第1話 始まりは檻の中から(1)
なぁんでこんなことになってしまったのか、と通算101回目の自問をトーラは繰り返した。遠い目である。今なら千里先を見通せるぐらいの遠い目をしてしまう。心ここにあらず、あるべき魂はこの現実から遠く離れ、国内でも最高の塔と言われる首都アレッセレナの時計台の辺りを浮遊しているに違いない。
「――おい、トーラ・ケルン」
トーラはうん、と自分に頷いてみせる。あたしが見ているのは夢だ。
「聞いているのか」
手に引っかかっている黒くて重くて冷たくて固い輪っかとか、その先に伸びたじゃらじゃら音がなる鎖とか、目の前の光景を区切るこれまた黒い檻とか。
「おい」
その檻の向こうに見える、目が痛くなるような光を放つシャンデリアとか。赤いビロードの絨毯とか。その絨毯の先にある――これまた豪奢な椅子に座る、男だとか。
「いい加減に返事をしろ! 王の御前であるぞ!」
耳をつんざく怒声。鋭い音が鳴り響き、檻の近くに立っていた男がその手にある鞭を振るったのだとわかった。そうしていやいや前を向く。
白と金を基調とした服に身を包み、肘掛に頬杖をついた黒髪の男がそこにいる。その服の胸元に刻まれた火の鳥の紋、そしてこちらを冷ややかに見下ろす紫の瞳が――この男がこの国で頂点に立つ現国王であるのを何よりも示していた。
それを見て、トーラはまた気が遠くなる。
何故。どうして、こんなことに。
自分が鎖に繋がれ、檻に閉じ込められ、こともあろうか王の御前にいるだなんて。
夢と言わずしてなんと言おう?
そんなことを心の中でぼやきながら、トーラ・ケルンはここに来るまでの経過を思い返した。
「……よい、しょっと」
両手に持ったゴミ袋をゴミ捨て場に置いて、トーラは額の汗を拭う。ついで、もう片方の手で腰を叩く。我ながら、年寄り臭いと思うが、目の前に積まれているゴミの半分を一人で運んできたのだから、それぐらい許して欲しいと誰が聞いているわけでもない言い訳を心の中で呟いた。
夜もとっぷりと暮れて、副都ルシンバの外れに位置する繁華街のここも、そろそろ明かりを落とし始める時間だ。つい最近トーラが住み込みで働き始めた酒屋兼レストランも看板を下ろしたところである。
休日の前夜であったから酒場は大いに人で賑わい、忙しかったが、めまぐるしく働いた後の不思議な充足感がトーラを包んでいた。
「労働、バンザイってね」
トーラはゴミを囲むレンガに腰かけ、空を見上げる。
明かりの途絶えた時間のせいか、こんな都心にいても星がよく見えた。
流れ者であるトーラが、この町に来て約一ヵ月。身元も知れないトーラを、酒場を経営する女主人が拾ってくれ、雇ってくれた。まぁ賃金は安いし血の汗が出るほどこき使われるが、住み込みで置いてもらえるだけで十分すぎるほどだ。女主人には感謝してもしきれない。
厳しく口うるさいが懐の広い女主人、噂話が大好きな優しい同僚、気のいい労働夫たち。
いつまでここにいられるかわからないが、出来ることなら長くここにいたい、とトーラは思った。
びゅう、と吹いた風にトーラの赤い髪が煽られる。遮られた視界にトーラが髪を押さえつけた次の瞬間、黒い外套を身に纏った男達が目の前に立っていた。
「……トーラ・ケルンだな?」
低い声が、そう尋ねてくる。しかしそれは問いの形を持ちながら、確信をもった響きを内包していた。
無駄だとは思いつつ、トーラは跳ねるように後ろに駆け出そうとした。が。
「痛っ」
背後からすかさず伸ばされた手に腕を掴まれ、捻りあげられる。関節がきしみ、酷い激痛にトーラは顔をしかめた。
「間違いない。情報にあった通りの赤い髪だ」
「では連行しよう」
抵抗しようとする前に、腹に打ち込まれた拳の衝撃でトーラの意識は呆気も無く暗転した。
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