過社会性失語世代における小さなカミとその供花

みやこ留芽

過社会性失語世代における小さなカミとその供花

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。

 もう私にとってはどんなに下手なビートボクサーのメロディーより無意味な音の羅列に耳を傾けた。

 意味がないということはそこから何もめないということで、なら内容はまったく別の、たとえば桜前線の北上だとか、入学式シーズン到来の報せかもしれない。


 ともかく桃色アイビー背景色まくらにひしめく同世代チャイム人間サルれ。神妙あかるいひざのキャスター、もはや古代遺跡ボールペン文字みぞとかわらないテロップをんで、


「はなひらけ」


 壊れてしまえ、とアタシはった。この気持ぬまちと言葉うつろいやましくリンクしているのかも俺にはからないけど。

 あらわれた景色ひかりむしらをたいと、ふと思った。





 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。〈青少年スマートフォン等禁止法〉の施行まであと七日になりました」と言う。

 私にとっては沈みゆく船の喫水線のごとき残り日数を絶望的な気分で眺めた。

 さようなら私の青春。

 はしより先にタッチペンを握った身だ。半身をちぎられるに等しい。


「破滅だぁ」


 トーストを皿に投げ、つっぷした私を母親がじろりと睨んだ。


「何だっていうの、ケータイくらい」

「お母さんにはわかんないよ、SNS原始人」


 ガラケーなんて非効率なデバイスで青春を浪費した世代には。

 推しメンや担当キャラはおろか、どのタレント事務所の言語圏ミームに属するかすら話すまで分からない。ファッションの方向性、各教科との距離感、ゲーム性が似通った2アプリのうちどっち派か。キノコかタケノコか。

 今時はどれも未確認で関わり合った日には戦争になる。そんな状況ありえないけど。


「解約の書類、はやく出しなさいね」

「待ってよ。ギリまで持っとくから」

「あのね……」

「データ保存とかいろいろあるんだって!」


 目玉焼きを口にしまいこむと椅子を蹴って立ち上がった。


御厨みくり、ストップ」

「なに」

「大学のオリエンテーションあるでしょ。あれに三方みかたちゃん連れてってあげて」

「なっ、んで私が」

「行雄お義兄さんもお義姉さんも忙しいんだって。仕方ないじゃない、頼まれちゃったんだから」


 父方の長男夫婦はいわゆる本家。法事などでの振る舞いをみるに影響力はあるらしい。


「やだぁ、だってアレでしょ。三方ちゃんってバベルになった……」

「自分のことは自分でできるってよ。けど案内とか字が読めないと大変でしょ。だから」


 “親めんど自分がいかないからって”

と怒りの感情エモート付きでSNSに書き込んだ。ポコポコとフォロワーから自動の応援ハートが届き少し落ち着く。


「ちょっと聞いてる?」

「んー了解ー」


 生返事にとどめて部屋へ。

 こんなのはムダな抵抗で結局押し付けられるのだろう。大学なんて向こう一年はマジメに通うつもりもないのに。





 過社会性失語症候群。俗称バベル。

 私が高二のころ、先進国の若者を中心に起こりはじめた奇病。12~18歳を境に言語野が急速に萎縮するその原因を、どこだかの保健機関はスマートフォン等の高速通信化にともなうSNSの常在化、脳言語野への〔静かなる負荷サイレントストレス〕によるものと決めつけた。

