから吸いついてめられた。俺はその度に出そうになる声をまんした。だって、さすがに男のく声が聞こえたら、ニカくんを興醒きょうざめさせるだろうから。


 口と口が離れて、俺とニカくんは額を合わせていた。

 俺は自然と笑みが込み上げる。ニカくんも微笑んでいる。

 俺は今、ニカくんの家のソファーで、ニカくんの腕の中にいて、彼の胸板に頬をあずけている。

(これは夢じゃない!)

 すでに俺は、ニカくんとの恋人歴一週間。

 恋人になれていたこの一週間を知らずにいただなんて、勿体もったいない。


 ニカくんが忘年会に遅れた理由。

 聞けば、俺と過ごす今日のためにお酒とデリのじゅんをしていたから。

 どうやら、ニカくんの家にお泊まりしたあの晩、俺は彼に『俺の理想のクリスマス』をかたっていたみたい。

 こんニカくんはその『クリスマスの予定』を俺と二人で立てようと、前から色々と用意してくれていたらしい。

 俺に禁酒令を出したのは、ニカくん以外の人に泥酔でいすいした俺が(お持ち帰りもふくめて)介抱かいほうされるのを「恋人として」阻止そしするためだと言った。

 けれど俺が何も覚えていないことに気づいていなかったニカくんは、忘年会を抜けた俺を見て「ねた」と思って追いかけたみたい。


 無防備な顔を見せている『俺のニカくん』のれた瞳を眺めながら、俺は彼の肉厚の唇に触れた。

「ニカくん……、大好き」

「俺も、光が大好き」

 流し目がちに潤んだ彼の瞳が、すでに俺を見つめていた。

 俺はうれしさと同時にすじから興奮こうふんが込み上げて、思わずニカくんに口づける。

「そんな可愛いキスじゃ、足りないな」

 俺はニカくんにキスごと押したおされる。

 いつの間にか、俺の目の前には、俺好みのきたえられた上半身をしげもなくさらしたニカくんがいた。

「ひゃあぁぁ」

 俺は興奮のあまり咄嗟に手で口を覆うも、自分でも驚くほどの高い声を発していた。

 思わずニカくんを見ると、彼は嬉しそうな顔をして俺を見ていた。

「光、そろそろ黙って」


『俺のニカくん。明日、クリスマスツリーを一緒に買いに行こう?』

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Happy Holidays 水無 月 @mizunashitsuki

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