中有――カサンドラの光

ゴオルド

第1話

ある初夏のことだった。


「ねえ、夜の新宿でデートしようよ」と私が誘ったら、彼は待ち合わせ場所に懐中電灯を持って現われた。おっ、なかなか変わった人だなと思った。私が同類と見込んだだけのことはある。


彼は、同じ大学に通う原崎くん。一重のすっきりした目と白い肌をした和風な顔立ちの男性で、学部では少し浮いた存在だった。正直に言うと暗かった。友だちもいないのか、いつも一人で講義を受けていた。

多くの学生と同じく私も彼とは話したことがなかったけれど、彼の書いたレポートを見て、気になるものを感じ、デートしようなんて茶化して誘ってみたらOKしてくれた。


せっかく懐中電灯もあることだし、歌舞伎町みたいなネオンあふれる商業エリアを歩いてもつまらない。私たちは新宿駅から椿山荘を目指して歩くことにした。椿山荘は文京区にある高級なホテルで、今の時期には庭にホタルを放つことで有名なのだ。庭に入らずとも、周辺を歩けば、迷い出たホタルと会えるかもしれない。それを探してみようと私が提案すると、原崎くんは喜んだ。

「僕はホタルなんて見たことない」

実を言うと、私も見たことがなかった。

人生初のホタルだと盛り上がった。


だが、残念ながら私たちはホタルを見ることはできなかった。歩き疲れて椿山荘までたどり着けなかったのだ。バスに乗ればよかったのに、そのときは思いつかなかった。



それから一月ほどして、原崎くんは死んだ。自殺だった。



私は原崎くんの葬儀に参列した。

教授が用事があって参列できないというので、学生にお香典を託そうとしたのだが、友人のいなかった原崎くんの葬儀には誰も参列の予定がなかったため、私が立候補したのだ。


参列者は私を除いて身内だけのようだった。斎場は狭く、葬儀は椅子が10脚ほど並んだ小さな部屋で行われた。それでも椅子は全て埋まっていなかった。

この小部屋で、原崎くんは棺におさまり、原崎くんのお父さんは事務的に喪主をこなし、お母さんは泣き崩れていた。

斎場は冷房が効きすぎていて、冷え冷えとしていた。斎場に飾られている雄しべを折られた白いユリも、簡素な祭壇も、遺影として飾られた幼いころの原崎くんの写真も、静かに座っている親族も、無表情のお父さんの顔と憔悴したお母さんの顔も、何かが足りないように思えた。ここには何か大事なものが欠けている気がするのだ。少し考えて、誰も原崎くんの死を悼んでいないのではないかと気づいた。そのせいで寒々しく感じたのではないだろうか。原崎くんは、死んでもまだ寂しさの中にいなければいけないのかと思うと、涙がこみ上げた。



葬儀が始まると、喪主のお父さんが簡単に挨拶を済ませた。葬儀場の人が用意した定型文を読み上げているのだろうかというぐらい、テンプレ的な挨拶だった。原崎君の人柄を語るようなエピソードは何も言わなかった。死因も言わなかった。

お父さんがさっさと挨拶を終えて自席に戻ると、今度はお母さんが皆さんに挨拶したいといって、原崎くんの棺の前まで出てきた。しばらく原崎くんの遺影を見つめたあと、参列者のほうを振り返った。

「息子は自殺でした。首つりでした」と言った。

ギョッとする参列者を無視して、お母さんは原崎くんの遺書を読み上げ始めた。


「僕はずっとお父さんに愛されたかった。ほかの誰の愛もいらない。

ただ親から愛されてみたかった」


読み終えると、お母さんは大声を上げて泣き出した。


ああ、やっぱりそうだったのかと思った。




――

うちの大学では、というか我が文学部では、教授が気に入ったレポートは掲示板に貼り付けられ、皆に晒されることになっていた。晒されるのだけれども、名誉なことであったし、何度も晒されるのは文才のある証拠ということで、学生たちはおのれの作品が一つでも多く晒されるべく日々奮闘していた。