 我が国でも発症者が出るにおよんで、世界へならえと十九歳以下のスマホ禁止へかじを切る。

 六日後はその最終期限というわけで、申告していない未成年者契約のデバイスは強制的に停波されるのだった。


「御厨ー、三方ちゃん来たよー」


 朝、呼ばれて階段を降りていく。なるだけダルそうに。

 面影おもかげしか印象にない従姉妹いとこは、玄関へ差し込む光の中で私を睨んだようにみえた。


「えっと、久しぶりぃ」


 会釈より先にスマホのレンズを向ける。ホーム画面の〈FliproF〉ウィジェットに追加された〔Mikata Fuji〕のタグをタップする。


 ・🗾🗼

 ・👩‍🎓🎓

 ・📗📘📙💥🔫 🐙🎨

 ・🐱

 ・🍄


 私は思わず吹き出した。

 展開した彼女のプロフィールは絵文字ばかりだった。近況も最近のつぶやきも全部。カラフルで幼稚園児のメモ帳みたい。


「こら、失礼でしょ」

「だってぇ」


 三方もまた私へレンズを向けてすぐバッグにしまった。フォローだけしたんだろう。

 長く下ろした前髪の間からぎろぎろした目が見上げてくる。


「だって、ぇ」


 私の言葉を繰り返す短そうな舌。

 陰気の滝百選ひゃくせんみたいな髪の毛からはみ出た丸い耳がぴくぴくと震えた。


「ん、あー、おはよう?」

「んぁーおはよぅ?」


 ちょっと言葉が通じた気になる。実際はわからないなりの復唱というやつなんだろうけど。

 昨夜調べた情報だと思考は私たちと変わらず、性格が極端に変わるということもないらしい。


「面倒なのにかわりないけどさ」

「……?」


 小首をかしげる彼女に笑いかける。すると不安そうだった口元がゆるんだ。あぁやっぱり分かってない。


「ちゃんと行きたいところに連れて行ってあげてね、帰りはウチへ迎えが来るから」

「げぇえ、丸一日いっしょじゃんそれ」


 “強制ミッション お荷物運搬クエ🤣”

と投稿。スマホをのぞいた三方がこちらを見ておかしそうに笑った。バーカ。





 大学には電車で約一時間。

 私も三方も高三の秋には合格通知を受け取って四月から通うはずだった。けれど新法が公布され、三方はバベルにかかった。


「スマホ没収されてないんだね。あー……」


 電車で隣に座る彼女に何気なく訊ねたのをさっそく後悔。

 自分のスマホを指したりしてみるも伝わらず。諦めかけた矢先、三方がスマホを出したのでそれを取り上げるジェスチャーをしたら威嚇いかくされた。


「ぐぁあ! あう!」

「っとぉ誤解!」


 ホーム画面の彼女のネームタブから乱れ飛ぶ〈怒り〉の感情エモートにヒキながらもそうだ、とメモで打ち込めば。


👨‍👩‍👦📱↶🤦‍♀️❔


「ふん」


👩‍🦰👍➡️📱👌🙋‍♀️👋⤵️📱👨‍👩‍👦🏥


「自分のはられたから友達から借りてる、って事? ははっ」


 思わず彼女のスマホと自分のそれを触れ合わせる。なかなか気合の入った依存症だ。

 私たちは大抵そう。健常者もバベルも関係なくソレのない世界を考えられない。


 ――小学校を卒業するころ、世界的に肺炎が大流行した。

 中学の入学式は中止になり、二度目のクラス替えも過ぎようかというころようやく日常が戻ってきた。

 思春期まっさかりに人間関係の途絶をくらった学生を救ったのが〈FliproF〉だ。どんなコミュニティでも自分と相性のいいユーザーを見つけられる。フォロー関係になればつぶやきやリアルタイムの感情を、話しかける前に一目で知れる。

 今や空気は読むものではなく掲示するもの。それが私たちのマナーだった。





 大学本棟の会場前には“スマホ電源オフ”の張り紙がでかでかと。

 ご時世柄、建前でも書かないと色々言われるんだろうなと思いつつ無視したら、案内に立つ先輩らしい女子に呼びかけられた。


「電源を切ってくださーい」


 しぶしぶ従う。最悪、とつい口にしたのを聞かれなかったのが幸い。


 オリエンテーションは退屈だった。

 履修方法や学生の本分うんぬん。言葉がわからないで何が楽しいのか三方は教室のあちこちへ目を走らせていたけれど。

 退室時、新入生はもれなくサークル勧誘に囲まれた。

 出待ちの列につっこむ前にスマホの電源を入れなおす学生でドア付近はごったがえす。私もそれにならった。


「げっ」


 画面にシステムアップデートの文字。自動更新を許可したままだったらしい。完了まで15分という数字を絶望的な気分でながめる。

 押し出された私たちに手作りのビラを渡してきたのはさっき私に注意した女性だった。


「こういう活動してるんだけどね」

 

