第3話 監禁生活の日常

「……って、いい加減、ここから出せー!!」

 手首にかけられた枷で、思い切り檻を叩く。相当な大きさの音が立っているにも関わらず、まるでそんな音など聞こえていないように机に向かっている男の表情は変わらない。

 黙々と積まれた書類を取って目を通し、万年筆を走らせ、築かれた紙の山を削っていく。驚くべきスピードだ。人技とは思えない。

「無視すんな! こら!」

 だだっぴろい部屋に響き渡るような声で叫ぶが、相変わらず全く反応がない。

 朝から晩までこの調子で、トーラの苛立ちもピークに達しようとしていた。なんせ、この城に連れてこられてからこっち、ほぼ一日中この鉄面皮の王と顔を突き合わせているのである。

 虜囚の身に相応しく地下牢に入りたいなんて全く思わないが、かといってこちらの台詞を右から左に流す鉄面皮の人間と24時間過ごすことなど苦痛以外の何物でもない。たまに口を開いたかと思えば、

「奇跡を起こす気になったか」

 これである。

 いい加減、トーラの堪忍袋の緒も切れるというものである。

「だああぁぁからあたしにはそんな力はねええっつーの!!」

 叫んで、トーラは檻の中を転げ回った。転がるたびに繋がれた鎖が体に絡まるので地味に痛いのだが、全身で抗議するためにはそれもやむなしと檻の端から端を転がる。

 そして、ちらっと王の様子を伺うが、またその視線は書類に落ちている。

 どんな怒号も悲鳴も一切をスル―され、トーラはがっくりと項垂れた。

 かりかりと書類を掻く筆の音だけになった部屋の中で、さらにそこに置かれた檻に繋がれたトーラは、うつぶせになった状態で顔を上げる。

 この鉄面皮の王は、トーラに食事と排泄の自由は与えたが頑として傍から離さない。というわけで見たくもないこの男が日がな一日視界の中に存在している。その間、王は食事、用足し、睡眠以外にはこうしてずっと机に向かっていた。

 トーラの中で、王とは玉座にふんぞり返って座っているだけの能のない人間で、こうした書類仕事などは臣下が全てやっているのだと思っていた。想像と現実はずいぶん違う。

 ――いや、でも。この目の前の王は、稀に見る賢君と名高いんだったっけ。

 (元)親友・ミシュが目をきらきらさせながら、言ってことを思い出した。

『黒い髪、王たる証の紫の瞳、白皙の美貌。それでもって宮廷内のみならず国内の政の腐敗を5年かけて正した政治的手腕の持ち主。王の中の王、それが現国王、オーウェン殿下よ。しかも独身!! そんな方に見初められちゃったらどうしよう!』

 友情より恋を取った友達甲斐のないミシュのそんな叫びを聞き流して、酒場のおかみさんも、酒盛りを楽しむ労働夫達も、「確かに現国王の治世になってから随分と暮らしやすくなった」と言っていたっけ。

 こうして働く姿を見ていれば、その評価を決して裏切りはしないのだろうと解る。

 まるで機械仕掛けのように、疲労も苛立ちも何も漏らさずひたすらに仕事をする、その姿を。

「ねぇ、王様。あんたずーっと毎日そうやって書類仕事ばっかりやってるわけ?」

 伝わりもしない抗議をし続けることにも飽きて、そんな問いかけをしてみる。

「今はな。時折は外に視察にも行くが、大概はお前のいうところの“書類仕事”だ」

 王は顔を上げることなく、淡々とした返事だけを寄こす。

 まさか返事が返ってくるとは思わず、トーラはぱちくりと瞬きした。

「……でもさ、ずーっと仕事してんじゃん。休憩入れてるようには見えないけど、疲れない?」

 筆を止め、王はわずか顔を上げて首を傾げた。

「一日5時間は睡眠を取っているぞ。それで十分な休息だろう」

 おかしなことを言う、と王はまた書類に向かい始める。

 いや、おかしいのはあんただ。とトーラは唖然としていた。

 だって一日5時間睡眠を取っているとしても、この王は必要最低限の日常動作以外はずーっとずーっと働き続けている。これまでの様子からして、ざっと連続16時間勤務だ。……ということは。