実は私も何度か晒された。といっても、文献研究のレポートばかりだから、あまり嬉しくはなかったが。


原崎くんは、かなり頻繁に晒されていた。彼は我が文学部の中でも選ばれし者しか入ることを許されない小説執筆のゼミに進んだ人で、彼の場合はレポートではなくて詩やショートショートなどが晒されていた。


初めて彼の書いたものを読んだとき、私は悲しみと共感を覚えた。

悲しくて寂しくて、子供のように泣いている彼の姿が文字越しに浮かび上がるようだった。そして、泣いている幼い私自身が彼の姿と重なった。


それから原崎くんのことが気になりだして、彼のレポートが晒されたら、私は必ず目を通すようになった。



彼のテーマは一貫していた。

自分には歪みがあり、その歪みはどこから来たものだろうかということ。

自分の歪みを治したい、だが治せない、そもそも治すべきかどうかもわからない。この苦しみが一生続くのかという絶望と、ときおり希望が交互に顔を見せていた。




あるとき、自伝を書いて提出するという課題が出された。私の自伝は晒されなかったが、原崎くんの自伝は晒された。

子供に無関心で無干渉なASD的な父親、おしゃべりで言って良いことと悪いことの区別がつかないADHD的な母親。

あたたかい言葉はかけてもらえず、親にとっては悪気のない冷たい言葉だけを浴び続けた子供時代。

子供に常識を教えず、非常識を教え込んだ両親。

そして、親の心的ケアを押しつけられ、親子が逆転していた子供時代……。


私と原崎くんは、そっくりだった。

もしかして同じ親から生まれたんじゃないのかなってぐらい、そっくり。

心を病む子供の性格って多種多様なのに、心を病んだ子供の親って、どういうわけか似ている。


私はマンションの屋上から地上を眺めていた夜を思い出す。あと一歩で苦しみから逃げられると思ったけれど、私は引き返した。

原崎くんは行くことにしたのだった。

死んでしまった彼と、生きている私。

才能のある彼と、凡才の私。

生と死を分けたのは、才能だったのだろうか。


私たちは大きな十字架を背負わされて、なおかつ十字架を自覚しないといけないという苦しみが追加されている。十字架というハンデがあることに気づかないと、普通の人と同じように生きようとして苦しむことになるのだ。だが、自分の背中に十字架が乗っていることに気づいてしまったら、それはそれで絶望してしまう。このハンデのせいで幸せが遠ざかっているのだと気づいてしまったら、将来に希望など持てるはずもない。だってこの十字架は捨てられないのだ。親から愛されたことのない者は死ぬまでこの十字架から逃れられないのだ。どんなに赤の他人に愛されても、十字架は消えることがない。他人に愛されても褒められても認められても、決して消えない。


