第2話 始まりは檻の中から(2)

 で、気づいたらこんな夢を見ている状態である。あー早く覚めたい。こんな鎖に繋がれた夢なんて真っ平ごめんだ。早くおかみさん、あたしの頭を叩いてでも起こしてくれないだろうか。……なんてことをトーラが考えていると、すかさずまた鞭が檻に向かって振るわれる。

「答えろ、平民!」

 檻の向こう、鞭を振るう男の瞳を見つめると、その中にわずか怯えが取って見れた。それは決してトーラに向けられたものではなく、他の人間に対するもののように思われる。

 この場でこの男が恐れるものと言ったら――、それはあの玉座に座る男以外にないだろう。いや、もしくはその傍らに佇む影のような男か。玉座に座る王とは対照的に、黒で統一された服に身を包む男は、王と似た冷たく無機質な青い目で、こちらを見下ろしている。

「間違いなく、あたしがトーラ・ケルンだけど? 人攫いさん」

 その二人とは目を合わさず、鞭の男に微笑んでみせる。

男はかぁっと顔に血を上らせ、檻の間に手を伸ばしてきた。

「この餓鬼がっ」

「やめろ」

 静かな一声に、トーラの眼前に伸ばされた手が止まる。瞬く間に鞭の男の顔から血の気が引き、即座に手が引っ込められる。

 と同時に米搗きバッタのように男が王に向かって頭を下げ始めるが、あくまでも王の視線は動かない。ただひたとトーラに定められていた。

「人払いを」

 粛々と落とされる命令に、鞭の男は慌しく王に一礼し、転がるように出て行った。

 残ったのは、トーラと、王と、その腹心らしき黒い男。

 その場を占めた沈黙。王と、黒い男が視線を結び、じっと見つめあう。互いに全くの無表情であるため、一種異様な雰囲気が漂う。

(……なんていうか、見つめ合ってるっていうより――睨みあってる?)

 沈黙を守っていた王は、目を眇めて厳かに告げる。

「人払いを、と言った筈だが?」

 顔の造形は全く違うというのに、鳥肌がたつほどに似た無機質な表情で、黒い男が答えた。

「お断りいたします。私の使命はいついかなるときも貴方様のお傍近くにあり、貴方様をお守りすることですので」

「これは、王の命だぞ。それが聞けないと言うのか。臣下であるお前が」

「時に王をお諌めすることも私の使命にございますれば」

 表情筋を全く動かすことなく、黒い男は言い切った。

 対する王は、その愁眉をわずかに持ち上げる。ほとんど表情を動かさない男が、それをわずかでも動かしたとき、その感情に立った波はいかばかりか。トーラには関係のない話だが、とばっちりを食うのはごめんである。なんとかこの状況を脱することはできないかと思考を巡らせる。

「ですが」

 これまでとは打って変わった明るい声で、黒い男が笑みを唇に刻む。

 それは笑みと呼ばれるものに違いないのに、背中が冷たくなるような気持ちになるのは、その笑みが企みを含んでいるからにほかならない。

 男は、どこから出したんだそれ、と言いたくなるような書類の山をでん、と王の眼前に積んだ。

「この書類を全て本日中に片づけていただくとお約束頂けるなら、私に否やはございません」

 ええー! 使命って言ったそばから速攻翻すとかどんな軽い使命だそれ。と突っ込みたくなったが、さすがに空気を読んで口をつぐむ。どうやら王の心境もトーラと五十歩百歩といったところらしく、固まっているようだった。しかし、解凍時間はさすがに早く、小さく頷いた。

「ではごゆるりと。ああ、くれぐれも油断などして御身を危険に晒されるようなことだけはされませぬよう」

 さらっとそれだけ告げると、足取り軽く男は玉座の間から出て行った。

 あっという間に二人きりになったが、王の視線はしばらく積まれた書類の山のあたりを漂っていた。

 どんまいとでも言ってやるべきところなのかもしれないが、そこでトーラは再度自分の立場というものを言い聞かせる。手足にかかる枷、そして我が身を囲む檻。自分を捕まえるように命を下したのは、この目の前の男なのだ。油断は禁物である。