 磐座いわくらと名乗った女性は私たちへスマホを向け、三方へ話しかける。そりゃそうだ、プロフのない人間なんて誰も進んで相手にしない。

 ビラには新入生歓迎会、と大書。


「あの、この子言葉がわからなくて」

「あぁそれでこんな……ポップなプロフなのね」


 伝わらない言葉をそれでも選ぶ行為に人のよさがでている気がした。けど何度見直そうと私のプロフはあと13分は表示されないので申し訳ない。

 不意に磐座の背後から男がのぞきこんだ。


「ちィっす」


 軽い挨拶を三方はオウム返しにする。私にそうしたように。

 キョトンとした男に磐座が耳打ち。二人は知り合いらしかった。


「あぁ、バベルってヤツ?」

「ちょっと」

「そんな大したモンでもないだろ、なあっ?」


 男はかがむと三方の両肩を叩いた。三方の背筋がリスみたいにぴんと張る。気安さと無神経をはき違えた態度についスマホをさわろうとして、まだ終わらないアップデートに舌打ち。

 怪訝な目をむけてきた男から三方をひったくるとSNSに吐き出すはずだった感情を声にした。


「それ、鬱は甘えって言ってるバカ老人とどう違うんです?」


 男はスマホをこちらへ向けて目を細める。


「……キミはどっから上京してきたの?」


 馬鹿にしやがって。スマホさえ健在ならこんなアイコン美女子つかまえて目が腐ってるのかと言い返してやるのに。


「都内ですけど」

「おォ見たまんまだ。狭い世界でヒロイン気取ってそうなトコとか?」

稲生イノ、やめなって!」


 きしし、と三方が笑った。

 マジかコイツ、私今イラッときてひっぱたこうとしてるのに。そんな様子を見て三方はケラケラとスマホをタップしている。先輩の画面にはさぞ愉快な感情エモートが飛んでいるのだろう。


「えーと」

「ま興味があったら来てねってコトで。明日」

「てかバベルのやつもガッコー来れんの? いっでで」


 手早くまとめた磐座が稲生をひきずっていく。

 残された私の背を三方が急かすように押した。


「えぇまだ行くの? てかアンタが先歩いてよ、スマホ死んでんだって」


 勧誘列に向かおうとする三方は私に隠れてきししと笑った。ひょっとしてコイツ性格悪いな?


「看護師さんにダル絡みするガキじゃん、うっざ」


 スマホ無しでも悪口いえるのはいいけどさ。

 社会不適合ギリギリになった情緒をひとしきり落ち着けて人垣へと踏み出す。あと10分、我慢。





 夕方。


「ダッッルぅ、勘弁してよぉ」


 ベッドに倒れて毒づいたのは棒になった足のためだけじゃない。

 あれから勧誘をひやかして学内を三方に引かれるまま見て回った。それ自体は――すぐスマホも回復したし――私だって物珍しさで苦じゃなかったけど。

 問題は家に帰ってきての別れ際。

 迎えに来た彼女の母親に三方はあろうことかこんな意思表示をしたらしい。

 ――明日も。

 ご丁寧に歓迎会のビラをみせながら。

 そうなると私に白羽の矢がたつわけで、本家の圧に及び腰な母親の前で三方を罵倒して断るわけにもいかなかった。

 合鍵を渡されながら母親に「仲良くなったのね」なんて言われたが冗談じゃない。


 “💀💀💀”


 バカの目にも留まれと絵文字で連投する。フォロワーから自動ハート、遅れて三方からも送られてきた。わざわざ手動で送信したらしい。


(煽ってんの?)


