Ep.夢現
目を覚ますと、朝の四時だった。
体を起こさないまま隣を見ると、間近にひま姉の寝顔があった。そんなシチュエーションでも、全く気持ちは晴れない。
むしろ俺は更に辛い気持ちになった。ひま姉が俺にこんな顔を見せるのは、俺を少しも意識していないことの現れだからだ。
寝てる間、ずっと繋いだままだった手のひらを放す。
「……さよなら」
一方的にそう呟いて、俺は一人でベッドを降りた。
・・・・・・
外は朝の涼しい、ちょっと冷えた空気に満ちていた。
そんな空気の中で和田村さん家の呼び鈴を鳴らすと、鋳門さんが出てきた。
「お前か……」
「あれ、鋳門さんもう寝てなくていいの?」
「ああ、完全に回復した」
そう言って鋳門さんは腕を持ち上げた。
「……ダウト。まだちょっと頭痛残ってるでしょ」
「……支障はない」
鋳門さんはばつが悪そうに呟いていた。
「話したいことがあるんだけど……和田村さんは?」
「まだ寝ている。緊急の用事なら起こすが……」
「いや、いいよ」
そして俺は鋳門さんに、第六感を現実でも使えることや、夢の中で無限にエネルギーを使う方法など、潜夢者お役立ち情報を伝えた。
「多分、鋳門さんも和田村さんと一緒に寝れば同じことできると思う」
「そんな、方法が……」
鋳門さんは目から鱗と言った顔で俺の伝えたことを反芻していた。
それを尻目に、じゃあ俺はこれでと帰ろうとしたところ、鋳門さんに肩を掴まれ引き止められた。
「待て。お前、私に他に言うべきことがあるんじゃないのか」
「ええ? 何も隠してないって」
「……ダウトだ」
鋳門さんが鋭い目を鋭く光らせる。やっぱり、この人に隠し事は無理そうだ。
もう全て終わった後なので、俺は洗いざらい全てを話した。鋳門さんは何度も目を見開いて驚いていたけど、黙って俺の話を聞いていた。
そして全てを喋り終わると、鋳門さんは最初に、俺へこう問いかけた。
「……それで? この後は?」
「え」
「この後、御園とはどうするつもりだ」
次に御園と会った時、自分はどんな顔をしているか、全く考えることができなかった。
「……絶交する」
「何?」
「御園は……人を殺した。悪い奴だ。だから、俺のしたことは間違ってないと思う……けど、正しかったとも思ってない。大切な人との記憶が消えることがどれだけ辛いことか、俺は知ってて燃やしたんだ……多分、一緒に俺のことも全部忘れてると思う。俺と御園はもう友達じゃない」
他者の記憶を、自分のエゴで捻じ曲げる。俺のしたことは、本質的には御園と変わらない。
誰も正しいなんて言ってくれない。それでも、だからこそ、一人で決着をつけると決めた。全て、俺が背負うと。
「無責任だな」
鋳門さんは俺に向かって冷たく言い放った。
「もし私がお前と同じ立場なら……御園を殺していただろう。御園に殺された人間も居る上に、記憶を消すだけではまた同じ凶行に走る可能性もある」
その口調に迷いはなかった。ただ口先で言っているだけじゃない。本当に同じ立場だったら、きっと鋳門さんはやるだろう。
「……でも俺、あいつを殺せば全部終わるなんて、思えなくて……」
「そう思ったのなら、最後まで貫き通せ。御園の罪も、罰も、償いも、許しも……お前が言う通り、何も終わってはいない。そしてそれを与えられるのは、全てを覚えているお前だけだ。これからも御園と向き合え、正しさも間違いも一緒に背負え。それが責任を持つということだ。御園の友として、それを背負うと決めたのだろう」
鋳門さんは強い語気で俺を𠮟った後、滅多に見せない、少し柔らかい顔になった。
「お前が向き合うなら、私もそれに付き合おう。お前の選択が私と違うものでも……同じ潜夢者として、一人の大人として、お前の友人として、私はお前の選択を尊重するよ」
そんな鋳門さんの言葉を聞いた瞬間、涙が滲んだ。自分の喉じゃなくなったみたいに、声も震える。俺はそんな声でなんとか感謝の言葉を伝えた。
「あり、がとう。鋳門さん……俺、鋳門さんに会えて、良かった」
「……ああ、私も同じ気持ちだ」
・・・・・・
第六感を使って御園の位置を探る。御園の反応はとても弱くなっていた。きっとそれだけ、兄への記憶に依存していたということだろう。
か細い反応を頼りに歩き続けると、俺は病院の待合室に辿り着いた。
受付から少し離れた淡い色合いの椅子、そこに御園は座っていた。
御園に近付き、話しかける。
「……どこまで覚えてる?」
御園は緩慢な動きで俺へ振り向くと、機械のように質問に答えた。
「朝四時、珍しく早起きして……一緒に暮らしてる叔父さんと話してたら、記憶喪失だ。って、ここに連れてこられた……叔父さんは、俺が兄さんのこと忘れてるって言ってた」
「……夢は?」
「夢も、覚えてない。何か、辛いものを見た気がする……」
そう答える御園は、空白の上に立っていた。ひま姉との記憶を失ったばかりの俺のように。
俺は御園の隣に座った。