原崎くんは、十字架を見つめすぎたのだ。私が見て見ぬ振りをしているようなことまで、彼は正確に見つめ抜いたのだろう。



原崎くんと話したことを思い出す。椿山荘に向かって歩いていたときのことだ。

「僕は最初から終わっていたように思うんだ」

「確かにね。生まれる前から終わってるのが私たちだもの」

この両親のもとに生まれた時点で人生が生きづらくなることは決定していたのだ。

「親から愛されるってどんな気持ちか、どんなに想像しても書けない」

「それ想像したらやばいやつじゃん。考えないほうがいいって」

「考えないと小説書けないし」

「まあ、そうだけど」

そうだけど、考えたらつらくなるだろう。

「親から興味をもってもらえた人って強いよね」

「親じゃなくてもいいんだけど、まあ、興味持ってくれる人が側にいた人は強いね」

例えば祖父母とか兄弟姉妹とか。そういう人が一人でもいてくれたらまだ救いだったかな。

「家ではずっと聞き役だった。きみもだろ?」

「私たちって家庭内キャバクラって感じかな、それか家庭内カウンセラー?」

「家庭内インタビュアー」

「あー、確かに。インタビュアーだね。こっちの発言は求められてない感じ」

「そうそう。親の話を聞いてあげて、頷いたり驚いたり笑ったりしてあげて、親が気持ちよくなるよう会話を盛り上げる」

「そうやってこっちは聞いてあげているのに、親はこっちの言うことは聞いてくれないんだよね」

「聞いてくれないというか、聞く能力がないんだろうな。あした学校に雑巾を持っていかないといけない、なんて親に言ったら、もうひどいよ」

「「お母さん、雑巾嫌い。お母さんはモップのほうが好き」って言うよね。お母さんの好みの話は聞いてないよっていう」

「それ。あと「お父さんは子供のころに雑巾でね」と昔話が始まる」

「とにかく自分の話をするよね。こっちは雑巾持っていきたいだけなんだけどね」

「それを理解させるのがまず大変だった。幼児に説明するように言葉の意味から説明してやらないといけない」

話が通じない、理解できない、興味のあることだけに反応する特性がある人が親だと、雑巾1枚学校に持って行くのにも、子供は1時間の説得を覚悟しなければならない。誤解しないでほしいが、親は雑巾を持って行くことに反対しているのではない。我が子の話を最後まで聞けないのだ。会話が理解できないのだ。だから、一つの話を伝えるのに1時間かかるのだ。1時間説得して雑巾を持っていけたらまだ良い方で、ひどいときは、雑巾ではなくカーテンを持たされるような事態となる。「だってカーテンのほうがもらったら嬉しいもん」などと親が謎の解釈をしてしまうのだ。一度間違った解釈をしてしまうと、子供がどんなに違うと訴えても修正ができない。そして、親自身は子供のために良いことをしたと本気で思っているのだ。雑巾よりも高価なものを持っていかせてやったのだから、先生も褒めてくれるだろうと本気で考えているのだ。

無理やりカーテンを持たされて学校に行く惨めな気持ち。先生や同級生を困惑させてしまう恥ずかしさ。そんな親元で育つと、何が常識で何が非常識か判断がつかなくなっていく上に、自己肯定感も低いから、周囲から浮いていることがさらに私たちを追い詰めた。


「つらいな」

「うん、つらい」


「でも、きみは友だちがいるよね」

「でも、あなたは文才があるよね」


友だちがいるのは救いだ。才能があるのも救いだ。

だが、それって生きるのに必要なことだろうか。



――

葬儀のあと、私は火葬場までついていき、原崎くんが骨になるのを見届けた。

そして、ご両親に、原崎くんの遺骨の入った骨壺を貸してもらえないかと頼んだ。

お父さんは、理由も聞かずに頷いた。貸してくれるということだろうか。お母さんは笑って「お寺さんだから」と言った。意味がわからない。ああ、こんな親では。本当につらかったね、原崎くん。ご両親は私が誰かも知らないし、興味もないようだった。名前も聞かれなかった。

火葬場の人は、骨壺を私に渡すとき、本当にいいんですかとご両親に尋ねたけれど、お父さんは話しかけられていることに気づかず、お母さんは上の空で考え事をしているようだったので、結果的に火葬場の人は無視されることになった。困り果てている火葬場の人に私が目配せすると、火葬場の人は戸惑いつつ、私に骨壺を手渡してくれた。持ってみると思っていたより軽かった。