 誰のせいか分からないほど馬鹿じゃなかろうに。スマホを腕ごとベッドへ投げ出したあと、再度画面へ目を向けた。

 バベル患者とのコミュニケーションについて検索する。

 彼らの失語症状は脳卒中患者のそれと似て、復唱は明瞭なものの抑揚に障害が認められる場合もあり文意は滅裂めつれつである。初期の患者には発話能力を失っても指運動による――フリック入力など――言語生成は流暢に行える、等の特徴も認められる。


(三方はスマホでも文字書けないよな。絵文字はセーフ?)


 また、その特徴をして病因を『発話野はつわや萎縮いしゅくにともなう理解野りかいやの衰退』に求める研究もあった。

 ヒトの脳には言語を司る左・情動を司る右側頭葉そくとうようのように機能を連携させながら交互成長する部分があり、片方の機能が不活発になるともう一方も衰退する。その関連性は言語理解・発話にも認められた。理解野は元来的に発話野の監視者であり自己の発言内容をモニターすることで活発化する。患者において両機能は下降螺旋スパイラルを形成して結果として言語力が短期間に著しく損なわれる。


(私たちってそんな喋んないかな? 話すよりスマホで打つほうが楽だけど……げ、ウサギ並みってマジ?)


 史上最速最大とも言われるコミュニケーションと情報量、対して最低の発話量という不均衡が生んだ脳のひずみ。研究者の所見はそんなところだった。


(いっぱい話したら治るのかな)


 益体やくたいもないことを考える。そう単純なら世界的な問題になっていまい。

 ふと、記事の最後についた簡易テストが目に留まった。表示される言葉を音声入力することで理解野と発話野の働きをチェックするらしい。

 誘導されてつい開始をタップする。


神棚かみだなとうくも、ランドッセル、横顔ほおづえ......」


 パラパラと二十ほどの単語を読み上げる。

 出た結果に目を疑った。

 七割弱の点数と受診をすすめる旨の警告。相談窓口までリンクしてある。


(いやいや)


 半笑いで首を振った。

 私がバベル? ただの読み間違いだろう。もともと国語の成績は良くないし。そもそも今日だって支障なく話せたじゃないか。それが三方のように、なんて。


「あいうえお、かきっくけこ! よし!」


 呂律ろれつの正常を確認して布団をひっかぶる。大丈夫。

 “き”と“く”の間の不自然いびつな詰まりは聞かなかったフリをした。





 翌日、鳴ったチャイムにベッドをはいおりる。

 正直ぜんぜん気分じゃないけど母親は朝から出かけていた。いくら三方でも玄関前に放置するのはマズいだろう、変な噂たちそうだし。



“👊💥🚪🔔🔔🔔”

「はいはぁい」


 送られてきたメッセージに〈怒り〉の感情エモートをとばしつつ一階へ。

 ドアを開けると陰気な風貌カオが見上げた。ゴスっぽい私服コーデとあわさって、


「死神みたいね」

「しにがみみ、たい、ね」


意味のない悪口の応酬がうまれる。伝わらない中身がない音のやりとり。

 今のを挨拶と勘違いしてか三方は紙袋をつきつけてくる。


「お土産? へぇ、一応世話になってる意識はあるんだ」


 中身は駅ナカ洋菓子店の小箱だった。


「うわっイイやつ! 食べてから行く?」


 〈喜び〉の感情エモートを飛ばすと三方の顔が皮肉げにゆがむ。現金なヤツ、と言われたみたいで癪だったが美味しいものに罪はない。

 リビングまでならあげてやろうかと小箱をしまおうとして、パッケージのキズに目が行った。チョコブラウンの台紙の隅に擦ったような。

 それに目を凝らしたとき、嘔吐感におそわれた。


「ひ、ぅぐぇ……っ!」


 記憶との齟齬。レイアウト的にそこにあるのは日本語の店名ロゴでしかありえないことに気付いて。

 袋ごと玄関にとり落とす。再度のぞきこもうとして目を逸らし、ぎょっとしたような三方を残してリビングへと駆け込んだ。


(文字、文字、なにか――)