「労働法違反じゃん! 過労死するよあんた!」

 上体を起こして叫ぶと、トーラが入れられた檻の後ろ、執務室の扉が開き一人の男が入ってきた。

「そんな簡単には死なせませんのでご心配なく」

 片手に銀の盆を持ち、黒で統一された服に身を包む男は、そう言ってトーラを一瞥した。

「で。王よ、まだこの娘は奇跡を成せていないのですか?」

「見ればわかるだろう。成せていたならとうの昔に解放している」

 ひたすら仕事に没頭する王の隣に立ち、銀の盆に載せていたカップを机に置くと、優雅な動作でティーポットから茶を注ぐ。

「面倒な。いっそ食事を断たせて、排泄の自由を奪ってしまえばよろしいのでは? そうすればそう時間をかけずに言うことを聞くでしょう」

 真っ黒だ。こいつのお腹の中は真っ黒だ。唖然として、トーラは阿呆のように口を開いたまま黒い男を凝視する。男はティーカップに茶を注ぎ終わると、トーラと眼を合わせて口端をつり上げた。

「悪いことは言いません。娘、さっさと奇跡を成しなさい。この方は暇ではないのです。この国のため、国民がため、血と汗とその他諸々を流して働かれている。この方の時間を無駄に消費させるなど、国家反逆罪にも等しいとおわかりか」

「あんたの発言はちょいちょい不敬罪になってると思うんだけど」

 自分のことを棚上げして何言うか、と冷静にツッコミを入れると、黒い男はひょいと眉を上げた。

「失礼な。どこが不敬だと? 言っておくが、私ほど王を敬い大切に考えている人間はいませんよ」

 真剣な顔で言いきった男だが、横から投げられた王の視線は冷ややかだ。横見てみ、と言いたくなる。

「全く口の減らない小娘ですね。今からでも遅くありません。己の立場というものをわからせて差し上げましょうか」

 無表情であっても、楽しげな口調は隠しようもない。なぜに楽しげなのか、と聞くまでもない。ぜったいこの男はサドだ。

 びっしりと鳥肌を立てて檻の中で後ずさったトーラだが、そこに制止が入る。

「やめろ。ゼドー」

 筆を置いて、王が静かに黒い男――ゼドーというらしい――を諌めた。

「それは罪人でも何でもない【マッチ売りの血統】の末裔、という名の国民の一人だ。よって、そこまでする権利をこちらは持ち合わせていない」

「甘いことを。このまま指を咥えて待っていればこの娘が奇跡を成すとでも?」

「成す。我が望みが成就するまで、この娘の解放はあり得ん」

「ふ、ふ、ふざけんなああっ!」

 もう黙ってられん、とトーラは柵を掴んで叫ぶ。

「あんたら人のこと何だと思ってんのよ! あたしはモノじゃなくて人間! 意思を持ってます! それをあんたら何? 奇跡を成せだの自由を制限するだの、一体何さまだーっ!!」

「王だ」

「その側近です」

 即座に返された答えにトーラは脱力した。こいつらにこれ以上言っても無駄だとトーラは冷たい金属の檻に体を投げ出す。この一週間、こうしてこの話の通じない二人に、頑として「マッチ売りの血統なんて知らない」と言い張ってきたわけだが、そろそろ精神的に限界だ。

 枷を嵌められた手足はひどくだるいし、節々は痛む。何より常に傍に誰か――しかも断じて油断のできない人間の監視下にあり、こうして自由を制限される檻の中に閉じ込められている状況が、トーラの精神を少しずつ削っていた。

 はあ、とため息をついてぐっと目をつむる。もういっそ、『力』を使ってここから出てやろうかと思う。そんな不穏な考えが頭をよぎるが、トーラはすぐにそれを頭の中で打ち消した。駄目だ。そんなことしたら、他の傍系にも累を及ぼすことになってしまう。

 そうしたら、≪あの一夜≫の二の舞だ。

 頭が痛くなってくる。そもそもの始まりから、捕まってしまったことがまずかった。

――そういえば、なんでこいつらはあたしが【マッチ売りの血統】だと知ってるんだろ。

 【マッチ売りの血統】、その存在は≪あの一夜≫でことごとく抹消され、伝説の中にのみ残るものとなった筈だ。その存在が現在もわずかであるが生き残っていることを知り、あまつさえそれがトーラであると確信した、その根拠をどうやって手に入れたのか。

 背を丸め、自分を守るように腕を体に回して、トーラは浅い眠りに逃げ込んだ。

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マッチ売りのトーラ @daidai025

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