お母さんを助けて。

柊さんかく

お母さんを助けて。

 この王国は病んでいる。


 私は、医者をしならが各国を旅をしている。この時代には難しいと言われた手術を何度も成功させたり、学術書が評価されたり、ということもありおかげさまでどの国に行っても歓迎される身となった。

 各国を回っている理由は、純粋に医学の進化である。国によっては私も知らない病や菌が存在している。その調査をしながら、一人でも多くの命を救うことを生きがいに放浪しているのだ。


 そしてたどり着いたこの国。これが何カ国目なのかも覚えていないぐらいだが、実はこの国に来るのは楽しみにしていた。


「ここが、コクル国か。今まで回った国の中でもかなり大きいな。」


 コクル国。ここは、深い深い森に囲まれており、世界でも最大級の大きさの王国である。周囲の森には貴重な木材や動植物が豊かであり、諸王国との貿易によってここ数年で急成長した王国でもある。

 私は、王国に足を踏み入れると、大きな大きな門の両脇に立っている守衛に声をかけられた。


「貴様、このコクルの人間ではないな。入国したいのなら、名前と目的を言え。」

 

 なかなか強気な口調だが、それも王国を守るための軍事力の高さとも言えるだろう。私は、被っていたフードを外して守衛に伝えた。


「突然の来訪失礼いたします。私は医者をしておりますサムネと申します。世界の各王国を放浪しながら・・・」


 話している途中だというのに、守衛の2人は驚いたような表情でそれ以降は話が入っていないようだった。一人の守衛が、敬礼しながらもそのまま私の話を遮って話し出した。


「・・・サムネ様ですね。お噂はかねがね拝聴しております。私どもの失礼な態度誠に申し訳ございませんでした。このコクル国に来ていただき非常に光栄でございます。さぁ、国王の元へご案内いたします。こちらへどうぞ。」


 まぁ、この流れも慣れたものだ。どうやら、私の名前だけが一人歩きをしており、流石にまだ顔パスはできないようだ。だが、面倒な手続きなしで名前だけで入国できるのは嬉しいことだ。私の話を途中で遮ったことぐらいは大目に見よう。

 それから、この王国の中央にそびえ立つ大きな古城へと案内された。守衛と一緒に国王へ挨拶をすると、この国で一番有名な宿を無期限で用意してくれるという。


「サン国王。様々なご配慮、身に余る光栄にございます。合わせてお願いしたいのですが、この王国の病院・・・」

「そうだな、病院で勤務したり研究する権利も必要だな。手配しよう。時に今日の夜はお時間はおありかな?今日はサムネ殿のこれまでの功績をお聞きしたく、宴をしたいと思っているのだが!」


 これもいつもの光景だ。私はため息をぐっとこらえて返答する。

 

「サン国王のお時間を頂戴できるなんて身に余る光栄でございます。私の旅路の話が国王様のお好みに合うかは自信がありませぬが、是非とも参加させていただきたく存じます。」


 こうして無難なやりとりで最初の挨拶をしのいだ。

 私は、医療のために放浪しているのであって、興味があるのは医学の進歩だけである。だが、各国の国王たちは珍しい人間の話を興の一つにしか考えてないし、医学的な研究をしても、内容よりもその功績を自国の発展に利用できないかしか考えない。

 だから、私が入国するときにはこれ以上にない待遇で扱ってくれるが、いざ別の国に出発しようとする時はどの国王も同じような提案をしてくる。金や土地でもう少し残ってくれないかという内容だ。

 きっとこの国王もこれまで見てきた他の国王と同じなのだなと実感した。


 その夜、形式だけで何の面白味のない宴が終了し宿へ帰る道中で、あまり見たことのない光景を見ることになった。

 薄暗い中ではあるが、広場に数人の大人に囲まれた少女がいることは分かった。私は、護衛で付いて来てくれた守衛に聞いてみた。

 

「あれは何をやっているんですか?何かの大道芸のようなものですか?」


 守衛は少しだけ下を向きながら低い声で答えた。

 