 机や棚をひっかきまわし古い新聞をみつけてにらみつける。

 ざわざわと紙面に浮きたつ活字の群れ。そのいくつかに明らかに文意のとれない箇所をみつけて私は慄いた。


「あ、いうえお、かきっくけこ!」


 またつまずいた。

 舌の動きを何度も試す。不如意な呂律は何度やっても不如意なままだった。

 気配を感じてふりむく。驚くほど間近まぢかに三方が立っていた。


「ひらいた」


 ――何、それは? ヒライタ、開いた? 意味が分からないのはコイツがバベルなせい? それとも――


 すっと小さく白い手が差し出される。慕わしげに。


「やめてっ!」


 それを自分でも引くくらいの強さで打ち払った。

 はじけた手のひらをみつめて三方は。


「きししっ、ひひっ」


 笑う。愉快そうに見下すように、感情エモートも飛ばさず生の声だけで。

 それがとんでもなく神経を逆なでて新聞を投げつけた。


「出てけ■■女!」


 口をついて出た言葉が何なのか、一瞬あとには解らなくなっている。それが恐ろしくてなお居座る三方に卓上時計をぶち当てる。


「大学なんて一人で行け、二度とくるな!」


 静かになった三方の瞼へ赤い雫がつたった。人差し指でのばしたそれを陰気な目でみつめると三方はふいと踵をかえす。

 玄関が閉じ切るまで私は荒い呼吸のままリビングの出口を睨んでいた。



 どれほどこうしていただろう。

 ソファに埋めていた顔をあげると窓の光が目を刺した。

 時間を確認するためスマホをのぞこうとして、


「っ」


 ハッとして放り投げる。ダメだ、どれだけ意味があるか分からないけどもう触れない。その事実の重さは昨日までと全然違った。裸同然の私に残されるはずだったなけなしの言葉さえ、今は失われようとしているのだから。

 床の時計に目がいく。正午に届こうかという秒針は止まっていた。転がった電池が嫌でもさっきの出来事が現実だと伝えてくる。


(……そうだケーキ)


 人間、絶望しかないと目先のタスクにすがりつくものらしい。何もしないでいるのが怖くてかといって具体策を考えるのも怖すぎてのそのそと玄関へ這い出す。

 下足場に落としたはずの紙袋は靴箱の上にあった。三方がそうしていったかと思うと足が鈍る。


「どんな神経してんのマジ」


 思えば最初からだ。初めからアイツは私を笑っていた。好意ではなく動物でも見るような、哀憐あわれむような笑み。低みからより深い場所をのぞいて安心するような。

 私が三方へ向けていたのと多分、そっくりな。


「自分のがよっぽど何にもわかんないクセに」


 紙袋の中身を見ないように持ち上げる。不自然な重さがあった。


「なん……っ」


 薄くて光沢のある板。単体で存在する違和感がすごいソレを取り上げる。三方のスマホだった。


「なんで?」


 周囲の空気を読むこともできない。とっさの苛立ちを仕舞うこともできない。その恐怖は容易に想像できる。だって私はもう一歩も外に出たくない。

 忘れ物でないならこれはメッセージだ。遺書ダイイング、という修飾がよぎりまさかと打ち消す。馬鹿な、仮にそうだとして何だという。

 他人のスマホを持つのは初めてだった。その重みに私は動揺している。


「なんのつもりあの、バカ」


 人の不幸を笑ったかと思えば、その相手に命綱いのちづなに等しいものを預けてくる。

 謝罪や自罰でなんかありえない。私たちはそんな関係じゃない。なら。


「いらない、ってこと?」


 気付いた瞬間ふつりと胸が沸いた。

 何だそれ。散々人が使えずテンパッてるのを笑っておいて自分は別になくても構わないって?