私は原崎くんの骨壺を持ち、喪服のまま電車に乗って、新宿駅でおりた。

そして、椿山荘に向かって歩き始めた。

すれ違う人は私を見てぎょっとした。顔をしかめる人もいた。私はそんな人たちのことなんて見えないフリして真っすぐ歩いた。


原崎くんと歩いたときより、今日は疲れにくい気がした。真夏だが、さほど暑さを感じなかった。なんだかふわふわと夢の中を歩いているように、五感が弱まっていた。


歩いているうちに、白い日差しがオレンジの夕日に変わっていった。


やがて、江戸川橋駅が見えてきた。

駅前の橋を渡り、小川沿いの遊歩道を辿って、ついに椿山荘の裏口にたどり着いた。

裏口は遊歩道に面しており、桜並木が黒い影を落としていた。あたりは人通りも少なく、静かだった。ホタルをこっそり鑑賞するなら正面口よりこの裏口のほうが都合が良さそうだ。私はひときわ大きな桜の根元に腰をおろし、膝の上に原崎くんを置いて、夜を待った。



日が暮れてもホタルは出てこなかった。もうホタルの季節は終ったのだろうか。

「諦めて帰ろうか」原崎くんの声が聞こえた気がした。

私は弔事用のバッグから携帯を取り出し、原崎くんの家に電話をかけた。

「もしもし、原崎です」

お母さんが出た。

「原崎くんの骨壺を預かっているものですが」

我ながら変な自己紹介だ。

「今から椿山荘の裏口まで来ていただけませんか」

「えっ、今ですか、でも、夕飯の支度してるし」

「来てくれないのなら、骨壺捨てちゃいますよ」

もちろん本心ではない。脅してみただけだ。

「でも、料理の途中だし」

脅しは全く通用しなかった。

「息子さんのこと大事じゃないんですか」

「大事ですよ、自分の命より大事です」

でも、夕飯の支度よりは大事じゃない、と。

「そうですか。ちょっとお父さんにも変わってもらえますか」

「あっ、はい。お父さーん」

ややあって、「父ですが、どちらさまでしょうか」

「骨壺を預かっているものです」

「コツツボ?」

お父さんは何のことだかわからないようだ。

「今日、息子さんの葬儀の後、息子さんの遺骨を入れた骨壺を、お借りした女です」

わかりやすく説明する。

「ああ、はい」

通じたようだ。

「ちょっと椿山荘までお越し願えませんか」

「はあ、わかりました」

電話は切れた。ああ、本当にうちの親にそっくりだなあ。子供は苦労するよ。


それから2時間ほど待ってみたが、原崎くんの両親は来なかったので、もう一度電話してみた。すぐに電話に出た。

「原崎ですが」お父さんだ。

「コツツボの者です。早く来てくださいよ」

「場所がわからなくて、地図で探していました。あと、夕飯の時間なのでごはんを食べていました」

はあ、まあ、そんなところだろうとは思った。

「椿山荘ってわかりますか?」

「わかりません」

わからないのに、行くと口約束をしちゃうところが、本当にもう。

「文京区にあるホテルです」

「はあ」

「最寄り駅は水道橋駅です」

「はあ」

「来てください」

「はい」

電話が切れた。


それから3時間ほどして、原崎くんの両親はやってきた。暗くてよく分からないが、ラフな普段着に着替えているようだった。喪服の私だけが原崎くんの死を悼んでいるかのようだった。

私はお二人に桜の下に座るよう指示して、お父さんの膝に原崎くんを置いた。

ご両親は何も言わなかったので、私も何も言わなかった。きっとお二人は何も考えてはいない。ただ命令されたから従っているだけなのだろう。


私は空を見上げた。

「本当は一緒にホタルが見たかったのだけれど。でも、星が見えますね。深夜にもなると東京でも星が見えるんですね」

私がそう話しかけたが、ご両親は無言だった。

「原崎くんに話しかけてあげてください」

私がそう言っても、お父さんもお母さんも黙り込んだままだった。もしかしたら寝ているのかもしれない。


そうやって、私たちは夜が明けるまで座っていた。


明けていく早朝の黒い空を、カラスが飛んでいった。東のほうに、ピンクとブルーが滲んでいた。


<終わり>

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中有――カサンドラの光 ゴオルド @hasupalen

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