 そう思って王を睨みつける。王は一度覚悟を決めたように目をつむると、トーラを見た。

「お前に確認したいことは、一つだけだ」

 トーラは顎を引いて、言葉を待つ。王は玉座から立ち上がり、ゆっくりとトーラのいる檻まで降りてきた。目の前に立った王は細身ながらも長身で、国の女性平均並みしか背がないトーラは、自分の頭上高くある紫の双眸を見上げる。

「お前は、【マッチ売りの血統】の末裔か」

 トーラは全く視線を揺らすことなく、小さく首を傾げる。

「マッチ売りの血統? なにそれ?」

 ぷっと吹き出し、おばさんよろしく片手を上下に振って見せる。

「今時マッチ売りって……とてもじゃないけど食べてけないでしょーよ」

 なにを言い出すかと思えば、と腹を抱えて笑うトーラに、不快感を示すでもなく、憤りを示すでもなく、ただひたと向けられる視線には、真摯な光だけが宿っていた。

「お前が【マッチ売りの血統】の末裔なのか否か、私が知りたいのはそれだけだ」

 繰り返される言葉に、トーラは苛立ちを隠しきれずに片足を地面に叩きつけた。

「……だから、何言ってんのか意味わからないんだってば。大体、あたしはなんでここに連れてこられたのかもわかんないし、これって誘拐よね? 拉致よね? 一国の王様が、こんなことしていいわけ?」

 これ以上ないというほど凶悪な顔つきを心がけてはいるが、さすがは一国を担う人間だけはあるのか、トーラの眼光など意に介さずため息をついてみせた。

「ふたつ、言っておこう」

「は?」

「ひとつ、お前は、壊滅的に嘘が下手だ」

「な」

「ふたつ、お前がいなくなったところで、誰も困りはしない」

「はあっ!?」

 一つ目はともかく二つ目は聞き捨てならない。トーラは檻の外に腕を伸ばそうとするが、両手の枷をつなぐ鎖が邪魔をして、そこまでは届かない。金属がすれ合う音が不快なだけで、トーラの怒りはさらに燃え上がる。

「失礼な奴ね、いるわよたくさん! あたしがいなくなったら困る人が!」

「例えば誰だ、言ってみろ」

「ええっと、勤めてた先のおかみさんとか! 同僚とか! 馴染みのお客さんとか!」

 王は腕組みをして、ふむ、とひとつ頷いた。

「その件なら心配ない。勤めていた先の女主人にはお前の親戚を名乗って家出娘を引き取ったと伝えてあるし、新たな店員となる人間を二人やっておいた。ちなみに顔のいい男と女だったからお前の同僚はもちろん、馴染みの客とやらも大喜びだそうだ」

「ミシュの裏切り者!」

 やっぱりこの世で一番大切なものは友達よね、と言ってた元同僚・ミシュに怨念を飛ばす。おかみさんはわかるけど、いなくなった友達より身近のいい男が大切なのかあんた。

 絶望感でいっぱいになって、これまで踏ん張っていた膝から力が抜けてしまいそうになる。ここからなんとか逃げられたとして、あたしには行き場がないってことか。

 何かをいう気力もなくなって放心状態のトーラに、何を思ったか王が近づいてくる。

そして、こちらに手を伸ばし、トーラの腕を掴んだ。

「何を嘆く。他の誰がお前を必要としなくとも、この私がお前を必要としている」

 傲慢と以外表しようがない言葉。それにトーラは笑い出しそうになった。

 ――そう、確かに。あんたは権力者だもんね。過去、どの権力者もこの「力」を欲した。

あたしの中に流れる【マッチ売りの血統】の「力」を。

 トーラが一つ所に留まれず、根なし草のように各地を流浪しなければならない理由。それが、【マッチ売りの血統】という呪いだった。

「お前が【マッチ売りの血統】だと示す根拠はいくつか手に入れていたが――実際にお前を見て確信した。お前の≪力≫が必要だ。我がそばにあり、奇跡を成せ」

 腕を掴む手に万力のような力が籠る。折られるんじゃないかと思わず体を竦めたトーラだったが、次の瞬間その手は離され、トーラの顎を掴み持ち上げていた。

「たった一度の奇跡だ。それさえ成せば、お前を自由の身にしてやる」

 恐ろしいほどの無表情の中にあって、その眼だけが炎のように燃えていた。

 それでもその炎は、決してトーラの中には届かない。トーラの中にある凍土は、決して溶けないのだ。

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