 私がいなきゃ標識のひとつも読めないクセに。

 リビングへ取って返し小箱を開ける。でてきた宝石みたいなムースケーキを次々口へ放り込んだ。甘酸っぱい。


(糖分は脳にいい……!)


 乾いた言語野に潤いが戻る気がする。栄養成分表示を意を決してにらむと、背徳的カロリー量に口端がゆがんだ。私はソファを蹴って立ち上がる。


「待ってろ、私だって。泣き顔くらい拝んでやるから」





 午後の電車は空いていた。プロフが表示できないのはまだいいとして、他人の感情エモートまで見えないのはキツかった。隣に座る男性が通り魔的テンションでないかどうか確認できない。

 液晶案内をみるのに動悸どうきがするのもまいった。いつ読めて当然な謎の紋様もんようが表れやしないかと。


 大学前のホームに降り立つ。

 今日とて催しがあったのだろう。ちょうど駅へ向かう人の群れをつっきる形になる。水へ潜るように息を吸うと足をこいだ。


「でさ……」「お前あれ……」


 潮騒のように聞こえる会話へ耳をそばだてる。声の温度、表情、歩調。神経をとがらせて邪魔にならないよう歩く。集中すれば誰も私に関心がないのがわかる気がして安堵した。

 大学前広場を抜けたあたりでめまいを感じうずくまる。疲労感がすごかった。


「あなた……大丈夫?」


 見上げれば磐座いわくらが部室棟から歩いてきたところだった。


「あ、いえ……」

「あの子についてなくて」


 はっとする。


「三方を見ましたかっ?」

「ウチに来てたけど、でも」


 磐座は明後日の方向を向くと肩をすくめた。


「話も分からないみたいだったし、何しにきたんだろうって話してたの」


 やっぱり、と思ったとき。


「おい、なにやってる!」


 怒声。同じ方角から足音荒くやってきたのは稲生。なぜか右手親指にガーゼを貼っている。


「目を離すなよあんなのから! キミはアレの保護者だろ?」


 肩をつかんできた手を振り払った。


「三方の話ですか?」

「あぁ? そういう名前なのあの子。わかんないよ書けも喋れもしないんじゃさあ」


 口調からして私を責めたいらしい。別に三方の家族でも友達でもないんだけど。


「ハナシ全然聞かないし誰彼かまわずベタベタするしさあ。邪魔になってんだって」

「ぇ」


 てっきりボッチで気を遣わせてるものだと思っていたので面食らう。同時、モヤッと胸中がわだかまるのを感じた。


「何やったんですかあの子」

「グループワーク中に手ぇ繋いだり抱きついたりとかだよ。おまけに注意したら噛みつきやがって」


 アイツ、えぇ。そんなキャラじゃないだろどうした? 噛みつきは解釈一致だけど。ついバッグを探った手が続く言葉でピタリと止まる。


「キミさぁ■■連れてくるなら手綱くらい握っててよ」


 何て? あぁ意味はわからないけどその音には覚えがあるぞ。ロクでもない、吐き出したのを一日はひきずりそうな人間性最低の言葉。二度と口にできないのをバベルに感謝さえする。

 指先にふれたスマホを離す。強く握りこんだ拳を抜き放とうとして。


「っう?」


 掴まれる手首。とっさにふり返るとパンクチックなイケてる女子がいた。

 かきあげてサイドへ流した黒髪と片ヒジまでまくりあげたゴシック服。どこで引っかけたのか裂けたスカートからは革のレッグベルトがのぞいている。


「みっ……」


 息をのむ私へ挑むようにふくらむ小鼻。

 一方では磐座が稲生を殴っていた。


「ごめんなさいコイツ、自分より彼女が人気で妬んでるの。キツく言っとくからって伝えてくれる?」


 鼻を押さえる稲生を三方はつまらなそうに見て、


「はなひらけ」


と言った。手首を掴んだ指先が私の手にからむ。

 繋いだ手と三方の顔を交互に見比べた。にぃっと細まった眼差まなざしは初めて遮蔽物しゃへいぶつなく私へ届いた。


「っ」

「不思議な子ね。そうやって触れてると……こんな言い方悪いかもだけど、もともと言葉なんてなかったんじゃないかって、私たちはこういう生き物だったんじゃないかって思えてくる」


