幸せの定義

忍野木しか

幸せの定義


 幸せになりたいという想いを持つ者がいる。では幸せとはなんだろう?

 例えば夕陽を背に子供と家に帰る瞬間が幸せだと僕の中のある人は言う。だがそれは幸せになったという結論には成らず、瞬間の幸せへの到達という曖昧な人生表現の一部を表す前置きにすら成り得ない。

 いや、違うだろう、僕。

 夕焼けをバックに子供と手を繋ぐという仮定はあくまでも幸せの比喩の一部分であり、その光景から子供を持つ暖かな団欒を連想出来るじゃないか? つまりその仮定から幸せとは家庭を持つことだと結論づけられるのだよ。全体の輝きを、人生における幸せを、という非常に広く曖昧なテーマを一瞬の煌めきとして定義づけした結果が、幸せな家庭とは日暮れに我が子を抱き締めるという表現に繋がった、と。どうだろう? その人は幸せになれたのだろうか?

 いや、違うのだ。全部、違う。そもそも過程を間違えていた。

 幸せとは何か? そこが問題なのであり幸せの表現は問題ではない。何故って? 人によって幸せの表現が変わるからだ。大金持ちになる。好きな子と添い遂げる。休日に酒を飲む。喧嘩に勝つ。虫を殺す。幸せの表現は千差万別。無限の想像を定義することは難しい。もっと本質的な、幸せとは何か?

 幸せとは満足である。こう結論付けてしまえばこれほど簡単で幸せなことはないだろう。

 自分の経済状況に満足する。築いた家庭に満足する。与えられた休息に満足する。もう殺し尽くしたと満足する。

 うん、そうだよ、僕の中の君の言う通りだ。殺傷に幸せを感じるものは、殺せなければ幸せを感じられない。つまり、いくら殺してもソイツは幸せになったとは言えないのだ。いくら金を集めて世界で一番の金持ちとなったとしても、果たして、満足できない限りは幸せになったとは言えない。築いた家庭の子の背が低かった。隣の芝生が青い。昔はハンサムだった旦那。ペットが死んだ。孫が第一志望を落とした。休日に酒を飲みながら明日の仕事を憂う人。虫を殺しながら次の虫を必死に探す人。おや? 気が付けば虫よりも弱くなった自分。不幸に戻ったと、表現すればいいのかな?

 幸せになるとは自分の人生に満足できるということ。

 では、満足とは、なんだろう?

 え? もう疲れたって? 早く満足してくれと? いやだね、僕はまだ幸せになっちゃいない。

 満足。充分。充実。ファンタスティックは違うか?

 さて、人の欲に限りはあるのだろうか? 金を手に入れたとして、それでもう充分なんてことはあるのか? 幸せな家庭。時ともに変化した家庭はかつての幸せのままか?

 物理に、時間に、金銭に、健康に、人に、自分に、縛られた自分。いつ何処で人生に満足できる? 何かに縛られた人。何にも縛られない欲。何処かで諦めを付けなければいけない。

 つまり満足とは諦めだ。

 幸せになるとは、自分の人生に満足するということであり、諦めをつけるということである。

 おやおや、随分と幸せとは離れてしまったような気がするね?

 では、結論。

 幸せになろうとするものは、永遠に幸せにはなれない。

 つまり、幸せな人とは幸せの定義など考えない陽気な人間であり、幸せを望むような陰気な人間は永遠に幸せにはなれないということだ。

 幸せになれるかどうかは性格で決まる。

 ……性格か。果たして僕は幸せになれるのかな?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸せの定義 忍野木しか @yura526

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