「その記憶喪失は……俺がやった」
「……君が?」
御園は隣の俺を見ずに、ぼうっとどこか遠くを見るような目をした。そしてゆっくりと口を動かす。
「兄さんのこと以外にも、俺の記憶から何か消したか?」
「いや、関連する記憶も一緒に消えてるとは思うけど……あくまで俺が消したのは、お前の兄に関することだけだ」
俺がそう答えると、御園は数秒黙った。早朝の病院、決してにぎやかとは言えない環境が、俺達の沈黙を浮き彫りにする。
そんな沈黙から這い出るように、御園はもう一度口を開いた。
「俺は、友達が少なかったんだな」
「え……?」
「記憶喪失だって言われたから、試しに関わりのある人を皆思い出そうとしてみた。だけど、家族以外で思い浮かぶのは君だけだった」
と言っても、君のことも一緒に昼ご飯を食べていたことしか覚えてないけどな。
御園は微笑みながらそう付け加えた。
「御園、お前は……本当に兄を慕っていた。大好きだったんだ」
「ああ……なんとなく、分かる」
穴を確かめるように、御園は心臓を撫でた。
「俺が、その想いを奪ったんだ……! それでもお前は、俺を……」
「信じるよ。きっと君はそうすることで、俺を守ったんだろ……君がそれを呪いと呼んでも、俺は愛だったと信じる……俺のために、泣いてくれてありがとう」
そう言われて、俺は初めて自分が涙を浮かべていることに気付いた。
「久瀬。きっと、君にはたくさん迷惑をかけたんだろうな……いや、もしかして君だけじゃないかもしれないけど……俺に、何かできることはあるか?」
御園が声のトーンを落とし、俺の顔を覗き込む。
「……自分が、潜夢者だったことは覚えてるか?」
「ダイバー……?」
俺は御園に、潜夢者について話した。それから夢が繋がるという現象のこと、俺と鋳門さんはその現象に遭ってしまった人を助けていること。
「人手が足りないんだ。お前も手伝ってくれないか?」
それが罪滅ぼしになるとは思っていないけど。
俺はいつか、御園自身から聞いた兄の姿を御園に伝えるだろう。それが罪滅ぼしになるとは思っていないけど。
俺が全てを思い出したように、こいつもいつか全てを思い出すかもしれない。その時、本当に悲しいことだけは、どこでもない場所へ切り離せたらいい。
・・・・・・
遅刻を覚悟で学校へ行くと、既に授業は始まっているはずなのに、下駄箱にひま姉が居た。
他に誰も居ない、不気味なほどに静かな空間で二人きりだ。
「……来たね。かな君」
ひま姉は何故か両腕を胸の前で組んで、柄にもなく眉毛をきりりと釣り上げていた。
「授業中でしょ、何してんのひま姉」
「かな君を待ってたに決まってるでしょ」
ひま姉が俺の目の前まで近付いてくる。
「……今日、わざわざ一緒に寝たのに……どうして先に出てっちゃったの。しかもそのくせ遅刻するし」
「約束破ったのは……ごめん。でももう、毎朝一緒に登校するのはやめよう。べたべたするのは、今日で終わり」
「なんで」
「もう……全部思い出せたから」
詰め寄るひま姉の視線から、逃げるように目を逸らす。それでもひま姉はじっと俺の顔を見続けた。
「でも私、まだかな君から聞いてないよ。かな君の気持ち」
「……いいじゃん、もう。今さら蒸し返したって、ひま姉だって気まずいだけだし……」
「だから言って欲しいの」
ひま姉が、俺の手のひらを握った。
今朝が最後だと思っていた温もりが、不意に舞い戻る。
「かな君がもうこれで終わりにしたいならそれでもいい……でも、それじゃやだって言ったのはかな君でしょ? 私もう、かな君の気持ちをなかったことになんてしない。向き合うって、決めたから」
視線を合わせると、強い光がひま姉の瞳を通して目に飛び込んで来た。
その光を、鏡のようにひま姉へ返したくなった。
「やっぱり、俺達はちょっと距離置いた方がいいと思う。もうひま姉の隣は、俺よりも相応しい奴が居るから……でも」
握られた手のひらを、更に強く握り返す。そして震える声で、俺は初めてひま姉へ想いを伝えた。心の底からのわがままを。
「時々……本当に時々でいいから。また、こんな風に、手、繋いでくれる……?」
「うん……もちろん」
そしてひま姉は、同じ強さで握り返してくれた。
ひま姉への大きな、本当に大きな想いが、痛いくらいの脈を打つ。
この気持ちは、きっとゆっくりと時間をかけて別の物になっていくだろう。そうでなければずっとこのままか。俺のことを支えてくれるかもしれないし、俺に重くのしかかってくるかもしれない。おそらくその両方だろう。
だけど、どちらにしろ勝手に消えたりはしない。俺の人生に強く繋がって、もうどこにも行かない。
きっとひま姉も同じだろう。御園も、鋳門さんも。
愛とも呪いとも呼ぶ鎖で、繋がり、繋げられながら生きていく。
潜夢者 -Diver- 牛屋鈴 @0423
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