 磐座の声もどこか遠く。私は少し湿った手のひらの感触と、そっと締められた三方の小指の力を感じていた。

 三方が空いた手を私の頸動脈けいどうみゃくへとのばす。かしげられた首筋に誘われるように私も三方のそこを触った。


「はなひらけ」


 どくどくと指先に感じる三方の脈動にまじる声帯の震え。その慕わしさに抱きしめられたかと錯覚する。けれど彼女にとってその言葉は呪いに類するものだろうと私も察していた。


「なんだか知らないけど、お断り」


 茶化すように耳たぶにふれると三方は頭をふって睨んでくる。


「私がいなきゃ名前だって言えない癖に」


 繋いだ手を持ち上げると間近になる広いおでこ。そこについた小さな傷に言った。


「ごめんね」

「ふん」


 むずがるように離れた三方は巻き上げた前髪をバサバサと下ろす。ずいと差し出される手。

 私は無言で彼女のスマホを渡した。


“🏠🎂”

「あー、うん」


 笑って誤魔化すと先輩二人にさよならを言う準備をする。





 あれから五日。私のスマホは停波解約となった。

 失語症に関しては即入院検査に放り込まれ、翌日には晴れて患者の仲間入りを果たした。今は宇宙が二個くらい終わった気分だ。

 それでも私は大学の広場に立っている。近づいてくる足音。


「……やぁメイドさん、どこのお店? 一緒に行かない?」


 チャコールと白のワンピースで現れた待ち人を揶揄からかう。

 三方はひと睨みすると手を差し出してきた。私はそれを握る。


「緊張してる?」


 昼下がりの構内を部室棟へむけ歩き出す。

 私の失語は半端なところで止まっていた。医者によると9割の人は脳の左右どちらか一方に言語野をもっていて、私は残り1割、両脳にまたがってもっている人らしい。最初こそパニックで真っ白になったものの、今は日に数十個程度の謎の紋様に出会うくらいだ。

 人と話した方がいいという医者の勧めで仕方なく授業にも出ることにした。もともとスマホ解禁になる来年から真面目に通う気だったので今となっては遅いも早いもない。


「ふん」


 労わるつもりでやわく握った手を三方は振りまわした。情けをかけるなと言いたいらしい。

 三方の病状は深刻、でも本人は治すつもりがあるんだかないんだか。今日だって会ってから今までずっと片手は脱法スマホを触っている。大学を休学しているのは半分は親の希望だろう。


“🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♀️💖👸💕🙇‍♀️🙇‍♂️🙇‍♂️ 🐰”

「ぷはっ」


 突きつけられた画面に吹きだした。

 三方はサークル活動がしたいと親に言ったらしい。同じ失語症の子供たちを支援するボランティアサークルがあるらしくそれに参加したいという。


「言っとくけど、皆あんたが可哀想だと思ってチヤホヤしてくれるんだからね。勘違いやめな? あとその馬鹿そうな兎は何?」


 そして例によって私は貧乏クジだ。サークル活動中のお守りを仰せつかった。流石に抵抗したが本人からの指名と言われれば二人分食べたムースくらいの借りはある。まあ数回も付き合えばいいだろう。


「ふん」

「は」


 三方が私を指さす。憐れむように。まだ言葉にしがみつく私を見下すように。

 だから私も同じように指さしてやった。


「ばーか」

「ばー、か」


 きしし、と笑い声。

 研究者いわく、情動野じょうどうやは言語野の伴侶はんりょであり、その刺激は衰退した他方にも届くという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

過社会性失語世代における小さなカミとその供花 みやこ留芽 @deckpalko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