「あれは大道芸なんて大層なものではありませんよ。大人たちが滑稽なあの子の姿に小銭を放っているのです。」


 確かに大道芸とは程遠いが、芸人と言わんばかりの大きな動きでそこにいる大人たちを笑わせていた。いや、笑われていると言ったほうが正しいのか。

 その光景をしばらく私は立ち止まって見ていた。守衛は戸惑って、私の顔色を伺ってばかりである。それから私はその少女の元へ行き、広げらた風呂敷に私の持っていた財布をそのまま投げ捨てた。

 その瞬間、少女も周りを囲んでいる大人たちも時間が止まったようだった。

 私は全員の視線を感じながら、被っていた帽子を深くかぶり直して広場を去った。それから早足で私に追いついた守衛に、どういうことか聞かれたが何も答える気はなかった。

 しばらく沈黙の時間が過ぎ、用意された宿にたどり着いた。守衛にチェックインをしてもらった後、宿の主人に部屋を案内された。

 確かに、これまで見て来た王国の中でもトップクラスの宿であることは間違いない。そんな豪華さだった。

 旅の疲れもあって、被っていた帽子を投げ捨てるとそのままベッドに倒れ込んだ。

 それからどれくらいが経ったのだろうか。旅の疲れもあってすぐに眠れそうな身体だったが、なかなか寝付けない。天井を向きながら、今日一日を振り返る。色々あったが、国王の顔ですら思い出せない。そんな薄い一日だった。いや、一番濃い思い出があったからか。それはさっきの広場での光景だ。脳裏に焼きついたのは、少女を取り囲んでいる大人たちの滑稽な表情だ。ああ、滑稽だ。


 それからというもの私はサン王国で存分に活躍をさせてもらった。病院には自由に出入りをさせてもらい、患者を診たり、手術を担当したり。さらに、周辺の森に出かけては珍しい薬草を見つけては新しい薬の研究に励んだ。

 サン王国にはまだまだ私の「知らない」がたくさんある。きっと私の目は輝いていただろう。そう思うと、一瞬よぎる光景があった。それは広場の大人たちの表情だ。あんな表情と比較して私は自分が高尚な人間だと自覚したいのか、と解釈すると冷静になり、黙々と作業を進めていった。

 

 どれくらいが経ったのだろうか。

 きっと1ヶ月以上は経っているはずだ。この王国にもようやく馴染んできたように感じる。街を歩けば皆が声をかけてくれる。応援してくれる声も多い。ただ、へりくだった態度のぎこちない国王と私の宿がバレているせいで、私が宿にいる時には絶えず誰かが訪ねてくることを除いては非常に居心地の良い国だと実感していた。

  

「おじさん、僕のお母さんを助けてよ。」


 ある日、森に向かおうと街を歩いている時、ある少年が私に声をかけて来たのだ。少年は10歳かそこらだろうか。裸足でボロボロの洋服を着ている姿、風呂にも入れていないのかツンとくる臭いで、よほど辛い暮らしをしているのはすぐに理解できた。

 私は、しかめっ面をしていることに自覚し、表情をリセットして少年の顔を見た。

 

「お母さんがどうかしたのかい?」


 私は少し屈んで少年に優しく問いかけた。実はこの手の質問には慣れっこである。私の噂を聞きつけ、直接診てほしいという声が多いからだ。私は人の命を救うことに生きがいを感じる人間。もちろん、そういう場合には全てイエスの回答をして治療を行うことにしている。

 この少年も例外ではなかった。


「お母さんが、死んじゃう。おじさん凄いお医者さんなんでしょ?助けてください。」


 少年は涙をこらえながら私に訴えかけてきた。私の回答は決まっている。


「わかった。おじさんが診に行こう。」


 私は少年の頭を撫でながら精一杯の優しい顔で答えた。

 すると、私の後ろから野太い声が聞こえてくるのに気がついた。


「サムネ殿ここにいらっしゃったか。探しましたぞ。さぁ、城へ向かいましょうぞ。」

 

