執心刑

真菊書人

執心刑

 非通知の番号からの着信だった。警戒しながら通話に出ると、か細い声がこう告げた。


「私はあなたのおかげで救われました」


 その一言だけで通話は終了した。とても嫌な予感がした。俺は急いで自宅に駆けだす。


 会社から急行して15分、タクシーを捕まえるべきだったと後悔しながら自宅の戸を叩く。直後、なにかが崩れるような音が聞こえた。焦りを隠しきれずにドアノブを乱暴に何度もひねる。あいにく鍵穴は昨日潰してしまって今はこうすることしか出来なかった。


 すると間もなく、「今開ける」と女性の声が聞こえた。施錠が解かれたと同時にドアを勢いよく開けると、部屋の中にいた彼女が勢い余って尻もちをついた。


「いった~もう、そんなに慌てなくても…あ、もしかしてトイレ?ごめんね~今ちょっと詰まってて使えないんだ~」


 彼女は手を合わせえて可愛らしく「ごめんね?」と首を傾げた。俺はゆっくり手を差し出すと彼女は「ありがと」と言って手を取って立ち上がる。


「今日は早かったね。おかずはできてるけどまだご飯が炊きあがってないんだ~。ちょっとバタバタしちゃってね」


 そう言って彼女はスリッパをパタパタと音を立てて「ちなみに今日はハンバーグだよ、アナタ」と言いながらキッチンに戻っていく。俺は少し距離を開けて彼女のについていく。


「あ、じゃあ先にお風呂入っちゃってよ!多分もう沸いてる頃だと思うから~」


 キッチンからこちらに顔をのぞかせて風呂場の方を指さす。俺は「あぁ」とだけ答えて風呂場に向かった。さっさと済ませようとシャワーを浴びていると、排水溝からゴボゴボという音が響く。覗いてみると彼女の長い髪が絡まってすっかり塞いでしまっていた。今度掃除しなくては。


 風呂から上がると彼女はテーブルに料理を並べているところだった。俺のことに気づくと彼女は振り返り、にっこりと笑いかけてくる。


 それを見てどこか懐かしさを感じながら俺と彼女は食卓に座る。


「いただきます」


 二人声を合わせて手を合わせ、ハンバーグを口に運ぶ。俺は口に入れたとたん、ふと涙がこぼれた。


「…え、どうしたの?」


 目の前の彼女が慌てた表情になる。俺は「…懐かしいなって」とだけ答えてまたハンバーグを口に入れる。そうだ、あれはもう5年も前だろうか。あの時のハンバーグはいびつな形で少し焦げていたところがあったが、懐かしい思い出の味だった。


「…久しぶりにハンバーグ作ったけど、おいしいならよかった」


 俺の言葉で何かを察したのか、彼女は一瞬虚ろな目をしたがすぐに笑顔になって食事を再開する。


 …彼女は知らないのだろう。あの人の作るハンバーグには、俺と結婚して以来目玉焼きが必ずセットだったことを。そして、気づいていないのだろう。せっかくあの人と同じ茶髪のウィッグで誤魔化しているのに、黒髪がのぞいていることを。


 俺の視線に気づいたのか、彼女はコテンと首をかしげる。その癖も、あのころと変わらないんだな…君は


 嗚呼――これは、俺の罪だ

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執心刑 真菊書人 @937Gpro

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