 それは初日に私を宿へ案内してくれた守衛だった。城へ向かう。一体何を言っているのか分からない。そんな表情が伝わったのだろう。


「サムネ殿。お忘れですか。今日は水曜日。水曜日は国王と食事をする決まりでしょう。」


 完全に失念していた。少年の元へ向かおうとしていたし、少年に会わなくても森へ向かおうとしていたぐらいだ。私は、守衛に毅然とした態度を取る。


「急患が入ったのだ。申し訳ないが、今日の食事会はお断り申し上げる。」


 すると、守衛は想像を超える激昂で私に怒鳴る。


「なんですと。国王の命令は絶対。申し上げさせていただきますが、断るなどあなたのような賢者が取るべき行動ではないですぞ。さ、考えを正して城へ向かいましょう。」


 私のどこかにあるスイッチがONになった気がした。私は今までの飄々とした表情を一変させて、深く鋭い表情で言った。


「正す、とはどういうことか。人の命よりも国王との食事の方が正しいと申すのか。ここはそういう王国なのか。」

 

 それは守衛にとって想像を絶する雰囲気だったのだろう。圧倒された守衛は何も言い返せなく固まっていた。

 私は、少年にその母親の元へ案内するように言い、その場を去った。

 しばらくして、距離のせいで小さくなった守衛がこちらに大声を上げていた。


「その少年は悪魔の子だ。騙されてはいけませぬぞ。」


 どういう意味だ。私は少し考えたが、人命を最優先にする私のポリシーに変わりはない。もちろん、この少年が私を騙そうとしてたとしても。

 しばらくして、少年の家にたどり着いた。案の定、拾って来たような木材を繋げただけのボロ屋だった。ここからでも数え切れないほどの隙間がある。きっと冬は寒さをこらえるのに必死なのだろうと想像してしまった。

 そのまま少年の案内のもと、家の中に入っていった。その家は思ったより中が広かった。部屋はいくつかに分かれており、玄関もしっかりしていた。もちろん、一般的な民家よりは汚いのだが、外観からは想像以上の綺麗さも持ち合わせていた。それは外見的な話であって、実際に家の中に入ると足跡が付くぐらい埃が被っていたわけだが。


「先生、こっちだよ。」

 

 少年は私の手を引っ張り奥の部屋へと連れていった。私は全身の力を彼に任せて、ただ着いて行くだけだった。

 案内された部屋は非常に狭い部屋だったが、壁に隙間はなくしっかりとした作りだった。そして中央にベッドが設置されており、大きな布団で覆われていた。

 

「お母さんを治してほしいんだ。先生、お願いします。」


 案内が終わった少年はその場で座り込んで、また泣きながらその言葉を精一杯発していた。私はこの子の母親を救いに来たのだ。そして、この少年の涙を嬉し涙に変えるのだ。そう決意し、少年に向かって言った。


「必ず、お母さんの命を救うよ。必ず。」


 私の言葉に泣きながら大きく頷く少年。

 私は大きな深呼吸をして、ベッドにかかっている大きな布団をめくった。

 そこには私の想像を超える光景が広がっていた。


「こ、これは。」

 

 これが私が出せる最大限の言葉だった。


「ね、お母さん辛そうだよね。助けてください。」


 彼の表情は見ていないが、泣きながら必死で訴えているのはわかった。

 しかし、この状況はどうすればいいのだろうか。私は持てる全ての知識や経験を振り返り、なんとかこの状況を理解しようとする。しかし、私の理解を超えるこの状況を説明してくれるものなどなかった。どうしよう、これがその瞬間の正直な感想だった。

 私だって医者としてのプライドがある。もちろんそれに伴う実績も。しかし、それらが一切役に立たないこの状況。どうしたらいいというのだ。私は数分間ずっと頭をフル回転にし続けた。

 しかし、答えは出てこない。だって、そこに横たわっていたのは木製のマネキンだったからだ。

 

「先生、これでなんとか治してもらえないですか?」


 混乱しすぎて気づかなかったが、少年は部屋を離れていたようだ。振り返ると、少年は大きな風呂敷を抱えている。

 その場に風呂敷を広げるとそこには大量の硬貨が溢れていた。これがいくらぐらいになるのかは見当がつかなかったが、10歳程度の少年が集められる額ではないことは容易に見当がついた。

 その中には、硬貨の中に見慣れた私の財布が混じっていた。


「先生、これじゃ足りないですか?お母さんは助けられないですか?」


 少年は、涙をぬぐいながら必死に訴えかけてくる。

 私は、そこで全てを理解した。

 ここで泣いてはいけない。私は涙をこらえながら少年に精一杯の力強さで伝えた。


「わかった。私がお母さんを治してあげよう。」


 私の言葉が予想外だったのか、少年は俯いていた顔を上げて満面の笑顔になった。

 

「ありがとう。よろしくお願いします!」

「でもね、2つだけ約束してほしいことがあるんだ。」


 少年は、不思議そうな顔で私を見る。

 

「1つ目は、これから手術をする姿を君にも見守っていてほしいんだ。2つ目は、全力を尽くすが万が一の時にはその事実から逃げないでほしい。いいね?」


 少年は、必死で私の言葉の意味を理解しようとしている。少しして、わかったと首を縦に振った。

 

 それから大手術が始まった。私はいつも通っている病院に走っていき、機材や薬液を借りて来た。病院では、国王との会食をボイコットした私が噂になっているらしく、私を非国民のような目で見る医者や看護師が確認できた。

 そんなことはどうでもいい。そんな目を気にしていたら、助かる命も助からない。私は必死さを押し通し、ほとんど奪い取るような形で必要な物資を整えた。

 

「ごめんね。時間がかかって。」


 少年は泣きながら顔を全力で横に振っていた。

 病院へ走る前に少年に色々と質問していた。いつからこの状況なのか、どんな症状が出ているのか、悪化したのはいつぐらいからなのか。

 聞いた結果、少年の母親の病気は「カナル病」ということは容易に理解できた。それは各国で流行っている流行病である。10年も前であれば、不治の病いとして扱われていたが今では有効な治療薬が見つかっている。

 私もカナル病の手術はしたこともあるし、軽度〜重度まで担当したこともあるので自信しかなかった。ただ、相手がマネキンということを除いては。


 それから私は、精一杯の手術を行なった。手術は何時間にも及ぶ過酷なものだった。それは彼女の病が思ったより進行しており、私も見たことがないほど重症だったからだ。それでも少年のため彼女のため、全力を尽くした。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。私は、持っているメスを置いた。

 私はそのまま後ろを振り返って、少年を見た。その場に座り込んでいる少年は今にも泣き出しそうな顔で私を見上げている。


「ごめん。お母さんを治すことはできなかった。本当にごめん。」


 その言葉に少年は泣き崩れた。きっと持てる全ての力を使って地面を叩き続けていたのだろう。

 それを見て、私も苦しくなった。力が抜けてその場に座り込んでしまった。

 少年が泣き叫んでいる間は時間が止まったようだった。それから、少年は涙を拭って私の元へ近づいて来た。


「先生、ありがとう。先生のおかげでお母さんはきっと天国へ行けたと思うんだ。治療費は足りたってことでいいのかな。他の困っている子達のために使ってね。」


 少年の言葉に私も涙した。止まらない。拭っても拭っても止まらない。

 やっと涙を抑えられるようになった時に、気が付いた。少年がいなくなっている。私は、涙しながらクスッと笑った。

 それから、手術道具などをまとめて少年の家を出た。すると、家を囲んでいたのは、たくさんの守衛たちだった。その中で、先ほど声をかけて来た守衛が一歩前に出て話して来た。


「サムネ殿。ご無事で何よりです。国王はサムネ殿が参るまでどれほどでも待つと仰っられていました。ここまで国王が譲歩してくださるのは歴史上初のことでございます。急いで国王様の元に参りましょう。そして謝罪の意を表するのです。でなければ、サムネ殿であれどのような仕打ちになるのか我々も想像を絶するものがありますぞ。」


 私は、涙を拭った。それからたくさんの守衛たちについていくことにした。


 この国には、カナル病よりも重い病が伝染している。

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お母さんを助けて。 柊さんかく @machinonaka

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